青空を見なかった7月ももうすぐ終わり

すぐ間隔が空いてしまうので、書く内容がごちゃごちゃになってしまっている。そして、内容はつまらないことばかり。そんなどうしようもない日常が貴重な一日なのだと思う。

先週の4連休、東京の人たちは出かける先があまり無いためか、私も久々に何年ぶりかで隣の市にあるカインズホームに行ったら、駐車場に車の列ができていた。家族でどこに行くわけでもなく、ホームセンターで植木買ったりする人が結構いるようだった。

カインズホームも昔はフードコートとかもあったが人が集まらなくて無くなってしまっていて、今はそのスペースにペットのコーナーが何倍もの広さになっていた。カインズホームのペット売り場は昔見たときに(多分10年くらいは前)小動物がガラスケースの中で弱っているのが目について、もうペット売り場がなくなっているかと思っていたのに、世の中がペットブームが続いているということなのか、今回はとくにフクロウやコノハズクが何種類かいて、檻の中ではなく、手を伸ばせば届きそうな位置にじっと止まっていた。

そのせいか、次の日に夢の中で鳥にあった。緑色のふわふわした丸っこい可愛い鳥で、ほっぺがピンクのと、黄色いのといて目がくるくると可愛い鳥の夢だった。しかし、鳥だけはこんなに綺麗なカラーなのだが、それ以外は廃墟から脱出しなければならないようなハードな夢だった。楽しいんだか、しんどいのだかわからない。

義母も2週間総合病院に入院して、また元いた老人病院に戻った。そちらでもPCR検査を2回受けて1週間後に2回目の結果も陰性と確認できてから、やっと自分の部屋だったところに戻ることができた。戻ると、もう手術したことなどは全く覚えていなかった。その日に2月以来初めて目の前でマスクをつけての面会となった。30分間であるが、ガラス越しや、オンラインでは耳が遠いせいもありほとんど会話にもならないが、目の前にあると「今日は寒いね」などと他愛無い話でもすぐ30分は経ってしまった。

そして病院では七月中旬から再び面会は禁止されて、次回はガラス越し面会しかできなくなった。

会うときにはいつも美味しいものが食べたいね、と食べることが大好きだったのに、飲食を一緒にすることもできないのが残念だ。手術の後、食欲が落ちてきて、体重が一気に落ちてしまったという。以前までは病院のレストランで一緒に食べたりすることもできたのだが、お菓子を家族があげたり、お茶を一緒に飲むということも今は禁止になってしまっている。

 

 

 

ツバメが消えた

昨日の夕方まではツバメの雛が巣の中にいた。雨と風の音が一晩中続いていたが、今朝巣を見るともう雛の気配がなかった。朝方に何かがあったのだろうか。雛が孵って1週間ちょっと。4羽の頭が確認できていたのだが、まだまだ声もか弱い雛たちだった。一度お父さんツバメか?巣の中に入って中を覗いている様子だったが、飛んで行ってしまった。

こんな天気のせいか朝から頭が痛い。風の音を聞いている。

先週義母の入院している老人病院で、義母がベッドから落ちてしまい、今度は左足の股関節骨折で別の病院で手術をした。ちょうど右足の股関節骨折から半年、随分元気になり、車椅子を自分で動かして動いたりするようになっていたのだが、柵を乗り越えて落ちてしまったという。超高齢のためリスクをたくさん説明されたが、部分麻酔で手術はうまくいき、術後の回復も順調であったので、ホッとしたところだった。相変わらず、COVID-19の感染予防のため、本人に面会することがほとんどできない。入院した時に数分と手術室までの移動の時と、あとは退院する時の付き添いで少し話ができる程度だ。ただ義母の記憶では今、会えていないか、今、会えているかで時間の経過は関係なく、毎日なのかたまになのかでは、あまり差がないのが救いではある。看護師さんたちが優しく面倒を見てくださるおかげでちゃんと話をすることができていて、前回のようにせん妄が出で大声を出すこともなく、あまり不安に感じないで過ごせている。

50代になって2度目の五十肩が現在進行中で、去年の暮れから荷物を持つと腕がだるくなり、今は着替えをするのや、掃除やら、ちょっと目の前のものに手が伸ばせず、日常の家事もおろそかになっている。前回は5年前くらいで左だったが、今度は右腕だ。去年の暮れにはもう左はなんともなくて手を後ろで組んだりもできるようになっていたのだが、一体どれくらいの間が痛くなって、どれくらいで回復して行ったのかとなるとあまり記憶にない。1年くらいは痛かったのかしら?さすがに半年くらい痛いのが続くと嫌になる。

