武蔵小金井駅〜野川〜都立野川公園

今年はお彼岸の間も雨が多かった。お中日の日も雨の中のお墓まいりだった。日曜日も曇り空だったが雨が降っていないので小金井市を歩いてきた。

武蔵小金井駅から少し歩いて黄金の水へ。地下100メートルから天然水を汲み上げて、登録料500円で利用できるとあった。登録しなくてもレバーを押して一杯分だけの水が出てくるので試飲することもできる。水道水には消毒液が入っている。地下水にも地上からしみ込む化学物質が検出されるかもしれない。でも人間の体の60パーセント以上が水分だという。安心して美味しい水が飲めることは当たり前ではないと意識していかないと、いつか飲めなくなってしまってからでは遅い。

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少し坂を下って行ってはけの森美術館まで歩くが、展示入れ替えのため休館中だった。敷地の中に以前カフェがあったのだが、そちらも3月で移転してしまっていて、閉まっていた。庭に入ってみたが、あまり人が入ってこないようで、スズメバチが出てきたので退散した。向かい側にはけの小路があり野川の方へ抜ける。

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野川を挟むように公園になっている。

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こちらは都立武蔵野公園。

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そして野川に沿って歩いていくと西武多摩川線の線路の下をくぐった先が都立野川公園だ。小金井市は都立小金井公園と都立公園が3つもあるのになんでゴミ処理場ができないの?と思うが、公園の敷地のほとんどは隣接する府中市調布市三鷹市武蔵野市の敷地になっているようだ。この辺の地形は複雑に分かれていて地図を見てもわかりにくい。都立公園といっても、生田緑地のような、開発されては困る理由もあるのかとつい勘ぐってしまう。しかし、緑地がたくさんあって羨ましい。バーベキューゾーンでは曇り空にもかかわらず、久しぶりに雨の降っていない休みの日だったせいかたくさんの家族連れで賑わっていた。

野川公園の自然観察園。この部分は小金井市だが、大部分は調布市で、管理事務所の場所は三鷹市になっている。

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帰りは西武多摩川線多磨駅から武蔵境駅に出て帰ってきた。

三溪園へ

先月朝日新聞の配達所のプレゼントに応募して三溪園の入場券をいただいたので、出かけてきた。

今、車だと、中央高速からは羽田方面へトンネルで抜けられるので一時間ぐらいで着く。トンネルを入るまでは天気はまだ悪くなかったが、トンネルを出てみると、曇っていてすぐに雨が降り出した。トンネル内は熱がこもるのでミストが出ているのだが、霧のように見え、そこにヘッドライトの光で目が疲れる。すぐに雨がかなり降り出して今度は前の車のしぶきが後ろに広がりやはり見にくい。疲れてきたので、もう少しで降りるところだったが一つ手前の大黒パーキングに入った。

パーキングまで500度か600度くらいぐるぐると回って降りていく。

昨日の夜のNHKで巨大地震の予報について行っていたが、地震の予報が出たら果たして出かけるのをやめるだろうか。予報が出てなくても湾岸線は走るのが怖い。いくつものトンネルは潰れたら海の下だし、この高さのカーブで揺れて飛び出したら、やはり落ちたら助からないだろうと思ってしまう。今、この瞬間に起こらないことを祈りつつ走る。

パーキングでサンドイッチとコーヒーを食べたら、ちょうど雨も止み、無事三溪園に到着した。

 

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明治から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓(本名 富太郎)が作り上げた日本庭園とのこと。明治39年に一般公開された外苑と私庭としていた内苑には、京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物があり、そのうちの10棟は重要文化財、3棟は横浜市指定有形文化財になっている。

どれだけのお金持だったのか、住んでいる時にこの庭を維持するのにどれくらいの人数や経費がかかったのか想像できない。

上の写真に見えるのは旧燈明寺三重塔。

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同じく旧燈明寺本堂。

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東慶寺仏殿。

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蓮池と鶴翔閣。お盆休みの頃、公開していたのだが今は中は見られなかった。蓮の花も終わった頃。

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隣の睡蓮の池からの鶴翔閣。

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御門。新郎新婦の撮影をしていて、先ほどの鶴翔閣で結婚式を挙げることができるそう。

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臨春閣、紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数奇屋風書院造りの別荘建築。

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旧天瑞寺寿塔覆堂。秀吉が母の長寿祈願のために建てたもの(1591年)で外側の建物のみ移築されている。

