あれこれと

とっくに梅雨入りしているのに、雨が降りそうで降らないと思ったら、日にちが確定するのは9月という事やっぱり梅雨入りしてないかもしれないこの頃。もやっとしている間にも時は過ぎていく。

 

徹夜で国会をやっていてもあまりニュースでも言っていなくて、次の日の午後に国会議事堂前を通ったが、道路の両脇に警察の車両は止まっているが、人はほとんどいない。

最近、ランチに行ったときに、「共謀罪って、私たち関係ないと思ったら、一般の人でも当てはまるかもしれないのね」という話題になって全然関係ないわけではないと一般の人々がやっと思い始めたかと思ったら、もう成立。それすら芸能人の話題や皇室の話題とともにすぐ関心が去っていくのだろうか。 

駅前のビルの大型ビジョンで男の子が駅のベンチの下に黒いバッグを見つけて駅員に通報すると、爆破処理班の装備の人たちがやってきて、警官が少年の頭を撫でながら「ありがとう」という。そして「テロを許さない」のような文字が大きく写る。警視庁の広告が通るたびに流れている。それを見ながら、こうして何度も見ているうちにそれは一つの現実になっていくのだろうかと思う。大抵のかばんは忘れ物で服やらお弁当やらかもしれない。しかし、いつの間にか不審物があると爆弾が当たり前にの社会になっている。その時のためにもテロ等準備罪が成立して安心したというのも国民の半数にとっての現実なのかもしれない。

私の生きている現実とはどんどん離れていくような気がする。

 

嬉しい出来事もあった。 

3年前にメダカをたくさん親戚にもらったのだが、減る一方でついに去年生まれて育った子供が(たった!)1匹に大人が4匹になってしまっていた。最初は色が変わったメダカも混ざっていたのだが、今は黒いメダカだけになった。それが先月に、水草が増えてきたので半分隣の水槽に移したら、卵が孵ってたくさんの赤ちゃんメダカが泳いでいる。毎朝見るたびメダカの赤ちゃんが増えていて、最初の頃のものはもう2センチくらいにまで大きくなってきた。

 

もう一つ。うちの駐車場のライトの上に10年くらい前にツバメが巣を作った。10センチ四方の照明の上なので雛が落ちたりしたが無事に巣立ったと思ったら、次の年だったか雛が孵った後でカラスが襲ってきてそれ以来ずっとツバメが来ることもなくそのままだった。

今年商店街のツバメが巣立った頃になって我が家のその巣にツバメが来た。

長年放って置かれたツバメの巣なのだが、大して補修するとかもなく、すぐ卵を産んで温めているようだ。朝、家の周りに水を撒くときに後ろに回るとツバメの頭が見える。商店街の方は人通りがあるのでカラスに襲われにくいだろうが、裏通りなのでそんなに人通りもない。今度は無事育ってくれるといいのだが。

 

その他冷蔵庫を買い換えた。床に水が漏るようになったので15年くらい前のものを新しくした。数年前に書いたことがあるが自動製氷機が要らないと思っていたので、ないものを探すと今より小さい家族2、3人用のものでシャープのものだけがあった。しかし、今家族4人用の大きいサイズの方が年間電気料金は安いという。なんという矛盾。

大きい冷蔵庫に入ると言っても保冷剤やソースの小袋や期限切れそれも5年くらいの缶詰のお菓子などを捨てたり食べたりして減らしたらサイズはちょうど収まっている。

 

そのうちに電子レンジも続けて使うとモーター音が止まらない。こちらは20年前のものだ。だがやはりオープンレンジというのは今はどのメーカーも大型になってしまっていて、しかも使い方が複雑になっている。自動で作れるメニューが400種類以上あるものもある。一度に3品が10分でできると言われても、使いこなす自信もなく、メンテナンスも操作も複雑になるばかりだ。もちろんただシンプルなレンジでいいのだが、娘がクッキーくらい焼きたいという。何度も電気屋さんに行って各メーカーのものを調べてみたのだが、どうも求めるようなものがない。どうしてもっとシンプルにでもちゃんとしたものを作ってくれないのだろうか。なのでこちらはまだまだ考え中。

 

 

