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花の話題

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ブログを書くのがずいぶん間が空いてしまった。

先週金曜日の桜。風が吹くと花びらが一斉に舞い散り、思わず心の中で「ああ」とため息が出る。

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私は桜の声を代弁したようなつもりでいても、花びらの方はそんなこと思ってないのかもしれない。

たった一度の自由への旅を、希望と期待とともに空へと飛び立っていく。

このままどこまでもいつまでも飛んでいくことを信じて。

今日は旧暦では3月24日。

西行が「願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」と詠った如月の望月とは旧暦の2月15日ごろとなるが、今年でいうと3月12日だった。通常の季節ではまだ早いことが多いように思うが、西行が亡くなった年には早く咲いたのだろうか。

今年で言えば弥生の望月のころ(4月11日)がちょうどそんな時期だった。

最初の「ああ」というため息は、置いて行かれた私の魂の方か。

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すみれがあちこちから顔を出しているのがとても嬉しい。

藤が今年はたくさんの花房をつけている。

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ツタヤで「フラワーショウ!」という映画を借りてきた。アイルランドの田舎娘が世界最高峰のガーデニング大会”チェルシーフラワーショー”に出て野草とサンザシの木だけを使った庭を作り、優勝する話で、メアリー・レイノルズの実話を基にしている。

庭をつくるのに協力してほしい、植物学者で恋人(その後友人とか)がアフリカに行ってしまい、主人公が追いかけてエチオピアまで行く。そこで彼がアフリカに来た理由というのが、日本人のカオリがエチオピアを緑化するために木の苗を育てて植樹する活動をしているのを手伝うためだという。

映画では無事チェルシーフラワーショーの庭が完成して終わり、二人のその後とその日本人カオリのことも触れられていた。

アイルランドの映画で教えてもらうまで、日本人のカオリという女性のこともその活動も知らなかった。新妻香織さんという方でフー太郎の森基金という植林活動でエチオピアで35万本の植樹を今まで行っているという。

さらに彼女は福島に住んでいて、震災後にふくしま市民発電という市民によって市民のために作られた電力会社も始めたようだった。

 

先週、屋上のプランターにかぼちゃの種と大豆を播いた。まだ芽は出ない。

殿ヶ谷戸庭園とカフェと本

久しぶりに国分寺の駅に行った。北口のすぐ目の前にツインタワービルを建設中で、もうすこし離れているのかと思ったら、本当に目の前ですごく圧迫感がある。

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駅の中のガラスの天井から建築中のビルとクレーンがうっすらと透けて見えているが、私の頭の中では”ジャジャジャ、ジャジャジャ、・・”ゴジラのテーマ曲が流れてくる。

 

駅前の開発は置いておいて、南口から歩いてすぐの殿ヶ谷戸庭園へ行った。

駅前の騒音も中に入るとすぐ鳥のさえずりに変わる。高い木のてっぺんの方に小さな鳥の姿が見えるが、声を聞いても聞き分けられないのが残念。それでもしばらく耳を澄ます。

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水の流れる音にも。

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黄色い蝶がたくさん飛んでいた。廻遊式林泉庭園で一周回ると国分寺崖線を下りて池を横切ってまた登ってくる。

 

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イチリンソウとカタクリ

 

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殿ヶ谷戸庭園は、国指定名勝になっていて、ポストカードによると、大正2年から4年にかけて南満州鉄道副総裁・貴族院議員を歴任した江口定篠の別邸として設けられたが、昭和4年、三菱財閥の岩崎家が買収し、津田さくの設計により、本館、茶室(紅葉亭)などが建てられた。

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駅の反対側へ回ると新しくできた胡桃堂喫茶店へ行った。まだオープンして一週間ということで、ハレの日のランチということでお赤飯をいただいた。

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店内にはクルミド出版の本と、古本の販売もしていて、それらの本がみんな私にとっては興味があるものばかり。思わず5冊も買ってしまう。

 

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ミュシャ展

今年になってから、まだ一度も展覧会の類に出かけていなかった。毎年冬の間は出不精になってしまうが、今年は特に自由に出かける時間もいつも不安があって出かけることができなかった。出かけても、時間までに電車が止まって帰れなかったらどうしようとか、携帯に呼び出しがあるかもとか勝手に自分で自分を縛ってしまう。行動範囲も狭まるばかりだ。何もないことが、却って不安になっていく。

3月8日から始まったミュシャ展へ行ってきた。午後から雨の予報でいつ降るかという空の色だったが、都内の桜はだいぶ色づいて見えた。

ミュシャ展はポスターやアール・ヌーボーの美術展など見に行く機会もよくあるが、今回超大作<スラブ叙事詩>全20作がチェコ国外世界初公開ということで、全く今まで見たことのない作品を見ることができた。6メートル×8メートルの大きさの絵が7点、他も全て大きい作品だった。

