旧赤星鉄馬邸

先週の金曜日、前日に新聞で一般公開されていると紹介されていて、ちょうど時間ができたので行ってきた。新聞とテレビで紹介されたということで、私が行ったのは午後で、受付時間の1時間前だったが、行列の最後に並ぶと入場までは40分ちょっとかかった。それでも時間までに並んだ人は最後まで見学させてくれたようだった。

場所は吉祥寺、成蹊大学の五日市街道を挟んだほぼ向かい側。五日市街道からは一軒分引っ込んでいるので、五日市街道を車でしょっちゅう通っているのだが、そんな場所があることは全く知らなかった。

アントニン・レーモンドに建築を依頼し昭和9年に建てられたが、19年に日本陸軍に接収され、20年からはGHQに接収され、その後31年にナミュールノートルダム修道女会が購入し、令和3年に武蔵野市へ寄贈されて翌年国登録有形文化財に登録されたそうだ。その頃にもしかしてら話題になっていたのかもしれない。どこか記憶にあるような気もするのだが、こうして聞いてみると、そんな実業家の人がいたことは全く知らない。しかもこの家に住んだのは10年館という短い時間だったことを考えると、その人にもとても興味がわく。

入り口を印象付ける丸い塔のような部分が螺旋階段になっている。

入り口を入るとすぐ居間・食堂の広い空間で南向きのガラス窓から庭が見渡せる。

夫婦で暮らす部屋の家具もすべて作り付けでレーモンドの妻のノエミ・レーモンドのデザインで、アメリカから取り寄せた赤セコイアの木で作られているそう。右上の奥の引き出しは扇型で手前に開くようになっている。

 

家具が作り付けというので、修道院用の個室ではなく、最初からのデザインだと思うのだが、子供部屋とあり、子供一人に一つタンスの作り付けがあるとすると、案内に子供部屋と書かれた部屋が1階、2階にあり一体何人子供がいたのか、とにかくたくさん同じような部屋がある。

こちらは納戸。

厨房。

後から修道女会の使用に2棟が増築されて廊下でつながっている。1階のみ両方とも見学できた。この部屋は礼拝棟とのことで、ビデオ映像を流していた。

厨房を出るともう一つ2階への階段があり、住居部分の見学ができた。

2階は蔵が一つ、納戸が2つ、子供部屋が2つ、主寝室と書斎と和室。(この時点で混乱して、写真もどの部屋がどれかわからなくなっています。すみません)

書斎がとても広くて、(写真がない)ドアもなく廊下と一体化している。廊下側に飾り棚が作られていて、明かりとりの丸窓が素敵。

なので3枚も。

主寝室(すみません、これも写真がない)には専用のトイレとお風呂。

和室だったところ。

先ほどの螺旋階段で1階へ降り、玄関を出て、庭を見学。

藤の花がすっかり終わっていたのは残念。市に指定された保護樹林は32本。

 

建物に名を残して、そのあとほとんど知らない実業家のことも気になるが、建築家のことは何回か過去に書いているので、載せておきます。

 

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