食べられる幸せ

台所からポコポコと言いながらコーヒーの香りが流れ、
イワンのアンチョビキャベツのパンがオーブントースターで温められて、芳ばしくてパンチの効いた食欲を誘う香りが漂う時、
生きる力が湧いてくる。        by私

今月の上旬にお義母さんがデイサービスの送迎中に車によって戻してしまい、汚物処理のドサクサで上の入れ歯がなくなってしまった。

ノロウイルスか、インフルエンザかと心配したが、翌日には元気で大事には至らなかったが、さて食欲はあるのに入れ歯がないので食事ができない。食べたいものが頭の中に浮かんでいるのに、出てくるものがおかゆか雑炊かうどんのローテーションで、何故歯がなくなってしまったのかを翌日にはすっかり忘れている義母にはどうして食べたいものが食べられないのかが理解できずに、食事の度にガッカリしてため息をついていた。
入れ歯を無くして歯茎で食べるとなると、柔らかいものに限られる。
幸いに(なんだかどうかは置いておいて)、デイサービスでは真空調理で歯茎で切れるほど柔らかくなる料理法で、隣の人と同じメニューで同じ見た目のままで、柔らかさだけ柔らかくなるおかずを提供してくれた。
他に一度ミキサーでドロドロのものを再びゼリーで固めて、見た目を同じようにした魚とかもある。
真空調理の切り干し大根の煮物などは美味しいと食べたが、ミキサー後に固めた魚はまずいと言って食べなかったようだ。


15年くらい前、お義父さんが入院していた時に、やはり病院で入れ歯を無くして、ミキサー食が出て来たが、全てのものがドロドロで、器に入っているものだった。味は残っているのだろうが、見た目と舌触りのないものは全く食欲が湧かない。ほとんど食べてくれず、病院が近かったため食事のたびにお粥や雑炊を作って家から持って行った。

最近はそれをまたゼリーで固めて形を整えて魚の見た目にするようなのだが、柔らかくても噛めるのと、ドロドロとではやはり違うのだ。
お米は柔らかく炊けばカレーや、スープや味噌汁をかけても食べられる。お粥に雑炊、うどん、おかずに豆腐、胡麻豆腐、卵豆腐のバリエーション位の食事が二週間。朝に、なると入れ歯がないのと探しているお母さんに雑炊を出して入れ歯ができるまで柔らかいものを食べるしかないと言うと、大きなため息を20回位つきながら座っている。

入れ歯を無くした翌日に歯医者へ行って(幸いにも隣が!歯医者さん)入れ歯を作ってもらい、2週間後に保険で出来上がった。一番初めに型を取らなくてはならず、それが高齢者にはものすごく苦しい姿勢で我慢するのが辛くて、「もう嫌だ、歯はいい」という声にいっそ作るのはもうやめようかとも考えたが、歯医者さんは噛まない習慣になると、筋力も衰えて寝たきりになるリスクも高まりますと言った。確かに2週間の間に急に認知力や筋力が落ちたような気がするのは気のせいだけではないように思えた。

 

美味しいものを口に入れてよく噛んで、それが体に染み渡って行くのを感じる。それは祈りのような儀式とも似ている。

 

忙しいから、時間がないからとこれ一本でエネルギーチャージ終了で食事を済ませることを脳は受け入れてくれるものだろうか。フォアグラのガチョウの如く、ロボットの如く、カロリーや栄養素が正しくても、食べることにあるのはそれだけではないように思う。

 

食べること考えること (散文の時間)

食べること考えること (散文の時間)

 

 入れ歯が入った日に、まだ新しい入れ歯の形状になれず違和感と少しの痛みがありとったり入れたりしていたが、かき揚げうどんを食べた後のお義母さんはものすごく上機嫌だった。

千駄木駅から日暮里駅へ

文京区立森鷗外記念館で特別展『鷗外の「庭」に咲く草花ー牧野富太郎の植物図とともに』というのを開催しているというので、見に行った。

千駄木駅から歩いて5分、団子坂を登ったところにある。

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今はおしゃれな建物だが、森鷗外はこの地に明治25年(1982年)に転居してきて、大正11年(1922年)になくなるまで家族とともに暮らしていた。「観潮楼」と名付けられた屋敷を建て、庭にたくさんの草花を育て園芸を楽しんでいたそうだ。現代のガーデニングに通じる庭づくりであったようで、『花暦』と題する自筆原稿には2月から9月までの庭の70種に及ぶ、草花の開花状況を書き記している。