これらの作品はミュシャの晩年、故郷に戻り16年かけて描かれたものだが、時代の流れでほとんど公開される機会のないままになっていたという。5年前から去年までプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿にて展示されていて、初めて国外での展示となった。

中で撮影可能エリアがあり、数点は撮影可能となっていた。

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<聖アトス山>1926年405×480cm

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スラブ民族の賛歌>1926年480×405cm

ミュシャのポスター展などを何度も見ているというのに、ミュシャの生涯については今まで知らなかった。成功した後、祖国のためにと自国の歴史を描いたものの、時代遅れとなり、その後ナチスドイツに愛国者として拘束され釈放されたものの、その年に死去している。

以前「ヒヤシンス姫」のポストカードを飾っていたが、ずっと少女の目に見つめられている気がして、別のカードに変えてしまったことがある。それよりもっとはっきりとこちらを見つめている人がどの絵の中にもいる。どんな時代にも目を見開いてみている無名の人がいる。

この人ごみでなく、広い場所でずっと絵を見ていたら、本当に絵の中に引き込まれていきそうに感じるかもしれない。スラブ民族でなくても歴史の中の一人の人間にしか過ぎない。

ミュシャチェコ語の発音ではムハというそうで絵の説明書きにはミュシャ(ムハ)と必ず書き込まれているので、これからはムハと表すようになるのだろうか。その場合アルフォンス、の方の発音はやはり変わるのだろうか。

映像コーナーのビデオで、プラハでの公開は2016年に終了したとあったが、するとその後はどこで公開されるのか決まっているのだろうか?

国立新美術館、国立という名前なのに、観る人は四角いスペースにぎゅっと詰め込まれたようで、横の細いコーナーから奥の部屋に出入りする人がぶつかる動線になっていて、観るのにストレスがかかる。隣の部屋や上下の階でも色々な展示が行われているのだが、もう少しゆったりとスペースを確保してもいいのではないかと感じる。

 

水とか主要農作物まで経済性とか効率で考えていいのか?

小学校の卒業式でも袴姿の生徒が増えているという。娘も今年大学を卒業するが、成人式の時も「着物着る?」「別に」で写真も撮らず、今回も結局何も用意していない。新しいスーツを買いに行こうね、とは言っているのだが、時間が合わなくてそれも間に合いそうにない。

私は中高、短大とクリスチャンの学校だったので、普段は私服だったが、卒業式の時には学校でガウンと帽子を貸与してくれるのでその時だけが、みんながお揃いとなった。ガウンの下も特別華美な服装ではなかった。

3月7日に水道法改正の閣議決定、3月8日に種子法廃止法案が審議入りとのことで、今なぜそういう法律の改正が必要なのか、考える前にあまり表に出ることもなく変わっていく問題も多い。水も種も生きていくために守っていく必要があるものが、自分で選択することもできなくなっていったら恐ろしいと思う。フッ素水の添加された水は飲みたくないと思うし、在来種の種を守って欲しいと思う。それがいつか選ぶこともできない世界が近づいているように思える。私の飲んでいる水道水も、知らなかったのだが、すでに市町村の水道部門が東京都に一元化されていた。多摩地域では、昭島市羽村市武蔵野市しか市町の水道部は残っていない。

赤字だからと民営化となってしまうこともないとは言えないのだ。

ワイドショーが盛り上がるほど、もっと大きな変化が進んでいる気がしてならない。

 

 

本のタイトルは目に入る、内容は頭に入ってこない、そんな午後のエスプレッソ

昨日のお昼前に電話が鳴った。東京電力の関連会社と言ったのかよく聞いていなかったが、電気代が今の半額くらいになるのですが、と話し始めた。しばらくおとなしく聞いていたが、今の電気代は一万五千円以上ならガス代こみで契約すると云々、夜間の電気代はさらにお安く・・という話しは今までに聞いたことがありますか?と言われて、ありません、だいたい東京電力には・・と言ったら急に怒りがこみ上げてしまい、「原発の処理費用も電気代に上乗せされて怒ってるんです」までいうと相手も「はいはい」と最後まで聞かずにすぐ電話が切れた。勧誘の人に怒りをぶつけてもどうしようもないのに簡単に怒りのスイッチが入ってしまい、自分が情けない。ポスト真実の社会では感情優先の社会だというが、すでに自分もその中の一員になっているのだろうか。しかし、テーブルの上の東京新聞の一面には、電気代の検針票に含まれる原発の処理費用が解説されていて、そんな日にかけてくるのも、間が悪すぎる。あの後も電話をかけ続けて何人かに文句を言われただろうか。

 

