背中にお日様を感じながら久しぶりの更新

11月に入って、もうお店の前にクリスマスツリーが並んで早すぎるだろうと思っていたのに、もう本当にクリスマスになってしまった。

今年は出かけることもすっかりなくなって、その分思索が深まったという感想をテレビで言っている声を聞くが、私自身はやはり頭がどんどん退化してるんじゃないかと思うくらい、何故時間はあるはずなのに何もできないのかわからない。

 

この前NHKの番組でミスチルが出ていて、新しいアルバムが出たのを知って早速買ってきた。しかし、歌を聴いてもその歌詞が頭に入ってくるのは若い頃のようには全然いかない。もう読むのがやっとの小さい字の歌詞を読みながらそれでもその意味するところをきちんと理解しているわけでもない。番組の中でも歌っていた『Brand new planet』の中の歌詞で”新しい「欲しい」までもうすぐ”というフレーズがある。それを聞く時に今更欲しいものなんてあるか?と言いながらその足で向かっている先はStarbacksで、その理由が25日までやってる3周年記念スターバックスオリジナルデザインモレスキンノートをもらうためだ。そのためにエスプレッソマキアートを飲みに行く。

道の途中の店の前からワムの「ラスト・クリスマス」が流れてくる。私たちはまだ「ラスト・クリスマス」のある世界にいるのだ。

考えてみる。それがなかった世界とあり続ける世界の違い。この歌を聞く時、イルミネーションが輝き、クリスマスディナーをどこかの店で誰かと食べる、そんな風景が当たり前のように見えていた。今までこの時期にいつも聞いていて考えなかったこと。それは本当のラスト・クリスマスなのだろうかと。

スターバックスも席数を限定して12人座れる壁際の長いソファーに対して大抵3人しか座っていない。それ以上は紙が貼ってあって座れないようになっている。おかしいと思うのはそのすぐ後ろの大きいテーブルは隣の距離は10センチくらいなのにテーブルの上に仕切りがあることでそこには12人びっしり座っているのだ。それでも席が全体に少ないので最近は二回に一回くらいしか座れない。

最近、注文のカウンターに並んでいると、前の若い人がメニューを指して、「これは苦いですか?」と聞いているのを二回続けて聞いた。今の人にとって苦いコーヒーは苦手な人が多いらしい。

それから一時期コロナ対策でマグカップを止めていて、すると紙コップになるのだが、店内で飲むといっても蓋が付いていて、せっかくプラスチック削減でストローやめるとか話題になってなのに、こういうところは何故考えないのかと思いながら、注文するときには蓋は要りません!と言わなくてはいけなかった。最近はまたマグカップで出てくれるようになったが、注文するときはあれこれ言うことが多くて大変だ。公園とかにあるスターバックスでは店の前のベンチとテーブルで飲むときは10パーセントの消費税で数メートル離れた店の前のベンチで飲むときは8パーセントの消費税でどちらで飲むかまで考えて答えなければならない。

飲み終わったゴミはまた店内に戻さなければならないだろう。それを家まで持って帰る人がいるとは思えないのだが、どうなっているのだろう。

スターバックスでコーヒーを飲むだけでも色々おかしすぎる一年だったが、世の中はもっとおかしなことだらけの世界になった。そしてそれを言うこともだんだん出来ない時代になってきている気がしている。

23日のスターバックスの店内に戻ると、若い父親が一人でアイスコーヒーを飲みながらまだ首が座ったばかりくらいの赤ちゃんを抱っこしていた。スマホがテーブルの上に乗ってはいるが、赤ちゃんの顔を何度も愛おしそうに見て微笑みかけている。まだ赤ちゃんはあーとも声も出さないで静かにしている。ソファーに寝かされるとまだ寝返りもできないくらいの頃のようで、そのままの姿勢で父親の顔を見ていた。しかし10分くらいして泣き出した。その声は想像していたよりずっと力強く、多分駅ビルのフロアー全体に聞こえるかというくらいだった。

父親はミルクをリュックから出して作り始めた。泣いている間にソファーから落ちたりしないように前に座っていた女性客が抱っこしてあげていて、店員の人も何か手伝ってあげるためにか声をかけていた。

ミルクを飲む間は泣き止んでいたが、その後また泣き出して今度はオムツの交換で近くのベビールームへと入っていった。

若いお父さんと赤ちゃんになんだか何もせずに今まで生きてきてごめんなさいと謝りたい気持ちでいっぱいになる。

 

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