朝から腰のメンテナンスの体操をいつもの3倍くらい念入りにやったけど、なんとなく痛くなってきている。
立ち上がり歩き出すとき、テーブルに手を着いてそろそろと歩き出す。身体がまっすぐに伸びようとせず、だんだんくの字に曲がってくる。伸ばすと背中が強く引っ張られる。
夕食を作る頃にはもうすっかり伸ばせなくなって、片付けもせずに早く寝る。
3時間くらい寝てから、また起きてお風呂に入り身体を温めて、オイルマッサージをして更にファイティンのクリームを腰に塗り込む。
次の日の朝は寝過ぎたせいか、腰は昨日ほどくの字に曲がることはなかったが、今度は頭痛と神経痛で左の脇が痛い。
とにかく何も痛くない時の身体というのが奇跡にも思えてくる。元気な時のありがたさをもう二度と忘れないと言い聞かせる。
何故こんなにあちこち痛いのか?特に何をした訳でもなく、痛くならないためにヨガやストレッチをやっているはずなのだが、それでも痛くなってしまう。やらなかったらもっと痛いのか?そうかもしれない。
3日目になると全て楽になってきたから。やってなかったら1週間くらいもっとダメだったかもしれない。
起きた時、何も感じずに起き上がるけど、どこも痛くないときがどんなに幸せが嬉しいか、身体が動く幸せを感謝しなくちゃいけないんだよね。
先週、お彼岸のお中日にお墓まいりに行った時、朝にはまだ3分咲きくらいに見えたのが、帰る時には7分咲き以上になっていた。暖かいと一気に満開になっていく。
伯父の家の本郷のお墓は実は桜の木の下にあるのだが、以前はほとんど春のお彼岸には咲いていなくて、秋のお彼岸は毛虫が大発生していて上から糞が大量に落ちてきて掃除が大変で早く切って欲しいと散々伯母は言っていたが、本当にすっかり枝が切られてしまい、せっかく今年早く咲いているというのに枝にわずかに花が付いているだけの非常に残念な状態だった。
でも咲いた後の天気がずっと悪いので長く保っているようだが、今度は寒くて、今日は(火曜日)また頭が痛くなってくる。
月曜日、ベランダの去年の花が枯れたままだったプランターを植え替え、その後でお昼を食べに行く。
なんだろう。地元に食べに行くことができるお店があるってことがこんなに嬉しいのは。
上の桜は帰り道の小学校の敷地の桜。
卒業式には木の下で子ども達が写真を撮ったのだろうか。
今日の東京新聞に野口体操の会代表の羽鳥操さんが創始者の野口三千三について書いていて、彼の言葉が紹介されていたのでそのまま引用させていただく。
何が美しく何が幸せだと感じるのか。感じ方が変われば体は解きほぐされます。些細なこと、つまらないと思われることでも自分が気づいたことを大事にする。
空き地に残された巨樹の幹にそっと触れる。そして見上げる
この木の何分の一かの時間を私は生きている。
気づいたことを大事にし、私の身体もきっと変わっていくと信じて。