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紅葉の頃には全く違った景色になるだろう。

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左側の部分の三畳の茶室は織田信長の弟・有楽(うらく)の作と言われている。

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旧矢箆原家(やのはら・・一度で変換が出てきてびっくり) 住宅。

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時計はちゃんと動いている。

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鬼瓦の隣に桃。

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彼岸花が咲き始めていた。

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臥竜梅。

昔の建築が一度壊しても移築されてまたこうしてちゃんと残っているのを見ると、不思議な気がする。昭和の名建築は200年、300年先、どこかに残るのだろうか。

帰り道は高速を使うのをやめたので、距離では30㎞も短いが時間は1.5倍かかった。

 

 

鉄野錆夫

・・飲む・・

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南部鉄器の鉄瓶。ちょうど一人分のお湯をわかすのに適量で、午後に一人でコーヒーを飲む時にいつも使っている。

湧いたお湯をドリップに注ぎ、空になった鉄瓶は再び蓋を開けたままコンロの上に置いておくとすぐ熱で水分が蒸発して乾く。

それでも写真で見えるようにサビはついてしまう。最初はこれを水洗いしたり、こすったりしていたが、いくらやってもすぐサビがつくので今はやっていない。というか、サビはそんなに体に悪いかというと、もし、このサビがお湯の中に溶け込んでそれを飲んだとしてもどう影響が出るのか気にしてもしょうがないと思えてきたからだ。

昔、テレビの料理番組でおせちの黒豆の作り方をやっていて、「昔はここで釘を入れましたが、今は入れません」というような話をした。ツヤを良くするために入れていたが、体に悪いから今は入れないという意味だったように思う。

鉄分は体に必要だけど、サビは良くないだろう、と思うのは、体が錆びるのが病気の原因だったとかいうようなタイトルの本を以前見かけたせいもある。体がサビないためにはサビをとってはいけないと思っていたような気がする。

そう考えてみると、最近洗面所に置いておいた、銅のコップの中が緑色と黒の汚れが付いていて銅だから、緑青、え猛毒?と思ってネットで調べてみたら、それって昭和の時代の間違った教科書の記載だったみたいで、今では緑青は毒ではないと書かれているのを見つけた。

自分の常識の方が錆び付いてきていた。

アルミの鍋がアルツハイマーの原因だという説も話題になったが、今でもアルミの雪平鍋は活躍中である。

だんだんいいの悪いので相手を変える年でもなくなってきた。

鉄野錆夫とも末永く付き合っていこうと思っている。

星野道夫の旅

先日、本屋さんで星野道夫さんの『魔法の言葉』と言う文庫本を買った。久しぶりに星野さんの言葉が聞きたいと思ったのだ。

 

2011年の1月に『旅をする木』を読んで、星野さんの生き方や感性にとても惹かれた。アラスカの自然のスケールの大きさや、その自然の中のほんの小さな身の周りの移り変わりを感じる視線やその世界観に、読み進めるのがもったいなくて、本当にちょっと読んでは目を閉じて、想像しては私も感じようとしていた。

『魔法の言葉』は講演を集めていて、写真もいくつか掲載されているが、中でよく出てくるカリブーという生き物の写真はなかった。どういう姿かと考えていたら、松屋銀座にて「没後20年 特別展 星野道夫の旅」(8/24〜9/5)がちょうど始まったので、見に行った。

カリブーの大移動のほか、クジラ、ヌー、クマ、オーロラ、ハイダ族の本当のトーテムポールなど本を読んだ後だったので、一つ一つを確認するように見ることができた。

それにしても、講演の記録の最後は1996年5月に八ヶ岳で行われたものだ。スケジュールが詰まっている中で1週間日本に来た中で、講演をしていったようだ。

最後にアラスカに18年もいた理由について語っているが、過去形で語られたようで、その後の運命をすでに受け入れていたような、そんな気がしてしまう。

帰り際に、会場で売っていた『長い旅の途上』という文庫本を買った。

まだ読み始めだが、最初の章の「はじめての冬」から引用したい。

星野さんにとっては18年目の、そして彼の1歳に満たない息子のはじめての冬。やっと歩き始めた息子がベットから落ちて、泣いている時、

それなのに、ぼくは泣き叫ぶ息子を見つめながら、”この子は一人で生きてゆくんだな”とぼんやり考えている。たとえ親であっても、子どもの心の痛みさえ本当に分かち合うことはできないのではないか。ただひとつできることは、いつまでも見守ってあげるということだけだ。その限界を知ったとき、なぜかたまらなく子どもが愛おしくなってくる 