でもよくなったこともある。例の顔のかゆみに今年の春まで2年以上悩まされたのが、マスクを常につけなければならなくなって、より悪化しそうなところ、なぜか急によくなった。

もともとマスクを長時間病院の付き添いでつけていたのがきっかけだったので、ずっとマスクをしないようにしていたのだが、今回外出するのにも常につけなくてはいけなくなり、オーガニックの綿のマスクにしたら、不思議に顔のストレスがなくなった。

使い捨ての紙には多分漂白剤とか化学成分で合わないものがあったのではないかと思う。今年はマスクをつける人が多いために顔の皮膚科のトラブルも2割増えているとニュースでも聞いた。同じように悩んでいる人は多いようだ。

今日から7月。

義母は入院する病院では受け入れる前にPCR検査をして、一般病棟へ入った。確認さえできれば、こちらも安心して面会できるはずなのだが、安心のために検査を受けることはできないのに、安心のために感染していない人に消毒液を手にかける。まだまだどう折り合っていけばいいのかわからないでいる。

 

ツバメだって、カラスだって、細菌だって

5月中旬に歩いたところ。

駅の北口で4月に複合の商業施設がオープンするはずだったが、緊急事態宣言が出て延期となり、ホールは来年のオープンになったとかで、ホテルもまだ工事が続いているようだ。それでも施設として解放されていて、幾つかのお店がひっそりと少しづつオープンしてきている。

屋上が広い庭園になっていて、池や噴水もありたくさんの木や花が植えられている。それほど土の高さがあるわけではないだろうから、台風など強風で木は大丈夫なのか心配ではある。考えるとこんなに人工的な環境もないのだが、街の中の緑を求めてつい歩いてきてしまう。

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パン屋やカフェなどが席を少なくして、時間も短縮して営業していた。これぐらい人が少なければ落ち着いているけど、それでは家賃を払ってやっていかれないだろうか。お金をかけて立派な箱を作って、それに見合う家賃を取る。そのためには売り上げがなければいけない。

そしてそんな施設をどんどん作り続けていく・・それがもう無理なんじゃないかな。

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・・書きかけのまま下書きになっていて、今はかなりの店が開き出し、カフェなども時間を少しづつ伸ばしてすっかり人の数も多くなった。

緊急事態宣言が解除された後、明らかに人が増えたが、お店は自粛継続のところや、あるいはそのまま閉まってしまったところなど影響は多大で飲食店はやっていてもガラガラのところもあるし、どこも経営は大変なことだろうと思う。我が家も先週やっとマスクは届いたが、給付金は郵便での申請を待っていたのでさて届くのはいつになるのだろうか。

 

人が増えた途端にツバメも帰ってきた。帰ってきたというのも変だが、今年は巣の数が去年の半分くらいで心配していた。駅まで歩いて行く途中で10個くらいはあった巣の半分以上が今年は壊れた状態か、空で、かなり安全な場所にある巣以外は雛がいない。人が少なかったことと、カラスが増えたことの関係なのか襲われてしまったのかと思っていた。

うちの後ろのまだ10年ちょっとくらいの新しい家が売られてアパートが建つことになり、ちょうど5月末から壊し始めて、すると朝から工事の人が数人いるようになった。するとツバメが数羽できてくるくると回ってうちの駐車場の去年の巣をチェックしている。去年、雛が孵ったその日にカラスか何かに襲われてしまった巣だ。何故数羽で見に来るのかよく分からないが、(まるで不動産屋さんが物件を紹介して回っているように見えた)どうやら気に入ったらしく、少し巣を補強して卵を産んだ様子で、おとといから卵を温め始めた。

うちのところで雛を育てるのはいつも駅の方面の雛が巣立つ頃なのは何故なのだろう。一度産んだ親が2度目の子育てをするのか、それ以外の若い親が卵を産む番なのか、分けることであるいは敵を協力してやっつけて、子育てを手伝うのだろうか。