 

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記念館のカフェで頂いた和菓子。

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建物を出て千駄木駅方面を見ると正面にスカイツリーが見えた。「観潮楼」という名前にあるように、当時はここから東京湾が見えていたのだろう。

来る時に団子坂を登った交差点に旧安田楠雄庭園の標識があり、そちらへ寄ると水曜、土曜が一般公開日になっていて、見学する。森鷗外記念館から来ると入館料が2割引でまたもラッキー。

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「豊島園」の創始者である実業家・藤田好三郎氏によって大正8年につくられた木造2階建の近代和風建築。その後大正12年、安田善四郎氏(旧安田財閥創始者安田善次郎の女婿)が関東大震災で被災したためにこの家を購入した。安田氏は藤田氏に譲られた家を大切に扱い子供達にも家訓としてガラスを絶対に破らせないなどそのままの状態を守ったため、ガラスもすべて建築当初のままであるという。関東大震災第二次世界大戦の被災も免れてほぼ完全に残っている。

その後長男楠雄氏が相続し、平成7年に楠雄氏が逝去するとナショナルトラストに寄贈された。

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正面の玄関は結婚式などの特別な時にしか使用されなかった。

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横の玄関。上の箱は提灯が入っている箱で安田家の家紋は7つの丸

正面玄関のふすまは当初のままで藤田さんの藤の花。

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洋室。暖炉のガスは当初から引かれていたという。

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ピアノの左の箱は自動演奏機?今でも2曲ほどイベントの時には曲を聴くことができる。

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当時のままのガラス越しで見る庭。少し歪みがあるガラスは温かみがあって景色も柔らかく感じるから不思議だ。

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 東西に細長い雁行式という建てかたで、各部屋から南側の庭園を楽しむことができる。

 台所に入ったのは専属の料理人だけで家族は入らなかったとか。

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 ガラスや照明はともかく、冷蔵庫などは実際はいつまで使われていたのか、そこを聞くのを忘れた・・

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 建物を出てから、来た道を戻ろうかと思ったが、せっかくなので一本手前の道から坂を下りようと曲がって行くと、目の前に大きな木が見えた。吸い寄せられるように近づいていくと猫が行儀よくポーズを取っているのでカメラを向けたのだが、シャッターを切る前に猫がこちらにやってきた。

 

 

 

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 こんな距離で目が合った?のかどんどん近づいてきて、ついに足に体を摺り寄せてきたので体を撫ぜるとたちまち仰向けに・・こんなに人懐っこい猫には会ったことがないかも。

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この町は猫に優しい町?なのか、猫が道案内をしてくれた。「私は公園の入り口まで案内するのが仕事なの」と言ってる?

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公園を出てからもう少し歩くことにして、適当に歩いていくと・・

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表通りから入っていったら人がたくさんいると思ったら、谷中銀座だった。

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 千駄木谷中界隈、テレビでよく紹介されていたり名前はよく知っているけど初めて行った町。地図も見ないで適当に歩いただけでも面白いところに当たる。まだ興味のあるところはたくさんあったのだが、時間切れでこの先の日暮里駅までで散歩は終わり。

 

 

 

 

神様のアンテナ

その昔。

ほっぺにくるんとした3センチくらいの透明な毛が生えている女の子がいた。

ゴミかと思って取ろうとしたら、「神様のアンテナだから、取っちゃダメ」と言った。

私にも生えてこないかなと思ったけど、なかなか生えてこない。

彼女はどんなことを受信していたのだろう

そんなことをふと思い出していたら、昨日読んだ本の中にこんな言葉があった。

私は自分の意識を無線機にたとえて考えるようにしている。私は無限のチャンネルを持っていて、チャンネルのチューニングは私に任されているのだ。選んだチャンネルはそのレベルの電波を発信し、また受信する。そして私はその時自分の選んだチャンネルに応じたものの見方や体験をするのだ。言い換えれば、チューニングによって、私たちのものの見方や体験を私たち自身がコントロールすることができるのだ。