星野さんの言葉は、まるで私自身に言われているように感じる。考えさせられる言葉がいくつもある。急いで読むのはもったいない。これからゆっくりと噛み締めながら読みたいと思う。そして考え続けていきたい。

 

旅をする木 (文春文庫)

旅をする木 (文春文庫)

 

 

 

魔法のことば (文春文庫)

魔法のことば (文春文庫)

 

 

 

長い旅の途上 (文春文庫)

長い旅の途上 (文春文庫)

 

 

調布駅〜野川〜国立天文台

金土日と諏訪祭りがあったのだが、この数年、市からの補助金が北との兼ね合いで減ってしまったらしく、家の前も通行止めにはなったが、どこで何が見られるかも全くわからなくなった。雨で山車もほとんど来なくて、子供の神輿や民謡流しなどもみんな中止になったらしく、閑散としていた。

そんなわけで、日曜日の午後、地元を歩いてみたが、規制で通行止めになっている道路で何をやるでも出店が出てものを売るも雨でほとんどなさそうだったので、目的なくそのままモノレールに乗った。

何故か思いついたのは調布か府中。モノレールの高幡不動駅から京王線に乗り換えて、調布で降りた。こちらもお祭りだったようで、調布よさこい祭りとの看板が出ていた。

賑わっている駅前をさっさと通り抜けてずんずん歩いていくと、深大寺植物園、天文台経由でJRの駅へ向かうバスが通り過ぎて行ったので、その方角を追いかけるように歩いて行った。旧甲州街道から甲州街道へ抜けて武蔵境通りを行くと野川へ出た。

それまで車の多い道を来たので、しばらくは野川沿いを歩くことに。

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川の横に家が並んでいるが、その後ろ側はすぐ崖になっている。

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久しぶりに国分寺崖線に会えて思わず微笑む。私有地で入れないようす。

どこか上がれそうな道はないかと見ながら上がってみるとこんな看板が。

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プラネタリウムのある保育園も珍しいが、国立天文台のある三鷹市では特に力を入れているということなのだろうか。

後ろが駐車場になっていたので入ってみると、確かに視界が開けて、味の素スタジアムらしき姿が見える。

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先ほどの首都防衛高射砲陣地跡というのは特に説明のものはなく、それ以上わからなかったが、この足元辺りの事だろうか。

 家に帰ってから調べると今年の2月の東京新聞の記事が見つかったので貼っておく。

 

【社会】

三鷹の保育園に高射砲陣地跡 歴史まとめ記録集刊行

 
 
 
 
 
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2016年2月9日 夕刊

 

保育園内に保存されている高射砲の台座を指さす柴田直樹さん=東京都三鷹市

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 東京都三鷹市の高台にある保育園の、旗用ポールの根元には秘められた物語がある。このコンクリート製台座は、太平洋戦争中、米軍の空襲に備え陸軍が置いた高射砲のものだった。その歴史を子どもたちに引き継ごうと、園は記録集「高射砲陣地跡が語る戦争の記憶~永久平和を希求して~」をつくった。同園常務理事の柴田直樹さん(66)は「身近な場所にも戦争の跡はある。悲劇を学んでほしい」と訴えている。 (鈴木貴彦)

 この園は社会福祉法人「楽山会」が運営する「椎(しい)の実子供の家」。園庭や裏庭には、直径約三メートル、高さ約一・七メートルの台座が四基ある。各台座には高射砲が設置されていたが、戦争末期、富山県の港に移設され、台座だけが残った。

 高台からは調布飛行場(東京都調布市など)を一望できる。近くの国際基督教大学は戦時中、中島飛行機三鷹研究所があった場所で、高射砲はこれら軍事関連施設を守っていた。一九四五年二月には、米軍機の機銃掃射を浴び、この地で四人が戦死している。

 記録集は首都防衛を担っていた高射砲隊「調布隊」の戦友会の会報などを基に、陣地の構築から米軍機による攻撃、終戦までを詳細につづっている。高射砲の写真、配置図なども収録した。

 柴田さんが昨年七月に聞き取りをした元調布隊中隊長の北作健二さん(92)=金沢市在住=の証言も載せた。激しさを増した米軍の爆撃について、部隊を指揮した北作さんは「B29は高度を上げて飛来するようになり、高射砲の砲弾は届かなかった。米軍は航空写真でどこに何があるのか、みなわかっていた」などと回想している。