それにしてもうちの巣での巣立ちまでの生存確率は今までのところ2分の1だ。今年はどうなるだろう。去年のこともあるからあまり喜んで書けない。

今朝も下に行くと上から見下ろしている。NHKで鳥は卵が冷たいから気持ちよくて温めてしまうのであって、愛情ではありません、と言っていたが、おとといまでは気ままに飛び回っていたのに、朝も、夜もずっと巣にいるなんてやはり感心するばかり。そして、目があうとつい「おはよう」と声をかけてしまう。そして、「ツバメだって、ツバメだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ〜」って何故だか歌ってしまうのであった。

 

今日は花曇り

いよいよ今日緊急事態宣言が出されるということで、いかにも周りじゅうから早く出してくれと頼まれて宣言するという格好になっているが、一般市民は出たらどうなるのかわからないと言っている方が多い。テレビでこうなるとやっていることは宣言しなくてもできることの方が多いように思う。あとから民衆はこうなるとは知らなかった。そんなことは望んでなかったのにということにならないように願う。

ウイルスに勝つとか、ワクチンができれば大丈夫とか、インフルエンザでもワクチンがあっても、薬があっても東京で冬に流行する時は週に100人は亡くなっているのに、なぜこんなにもパニックにならなければいけないのだろう。感染者は爆発的に増えるだろうが、人類の99パーセントが亡くなるわけではない。ただ経済的な面で生活が困難になる人の方が多いかもしれない。それと世界の行き来が全く不自由になってしまうことでこれからの社会はすっかり変わってしまうのかもしれない。これを機に大きく変わっていくものがあるだろう。

人工呼吸器を増やしても、高齢であったり、ヘビースモーカーだったり、既往症のある人にはそれをつけても回復する可能性はほとんどないのではないだろうか。時に回復した海外の人がニュースになるけれど、新型コロナでなくても高齢で肺炎で亡くなる場合、挿管する時に医者から決断を迫られるが、その場合でも(延命の効果はあるが)回復して外せる見込みはありませんと言われることがある。それでも自分の親の場合はつけてくださいと言うだろう。

一度だけ自分や家族がかかった場合にどこまでの医療処置を希望するのか話し合っておいたほうがいいというようなコメントをテレビで聞いたが、重症化してしまった場合には自分もあっけなく死んでしまうということを考えることになる。私の年代だとそれはむしろいいことであるかもしれない。ちょっと前に#100日目に死ぬワニという漫画がツイッターで出ていたが、命はいつまでかなんて誰にもわからない。だけど闇雲に怖がることもない。生きていることと、死があることは同じこと。そういう風に自然に受け入れる。ただ年代が若い人がそれを怖がったり悲しんだりするのは困るので、若い人の重症化率は低くほとんど亡くならないという数値が日本ではっきり出ると嬉しい。

東京都のホームページでも検査数が少ないと批判されると、今までの表示の方法が変わって、わかりにくくなって、探しても見つからなくなった。今朝の新聞でも感染者は昨日の数字でも、検査数は3日のままで更新されていない。病床が満杯となってから、患者数がどこまで増えるのか、医療現場で働いている人たちを考えると、そちらには一刻も早く人手も物資も調達されることを願う。

さて、私は人工呼吸器をつけてくださいと頼むだろうか。きっぱりと拒否することもできない優柔不断なところであるが、もうベッドがいっぱいになっていて、受け入れ不可能なら若い人に譲りたい。苦しい時には助けてと叫ぶだろう。昨日の夕方のニュースでPPAP2020(?)のYouTubeで手洗いの動画をやっていて、世界では手洗いする水も貴重な国の方が多いのになと思って見ていたが、最後にPray for People And Peaceと歌っていたのを聞いて、ちょっと涙が出た。世界中のパンデミック、早く治って欲しい。

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1週間くらい前に夢を見た。大きな包みが部屋の中にあって、開けてみると観葉植物でゴムの木のような大きな緑の葉が見えて、よく見るとインコのような緑色の鳥がいた。一羽は鳩くらいの大きさで黄緑色で、さらに2羽少し小さいが色は濃い緑でとても綺麗な色だった。そんな緑色の鳥の夢だった。

そして数日して近所の桜を見ていたら、この辺では見たことのない鳥が桜を食べていた。都会で増えているという話は聞いたことがあるが、初めて見た。ホンセイインコのよう。しばらく見ていたら、飛び立っていったが、飛んでいく姿を見たら3羽だった。