   『楽園に帰ろう』 新妻香織

今私の合わせているチャンネルはノイズがいっぱい。

それは私自身が発している周波数でもあるのだ。

上の本の作者は前回書いたブログで触れた人で本を出しているのだが、探したのだが近所の本屋には なかったのでアマゾンで注文した。新書はもうなく中古品のみになっていた。しかも値段は一円だった。幾つかの書店名での扱いもあったがアマゾンの中古の在庫になっているものをクリックしたら、去年Kindle電子書籍購入した残額がまだあって送料含めて200幾らかで購入になった。数日してポストにその本が入っていた。一円では梱包材にすらならないのではないかと疑問符は残る。先日テレビで一円というものの中には情報を引き出す目的でインチキもあるので注意を促していた。今回、ちゃんと綺麗な状態の本が届いてその仕組みがどうなっているのか不思議に思う。

本の内容は作者が30歳からアフリカに5年間旅をしたその最後の1年間の出来事だが、女性がアフリカを一人で横断するというのも驚きだが、アフリカの呪術の世界に触れるという内容に夢中で読んでしまった。

 風の中の枯葉のように大きのものの意志によってアフリカのあちこちに吹き飛ばされながら遠くまで旅をしたという彼女は、そのまま本になっても旅を続けて私の手元まで来たような気がしている。

 

楽園に帰ろう

楽園に帰ろう

 

 

花の話題

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ブログを書くのがずいぶん間が空いてしまった。

先週金曜日の桜。風が吹くと花びらが一斉に舞い散り、思わず心の中で「ああ」とため息が出る。

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私は桜の声を代弁したようなつもりでいても、花びらの方はそんなこと思ってないのかもしれない。

たった一度の自由への旅を、希望と期待とともに空へと飛び立っていく。

このままどこまでもいつまでも飛んでいくことを信じて。

今日は旧暦では3月24日。

西行が「願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」と詠った如月の望月とは旧暦の2月15日ごろとなるが、今年でいうと3月12日だった。通常の季節ではまだ早いことが多いように思うが、西行が亡くなった年には早く咲いたのだろうか。

今年で言えば弥生の望月のころ(4月11日)がちょうどそんな時期だった。

最初の「ああ」というため息は、置いて行かれた私の魂の方か。

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すみれがあちこちから顔を出しているのがとても嬉しい。

藤が今年はたくさんの花房をつけている。

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ツタヤで「フラワーショウ!」という映画を借りてきた。アイルランドの田舎娘が世界最高峰のガーデニング大会”チェルシーフラワーショー”に出て野草とサンザシの木だけを使った庭を作り、優勝する話で、メアリー・レイノルズの実話を基にしている。

庭をつくるのに協力してほしい、植物学者で恋人(その後友人とか)がアフリカに行ってしまい、主人公が追いかけてエチオピアまで行く。そこで彼がアフリカに来た理由というのが、日本人のカオリがエチオピアを緑化するために木の苗を育てて植樹する活動をしているのを手伝うためだという。

映画では無事チェルシーフラワーショーの庭が完成して終わり、二人のその後とその日本人カオリのことも触れられていた。

アイルランドの映画で教えてもらうまで、日本人のカオリという女性のこともその活動も知らなかった。新妻香織さんという方でフー太郎の森基金という植林活動でエチオピアで35万本の植樹を今まで行っているという。

さらに彼女は福島に住んでいて、震災後にふくしま市民発電という市民によって市民のために作られた電力会社も始めたようだった。

 

先週、屋上のプランターにかぼちゃの種と大豆を播いた。まだ芽は出ない。

殿ヶ谷戸庭園とカフェと本

久しぶりに国分寺の駅に行った。北口のすぐ目の前にツインタワービルを建設中で、もうすこし離れているのかと思ったら、本当に目の前ですごく圧迫感がある。

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駅の中のガラスの天井から建築中のビルとクレーンがうっすらと透けて見えているが、私の頭の中では”ジャジャジャ、ジャジャジャ、・・”ゴジラのテーマ曲が流れてくる。