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 五七年、当時の鈴木平三郎・三鷹市長(故人)が土地を私費で買い取り椎の実子供の家を開設。台座の近くに平和祈念碑も立つ。

 記録集の発行が決まったのは昨年夏。編集、執筆を担当した柴田さんは「戦後七十年を節目に鈴木スミ理事長(鈴木氏の妻)が『若い世代に伝えたい』と、詳細な記録集の発行を望んだ」と振り返る。

 記録集はB4判百十ページで二千部を印刷。今年に入り、関係者に配ったほか、市内すべての公立中学、高校に配布した。一般の人も読めるように、市内の図書館にも贈呈した。柴田さんは「記録集をまとめて、この戦争がいかに無謀なものだったか、あらためて痛感した。二度と戦争を起こさないよう、この事実を次の世代に伝えたい」と強調している。

 
 

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 その後、三鷹市と、調布市の境で、住所表示を見るたびに行き来していたが、小山のような大きな木の茂ったところを目指して歩いて行った。道路を渡るとどんぴしゃりと国立天文台の入り口。(っていったいいつから私はそこを目指していたというのだろう)

途中、スマホGPS機能を使えば今どこにいるかすぐわかるし、どこに行こうかの最短ルートも教えてくれるだろう。それに年をとったら知らぬ間に付けられてしまうかもしれない。GPSから自由でいられることを楽しめるのも今だけかもしれない。

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登録有形文化財になっている第一赤道儀室。曇り空と建物の古さが妙に馴染む。

中には2人説明の人がいて、曇りでなかったら、扇風機の上の部分の画用紙に太陽の黒点が映るので写すことができたのですが、とのことだった。

黒点と聞いて、思わず、「黒点っていったい何ですか」と質問してしまったが、私が理解するには多分難しすぎたと思った。太陽より温度が低いところという説明に「そうなんですか」と答える。

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夏休みで子供のグループもいたが、広いのでこんなにひっそりとした感じ。蜂に注意とか毒ヘビ注意の張り紙があるが、ここはちゃんとした見学通路。

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こちらも有形文化財の太陽分光写真儀室、別名アインシュタイン塔。こちらは外から見るだけ。

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赤道儀室。やはり国登録有形文化財の建物で天文台歴史館になっている。

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別の建物の展示室でたった一人でミニシアターで宇宙の映画を観る。色々選べたが、「コズミック・ビュー」というのを見た。昔、新星堂の店頭でやっていたイームズのDVDを思い起こすような、三鷹上空から遠くへ離れていくにつれ、地球、月、太陽系、銀河系と宇宙の姿が見られるものでとても面白かった。

ひとつひとつ見るには時間がかかるので飛ばしてしまった。見学コースがちゃんとあるので、子供が小さい時にじっくりくればよかったなと思った。

受付のあった正面の門から出ずに横の門から出るとすぐに三鷹市 星と森と絵本の家があった。国立天文台旧1号官舎を解体して移築したもので絵本の読書室やおもちゃ部屋など小さい子どもたちで賑わっていた。

 

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出口の手前で、木(クサギ?)の花の蜜を吸っている蝶がクロアゲハかと思ったのだが、羽の下部分に黄色い模様が目立っていて初めて見たので家に帰って調べてみた。ナガサキアゲハ

思いっきりズームしてトリミングしているのでボケててわかりにくくて申し訳ありません。

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帰りは、出口のところのバス停でちょうど来たバスに乗りJR武蔵小金井へ。

 

台風の日に水のこと

台風9号が通過中で、朝から雨で、今日は本当は歯医者さんに行く日だったが、テレビでも不要な外出は控えてと言っているので、予約をキャンセルして来週に診察を伸ばしてもらった。おとといも先に来た、台風11号の影響でかなりの雨だったので都内の水不足もここへきて解消の方向へ向かうだろうか。しかし、降りすぎて水源地以外の河川の氾濫や土砂崩れなどが心配である。立川崖線周辺への避難準備情報も出ていた。今まで注意報、警報くらいだったのが、避難準備、避難勧告が身近に出てくるようになってきて、自然の脅威がより過酷になってきているようだ。

水と言えば、最近気になっていることがある。いつの頃からか、夏場の水道の水がいくら使っても水温が下がる感じがなくなった。20年くらい前は貯水槽があったのを、取って直結式にした時に、その頃は真夏でも少し水道を出していると蛇口から出る水がぐっと冷たくなるのを感じていた。当時、私の実家の杉並では生ぬるい水はいくら出しても生ぬるいままでシャワーなどでずっと使っていても変わることはなかったので、感動したのだ。

