先月朝日新聞の配達所のプレゼントに応募して三溪園の入場券をいただいたので、出かけてきた。
今、車だと、中央高速からは羽田方面へトンネルで抜けられるので一時間ぐらいで着く。トンネルを入るまでは天気はまだ悪くなかったが、トンネルを出てみると、曇っていてすぐに雨が降り出した。トンネル内は熱がこもるのでミストが出ているのだが、霧のように見え、そこにヘッドライトの光で目が疲れる。すぐに雨がかなり降り出して今度は前の車のしぶきが後ろに広がりやはり見にくい。疲れてきたので、もう少しで降りるところだったが一つ手前の大黒パーキングに入った。
パーキングまで500度か600度くらいぐるぐると回って降りていく。
昨日の夜のNHKで巨大地震の予報について行っていたが、地震の予報が出たら果たして出かけるのをやめるだろうか。予報が出てなくても湾岸線は走るのが怖い。いくつものトンネルは潰れたら海の下だし、この高さのカーブで揺れて飛び出したら、やはり落ちたら助からないだろうと思ってしまう。今、この瞬間に起こらないことを祈りつつ走る。
パーキングでサンドイッチとコーヒーを食べたら、ちょうど雨も止み、無事三溪園に到着した。
明治から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓(本名 富太郎)が作り上げた日本庭園とのこと。明治39年に一般公開された外苑と私庭としていた内苑には、京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物があり、そのうちの10棟は重要文化財、3棟は横浜市指定有形文化財になっている。
どれだけのお金持だったのか、住んでいる時にこの庭を維持するのにどれくらいの人数や経費がかかったのか想像できない。
上の写真に見えるのは旧燈明寺三重塔。
同じく旧燈明寺本堂。
旧東慶寺仏殿。
蓮池と鶴翔閣。お盆休みの頃、公開していたのだが今は中は見られなかった。蓮の花も終わった頃。
隣の睡蓮の池からの鶴翔閣。
御門。新郎新婦の撮影をしていて、先ほどの鶴翔閣で結婚式を挙げることができるそう。
臨春閣、紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数奇屋風書院造りの別荘建築。
旧天瑞寺寿塔覆堂。秀吉が母の長寿祈願のために建てたもの(1591年)で外側の建物のみ移築されている。
紅葉の頃には全く違った景色になるだろう。
左側の部分の三畳の茶室は織田信長の弟・有楽(うらく)の作と言われている。
旧矢箆原家(やのはら・・一度で変換が出てきてびっくり) 住宅。
時計はちゃんと動いている。
鬼瓦の隣に桃。
彼岸花が咲き始めていた。
臥竜梅。
昔の建築が一度壊しても移築されてまたこうしてちゃんと残っているのを見ると、不思議な気がする。昭和の名建築は200年、300年先、どこかに残るのだろうか。
帰り道は高速を使うのをやめたので、距離では30㎞も短いが時間は1.5倍かかった。