近所の桜も咲き始めていた

ちょっと暖かくなったと思っていたら、また冬の下着を着込んでコートを羽織っても寒く感じる。しかし、近所の公園に行ってみたら、もう桜が随分咲いていた。3月21日に東京でも桜の開花がニュースになっていたから、当たり前だが、写真は昨日の曇り空に桜。

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そのニュースで東京の桜の標本木が靖国神社にあるというのを知って、毎年ニュースで言ってはいるのだろうが、今まで気にしたことがなかったのに、今年に限って靖国神社ー桜ー安保法制施行と連想ゲームのようにそして特別に意味があるように感じてしまう。

気になって検索したら、靖国神社の桜の木が標本木に指定されたのは1966年で、それ以前は大手町の気象庁の敷地にあったらしいが、長年観測環境が変化しない場所として同神社を選んだようだが何故その木になったのかは、詳しくはわからなかった。

先日東京新聞を読んでいたら、戦後しばらくは桜のイメージはあまり良くなかったため、ソメイヨシノも今ほどの人気ではなかったが、いつ頃からか日本列島をソメイヨシノが圧巻するようになり、その他の品種が却って少なくなったとあった。

でもそうした桜のブームよりは前に標本木が靖国神社に決まっているようだから、誰が決めたのかとか勘ぐるのは間違いかもしれないが。

それでもしつこく調べると、靖国神社が創建された翌年の明治3年に木戸孝允公によってソメイヨシノが植えられたのが始まりだそうで、戦後は戦友会や遺族らによって桜が寄贈されて現在600本近くの桜が植えられている。例の標本木の樹齢は70年位とあるので、植えられたのはそうした一本ではないかと思える。だとしたら、その一本寄贈した人や団体は知っているのだろうか。そんなどうでもいいことには関係なく、今年も花見の人がたくさん訪れるのだろう。

考え方を変えると、私たちが花見で喜んで盛んに木を植えて増やしているのは、桜が人間にそうさせているのかもしれない。たくさん植えさせて数を増やす。見事に咲いて、見事に散って、その生き方に人間の姿も重ねさせているのは植物の意思であるのかもしれない。

 

その東京新聞の昨日の特報で17日に関西経済連合会の定例会見での副会長の角和夫氏の発言を取り上げていた。高浜原発の運転停止の仮処分決定に対しての怒りを語り、「なぜ一地裁の一裁判長によって、国のエネルギー政策に支障を来すことが起こるのか」と発言したというものだった。

またその翌日の18日に関電の八木誠社長も電気事業連合会の会合で逆転勝訴すれば、住民側に損害賠償請求も考えられると発言したそうだ。

 

何よりも経済優先な世界でトップにいる彼らの発言も忘れないでおこう。

 

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