3つの密ならぬ3羽の緑。なんか関係あるかしらん・

 

2月は逃げる

先週の木曜日、義母の入院していた病院でも、新型コロナウイルス予防のため家族の面会も禁止となった。その前々日に何とか転院先の老人病院での受け入れが決まり、金曜日に退院した。1日家族が行かれなかったのでさぞパニックになっていると思いきや、午前中にお風呂に入れてもらい、朝ごはんとお昼ご飯もちゃんと食べたそうで、本人は自分の生まれた家に帰るつもりになっているようで、移動の道中も「今日は何ていい天気。来年はもう年だからこなくていいね。来年は温泉にしよう」と楽しそうにずっとおしゃべりをしていた。

転院先では「いらっしゃいませ」と出迎えられて美味しい物を食べにホテルに寄った気持ちで、夕方家族と別れると「じゃあ今日は泊まっていくのね」と今までショートステイで泊まっていたのと同じ感覚で、夜もぐっすり寝てしまったという。それまで病院ではベッドに縛られていたので、夜中にそれに気がつくと大声を出して周りに迷惑をかけると言われて、どこでも受け入れてくれないと言われていたのだが、移った先では、トイレなどは先に介助してくれるので、本人は安心しているのか、全然大声を出したりすることもなく落ち着いています、とのことだった。

そちらでも初めての対応ということだが、コロナによる家族の面会禁止となった。そのために向こうから数日おきに電話で日々の様子を細かく伝えてくださっているので、こちらもようやく安心してきたところである。

政府の方針では2週間と言っていたが、そんなにすぐ収束へ向かうはずもなく、先が見えない。医療従事者はそれを一番わかっているのだろうと思う。

 

世の中はこれから大きく変わっていくだろう。たぶん自分だってそのうち新型コロナウイルスには感染してしまうだろう。たとえどんなに用心してもそれだけの感染力はあるのだ。まともな検査が始まれば実態がどれくらいかはっきりしてくるはず。

マスクや消毒用アルコールなどは未だ売っていないのに、電車に乗るときにはマスク着用のご協力をと呼びかけている。

信号の交差点で待っているときに、急に喉にひっかかって思わず咳き込むと、すぐ隣の人がいなくなった。

今日やっとお正月の飾りの張り子のねずみを押し入れにしまった。次に出すのは12年後かとふと考える。

 

鏡開き、忘れました

駅ビルのマッサージ店でマッサージを受けていて、何だったかだと認知症になるとかいう話をしていて、「それ、まさに私です。ああ私も認知症危ないわ」というような会話をしていたのだが、気持ちよくてちょっと夢現つではあったものの、肝心の「何」が全然思い出せない。う~ん、やっぱり私は認知症の気配が濃厚な気がする・・・

 

さて、慌ただしく日々は過ぎていく。去年の暮れに義母が家で転んで右肩と右大腿骨骨折で近所の病院に救急車で入院して、手術。そこまではすぐできたが、本人は5分で自分が骨折したことを忘れてしまう状態なので、リハビリはなかなか進まない。

入院した時に、主治医の先生からは家に帰って今までの生活に戻るのは難しいので、家族でその後の生活を考えるようにと言われた。そしてすぐ病院の相談員の人が来て、病院は急性期の人しかいられないので、受け入れ先は、老健施設か有料老人ホームかということで、老健のリストと老人ホームの仲介業者のパンフレットなどを渡された。

 

義母の姉も義姉も、近所に住んでいた幼馴染だった友達二人もこの10年くらいの間にみんな同じように家で転んで骨折して病院から施設へと移った。うちの義母だけは転ばずに過ごしてきたのだが、本当にちょっとした拍子でリビングで転んでしまった。

 

右肩が痛くて右手がうまく使えないのと、腎臓の値が悪くて急に減塩食になったのと、食べないからついにミキサー食になってしまったのとで、食欲がなくなって、11月までものすごい食欲だったのに、全然自分で食べなくなってしまったので、昼と夜の食事の時に私と義姉とで交代で食事の介助をしている。こういう時にもう94歳で今まで好きなものを少なだけ食べてきたのだから、味が濃くても塩分過多でも好きなものを食べさせたほうがいいのか、ほとんど塩分のないまずい食事を食べさせるのがいいのか、ちょっと考える。今は病院にいるので好きなものは食べさせられないが、ご飯にちょっとふりかけとか海苔の佃煮なんかを載せてみるのだけど、やっぱり「まずい」と言ってあまり食べない。