 

駅前の開発は置いておいて、南口から歩いてすぐの殿ヶ谷戸庭園へ行った。

駅前の騒音も中に入るとすぐ鳥のさえずりに変わる。高い木のてっぺんの方に小さな鳥の姿が見えるが、声を聞いても聞き分けられないのが残念。それでもしばらく耳を澄ます。

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水の流れる音にも。

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黄色い蝶がたくさん飛んでいた。廻遊式林泉庭園で一周回ると国分寺崖線を下りて池を横切ってまた登ってくる。

 

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イチリンソウとカタクリ

 

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殿ヶ谷戸庭園は、国指定名勝になっていて、ポストカードによると、大正2年から4年にかけて南満州鉄道副総裁・貴族院議員を歴任した江口定篠の別邸として設けられたが、昭和4年、三菱財閥の岩崎家が買収し、津田さくの設計により、本館、茶室(紅葉亭)などが建てられた。

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駅の反対側へ回ると新しくできた胡桃堂喫茶店へ行った。まだオープンして一週間ということで、ハレの日のランチということでお赤飯をいただいた。

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店内にはクルミド出版の本と、古本の販売もしていて、それらの本がみんな私にとっては興味があるものばかり。思わず5冊も買ってしまう。

 

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ミュシャ展

今年になってから、まだ一度も展覧会の類に出かけていなかった。毎年冬の間は出不精になってしまうが、今年は特に自由に出かける時間もいつも不安があって出かけることができなかった。出かけても、時間までに電車が止まって帰れなかったらどうしようとか、携帯に呼び出しがあるかもとか勝手に自分で自分を縛ってしまう。行動範囲も狭まるばかりだ。何もないことが、却って不安になっていく。

3月8日から始まったミュシャ展へ行ってきた。午後から雨の予報でいつ降るかという空の色だったが、都内の桜はだいぶ色づいて見えた。

ミュシャ展はポスターやアール・ヌーボーの美術展など見に行く機会もよくあるが、今回超大作<スラブ叙事詩>全20作がチェコ国外世界初公開ということで、全く今まで見たことのない作品を見ることができた。6メートル×8メートルの大きさの絵が7点、他も全て大きい作品だった。

これらの作品はミュシャの晩年、故郷に戻り16年かけて描かれたものだが、時代の流れでほとんど公開される機会のないままになっていたという。5年前から去年までプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿にて展示されていて、初めて国外での展示となった。

中で撮影可能エリアがあり、数点は撮影可能となっていた。

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<聖アトス山>1926年405×480cm

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スラブ民族の賛歌>1926年480×405cm

ミュシャのポスター展などを何度も見ているというのに、ミュシャの生涯については今まで知らなかった。成功した後、祖国のためにと自国の歴史を描いたものの、時代遅れとなり、その後ナチスドイツに愛国者として拘束され釈放されたものの、その年に死去している。

以前「ヒヤシンス姫」のポストカードを飾っていたが、ずっと少女の目に見つめられている気がして、別のカードに変えてしまったことがある。それよりもっとはっきりとこちらを見つめている人がどの絵の中にもいる。どんな時代にも目を見開いてみている無名の人がいる。

この人ごみでなく、広い場所でずっと絵を見ていたら、本当に絵の中に引き込まれていきそうに感じるかもしれない。スラブ民族でなくても歴史の中の一人の人間にしか過ぎない。

ミュシャチェコ語の発音ではムハというそうで絵の説明書きにはミュシャ(ムハ)と必ず書き込まれているので、これからはムハと表すようになるのだろうか。その場合アルフォンス、の方の発音はやはり変わるのだろうか。

映像コーナーのビデオで、プラハでの公開は2016年に終了したとあったが、するとその後はどこで公開されるのか決まっているのだろうか?

国立新美術館、国立という名前なのに、観る人は四角いスペースにぎゅっと詰め込まれたようで、横の細いコーナーから奥の部屋に出入りする人がぶつかる動線になっていて、観るのにストレスがかかる。隣の部屋や上下の階でも色々な展示が行われているのだが、もう少しゆったりとスペースを確保してもいいのではないかと感じる。

 

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