文京区立森鷗外記念館で特別展『鷗外の「庭」に咲く草花ー牧野富太郎の植物図とともに』というのを開催しているというので、見に行った。
千駄木駅から歩いて5分、団子坂を登ったところにある。
今はおしゃれな建物だが、森鷗外はこの地に明治25年(1982年)に転居してきて、大正11年(1922年)になくなるまで家族とともに暮らしていた。「観潮楼」と名付けられた屋敷を建て、庭にたくさんの草花を育て園芸を楽しんでいたそうだ。現代のガーデニングに通じる庭づくりであったようで、『花暦』と題する自筆原稿には2月から9月までの庭の70種に及ぶ、草花の開花状況を書き記している。
記念館のカフェで頂いた和菓子。
建物を出て千駄木駅方面を見ると正面にスカイツリーが見えた。「観潮楼」という名前にあるように、当時はここから東京湾が見えていたのだろう。
来る時に団子坂を登った交差点に旧安田楠雄庭園の標識があり、そちらへ寄ると水曜、土曜が一般公開日になっていて、見学する。森鷗外記念館から来ると入館料が2割引でまたもラッキー。
「豊島園」の創始者である実業家・藤田好三郎氏によって大正8年につくられた木造2階建の近代和風建築。その後大正12年、安田善四郎氏(旧安田財閥の創始者安田善次郎の女婿)が関東大震災で被災したためにこの家を購入した。安田氏は藤田氏に譲られた家を大切に扱い子供達にも家訓としてガラスを絶対に破らせないなどそのままの状態を守ったため、ガラスもすべて建築当初のままであるという。関東大震災、第二次世界大戦の被災も免れてほぼ完全に残っている。
その後長男楠雄氏が相続し、平成7年に楠雄氏が逝去するとナショナルトラストに寄贈された。
正面の玄関は結婚式などの特別な時にしか使用されなかった。
横の玄関。上の箱は提灯が入っている箱で安田家の家紋は7つの丸。
正面玄関のふすまは当初のままで藤田さんの藤の花。
洋室。暖炉のガスは当初から引かれていたという。
ピアノの左の箱は自動演奏機?今でも2曲ほどイベントの時には曲を聴くことができる。
当時のままのガラス越しで見る庭。少し歪みがあるガラスは温かみがあって景色も柔らかく感じるから不思議だ。
東西に細長い雁行式という建てかたで、各部屋から南側の庭園を楽しむことができる。
台所に入ったのは専属の料理人だけで家族は入らなかったとか。
ガラスや照明はともかく、冷蔵庫などは実際はいつまで使われていたのか、そこを聞くのを忘れた・・
建物を出てから、来た道を戻ろうかと思ったが、せっかくなので一本手前の道から坂を下りようと曲がって行くと、目の前に大きな木が見えた。吸い寄せられるように近づいていくと猫が行儀よくポーズを取っているのでカメラを向けたのだが、シャッターを切る前に猫がこちらにやってきた。
こんな距離で目が合った?のかどんどん近づいてきて、ついに足に体を摺り寄せてきたので体を撫ぜるとたちまち仰向けに・・こんなに人懐っこい猫には会ったことがないかも。
この町は猫に優しい町?なのか、猫が道案内をしてくれた。「私は公園の入り口まで案内するのが仕事なの」と言ってる?
公園を出てからもう少し歩くことにして、適当に歩いていくと・・
表通りから入っていったら人がたくさんいると思ったら、谷中銀座だった。
千駄木谷中界隈、テレビでよく紹介されていたり名前はよく知っているけど初めて行った町。地図も見ないで適当に歩いただけでも面白いところに当たる。まだ興味のあるところはたくさんあったのだが、時間切れでこの先の日暮里駅までで散歩は終わり。