しかし、11月に体重が4キロも増えて身体が浮腫んでいて、それは危険な状態だったのかもしれないので、すっかり浮腫みがとれたのを見ると腎臓と心臓には良かったと言える。

 

そんなわけで1月の予定はすべてキャンセルした。

 

晦日の日に実家の母も風に吹かれて転んで肋骨にヒビと手の指の下の骨を骨折した。

 

そろそろ掃除をしようと思いつつ

今年は何をしたかしら、と振り返ってみても、最近だと思う出来事が去年だったり一昨年だったり。ただ知り合いのお葬式は多かった気がする。10月には主人のいとこがまだ50代前半で癌で亡くなり、その連絡を他のいとこにしようとしたら、電話が通じずおかしいと思ったら、その二日前に急死していたことがわかった。飲食店を営んでいて、お店もそのままで年齢も夫と同じ年だったのでびっくりした。その人の奥さんも癌で入院中と聞いているが、子供はいない夫婦なので兄弟の人が見ているらしいが、もうこちらには連絡はないだろう。

私の方の親戚でもやはり夫と同じ年の息子さんと94歳の母親の二人暮らしの家で10月に息子さんが脳卒中で倒れて入院した。私の祖母の妹にあたる叔母は頭も体もしっかりしていて、家庭菜園の野菜をうちにも時々送ってくれていたのだが、息子の入院した病院が自転車で10分くらいのところにあり、毎日のように通っていて、12月に転んでしまい、2、3日我慢していて息子の病院に行ったらあまりにも具合が悪そうだと病院に行くように言われた(そこも病院のはずだがスルーしてください)ので行ったら圧迫骨折で即入院となった。今は別々の病院に2人が入院している。

向かいの家の娘さんが病院に行ってくれて、叔母さんからの伝言を私の母に電話してきてくれて、わかったのだが、そういう人がいてくれて本当に助けられている。

叔母さんは医者も回復力に驚いているということで経過は良くなっているが、これからの家での生活に向けての課題を考えるといろんな問題が見えてくる。

急に介護が必要になってもそれを自分でやらなければいけないというのは大変だと思うからだ。だいたい介護して普段から面倒を見ている人がいて、その人が介護申請したりケアマネージャーと相談したり実際の介護保険を使うまでの手続きとかしているのではないだろうか。具合が悪くなってから自分でやっていける人が高齢者にどれくらいいるのだろうか。

面倒だし、必要ないと言って受けない人も割といるのではないだろうか。介護保険も保険料は取られているのに使うのには申請したり認定を受けたりしなくてはいけないのだが、介護保険証が届いた時点で私が担当です、なんでも相談してくださいと普段からケアマネさんが一年に一回でも来てくれるシステムだったら、急に骨折で動けなくなっても、どうすればまた家に帰れるかの相談がしやすいだろうにと思う。

しかし、それには国の予算がますます足りなくてそんなことする余裕はないというのだろう。

テレビでどこかの自治体が60代の人に体操を教えて意識を変えて身体を作って10歳肉体年齢が若くなる効果があったとやっていたが、80代、90代にも同じ体操をやらせることに意味があるのだろうか。元気で1週間くらいで死ぬのが理想であってもうちの周りでも毎日散歩や買い物で脚がしっかりしていた人達がある年齢で弱ってくると車椅子になってしまってうちで生活できなくなる人も多い。あまり歩かなくて車でばかり出かけていても、とりあえず自力で歩いていて生活出来る人もいる。

骨折から入院してその後家には帰れないが何年もまだ元気で生きている人も周りに何人もいる。もちろん医療費がかかる。

新しい介護施設は家の周りにもできたが、立派な建物ができても人手不足で半分も使われていない。サービスも限界がある。果たして解消できるだろうか。

 

だらだらと書いてしまったが、初めのいとこの話で家族葬で行われるという電話で参加しますかと聞かれたのだが、その後NHKの朝の番組で最近の葬儀で家族葬でと言ったのにいとこが来てしまったという話題で、いとこは家族ではないから来ないでくれという意味だということだった。まあそれなら終わってから連絡すればいいのではないかと思うが、家族の意味も人それぞれで、葬式のあり方も変わっていくのだろう。

 

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