2011年原発事故の後、東京都の利根川、荒川水源の水道にヨウ素が入っていると騒ぎになって、ホームページを確認した時には、立川市多摩川水系の水であった覚えがある。水源の違いも水の冷たさと関係しているのかと考えていた。

そういえば、冷たくならなくなったと最近感じるようになったのは、たまたま鳥のことを検索していて、ネットで見たブログで朝霞、東村山に導水路というものが作られているらしいと知ったことから、今自分の飲んでいる水がどこからくるものかが、気になり始めたせいもある。

東京都水道局のホームページも震災後のものは無くなっていて、今のものを見ると、平成25年現在ということだが、利根川水系の水が荒川を経由して朝霞浄水場から原水連絡菅で多摩川水系の水がきている東村山浄水場とつながっている。立川市は東村山系の給水地域になっていた。つまり、東村山浄水場では多摩川水系の水と利根川荒川水系からの水の両方が入ってきて、そこから給水されているようだ。

昭和30年以降、東京都はそれまで多くを多摩川水系に依存していたが、急激な需要の増加に対応して、多摩川水系の水から利根川水系へと依存度を移し、今は利根川荒川水系が78パーセント、多摩川水系が19パーセントとある。原水の相互融通のために荒川から東村山浄水場へ揚水するとともに、多摩川水系の水を朝霞浄水場へ自然流下により、補給しているということだった。

平成23年ごろはそうした原水連絡菅のことは知らず最近その存在を初めて知った。計画されて、工事されるのにはかなりの年数がかかっているのだろうが、なかなか分からないものだ。後から調べようと思ってもいつから出来上がって完成していたのか、自分の飲んでいる水が違う水源になっているのかよくわからないことに愕然とする。

 

いろいろホームページを見ていると、「東京水道経営プラン2016」の中に「これまで良好な水質を保っていた多摩川水系では、近年藻類の繁殖によりかび臭が発生しているため、粉末活性炭を注入し対応を行っている」という記載があった。平成18年ごろには小河内ダムでアオコが発生して水道水のかび臭が問題になっていたらしい。

10年も前のことを今頃読んで知るのは遅すぎだが、数年前に自分の地域の水はどこの水と思って飲んでいたのに、知らない間に水道管は繋がって変わっていたのだ。

 東京都では美味しい水、安全な水とピーアールしているが、需要の増える水の対応や水道管の老朽化などで常に工事をして対策をしているのだろうが、蛇口から出ている水は昨日も今日も変わらないように思えるが、わからないところでいろいろなことが変わっているのだと思った。

 

白糸の滝

先週の金曜日、お盆で混むから行くか、行かないかと直前まで迷いながら白糸の滝を見に行ってきた。『日帰り大人の小さな旅』という雑誌に載っていた。「思い立ったらすぐ行ける」と表紙に書いてある通り、前の日に「明日朝4時に出発ね」というと「起きられない・・」と運転手は渋々だったが、それでも渋滞になったらもっと困るというので早起きして行ってきた。

本によると白糸の滝から近い田貫湖は逆さ富士が美しく、また今の時期は朝日が富士山頂に来てさらに湖面に映るというダブルダイヤモンド富士が見られるというので、期待したのだが、それには着いた時間が少し遅かったし、何より曇りで肝心の富士山さえ全く見えなかった。

朝霧高原はその名の通り霧でやはり何も見えなかった。

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田貫湖の右を見ても、左を見てもう〜んどちらに富士山?

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時刻は7時すぎ。そのまま白糸の滝へ向かう。

駐車場があり、車を入れて歩いていくと、先にあったのは音止の滝。

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滝の音がうるさくて曽我兄弟が討ち入りの相談ができないと嘆くとその間だけピタリと止んだという伝説の滝。通路はお土産やさんやお茶を飲むところが並んでいるが、朝早いのでみんな閉まっていた。

少し進むと白糸の滝が見えてきた。

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降りて行って滝のすぐ近くまで行く。マイナスイオンをたっぷり浴びてきた。

高さ20メートル、幅150メートル、富士の伏流水が地層の境から湧き出しているという。

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時刻は8時半。行きは中央高速で河口湖インターから周り、帰りは富士宮道路から新東名で帰った。途中のSAで食事をしてお昼には家に到着した。見えない富士山を一周してきた。

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