夜にNHKためしてガッテンが始まったと思ったら、先週の放送の内容についてのお詫びを言っていた。それを見て、私もあれはまずいと思ったんだと思い出したが、先週見た時にこれは・・・と思ったのに、番組が終わるとそのことをもう考えることもなく過ごしてしまったということにまた愕然とした。糖尿病の改善に睡眠導入剤が効果がある、と言っていたので、ガッテンの放送を今後中止にしてもいいくらい検証すべきこともあると思うのだが、私自身の、これは問題だと捉える感覚が鈍くなってしまっているのだと感じる。

日々なんだかニュースに流されて肝心の大切なニュースがわからなくなってしまっているという不安に駆られている。

国会で森友学園のことが取り上げられている時にも毎日北朝鮮の暗殺事件ばかりをニュースで延々と言っていて、なぜ取り上げないのかとイライラしていたら、やっとどの局も取り上げるようになったと思ったら、今度はそちらに向いている間に共謀罪閣議決定されるかもしれない。

食中毒の原因が焼き海苔だったとか、悲劇のプリンスの生い立ちがどうとか、そういう話題で日常が過ぎていく。

ちょうど1年前のブログで取り上げた、去年読んだ本のタイトルが頭の中で蘇る。

 

いつも手遅れ

いつも手遅れ

 

 

 

plumarrri.hatenadiary.com

 

 

風の音を聴く

今日は春一番。かなりの強風になるようで、こういう日には、風に乗って色々なものが飛んでくる。風がベランダのガラスを揺らし、外からはサイレンが聞こえてくる。春を喜ぶ気持ちより、不安を掻き立てる。

 

あなたは認知症と医者に言われれば、今日から私は認知症となるが、医者や周りが言わない人でも症状はあまり変わらない人もたくさんいる。すでに脳の画像を取るとか、簡単なテストですら受けられる状態でない人もいるし、ちゃんとした診断を受けることはないだろうが、だんだんと生活の上で問題を抱えるようになってくるものだ。

そして介護を受けたいとなった時に面倒くさい手続きや、事業所の選択や判断や契約の内容を理解することがどれくらいできるのだろうかと思う。それらを経なければ受けられないシステムはとても問題がある。今のサービスも受けられる人と受けることもできない人の差はかなりあるだろう。介護が必要でも認定を受けない人たちのことを地域包括支援センターに相談しても自分たちの仕事の範疇を超えているので結局対処する方法は見つからない。

結局、介護保険を申請するのも、そうした判断のできる家族がやるのではと思うが、それも見る人と見てもらう人が一対一ならまだしも、一人で二人以上を見るとしたら、それが離れた場所に住んでいる人だったら、どれくらいのことができるのかと思う。

その保険も来年からは負担が人によっては3割になるとか、要介護度が下がれば自治体に財政支援するというが、歳は取っていくのに、要介護度が下がった結果、今まで受けていたサービスが受けられなくなれば、困ったりまた逆戻りしたりする可能性のほうが高くて現実的な対策なのかと考えてしまう。

 

昨日の午前10時過ぎにJR中央線の中央特快に乗った。途中の駅を通過していくときに、いつもよりゆっくり徐行しているように感じた。電車の時間は定時より朝の混雑の影響で2分ほど遅れているというアナウンスがあったので、いつもならもっとスピードを落とさずに通過するのに、私は運転手さんが恐る恐る駅を通過しているように感じた。中央線にはまだホームドアがない。何かを運転手さんが感じているような気がしたのだ。三鷹駅に着いて、私は反対側のホームで待っていた快速に乗り換えた。今まで乗っていた中央特快は先に発車した。その後で私の乗ってた快速も発車した。

しかし、発車してすぐ数十メートル進んだと思ったら、急停車した。

しばらくしてからアナウンスがあった。先ほどまで乗っていた電車に次の通過駅の吉祥寺で飛び込みがあったのだ。

結局後ろの車両のドアが開けられて乗客はそこから降ろされて平行して走っている総武線に振り替えられた。それに乗って吉祥寺まで行った時にまだその車両は中の人たちを後ろの車両から降ろしているところだった。ホームから半分くらい通過していたが、運転席のガラスが大きくひび割れて穴が空いているように見えた。

午後にスマホで検索すると事故で亡くなったのは若い男性らしい。

運転手さんの気持ちも考えずにはいられない。

 

 

 

多摩センター駅から歩く

「明日は立春です」という朝のニュースのアナウンサーの服装も今日は春めいて見える。おととい信用金庫へ行った時にATMの横に置いてあった広報誌の切り抜きを片手に、久しぶりに多摩歩きに出かけた。

切り抜いておいたのは永山駅・多摩センター駅界隈の案内地図。モノレールで終点の多摩センター駅まで行った。

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デッキを歩くと小田急線と京王線多摩センター駅とつながっている。ロータリーの鉄塔のサビ具合とバス乗り場の屋根とを見るとまわりに大きな建物が立ち並ぶ一方で老朽化が進んできている。

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駅から左へ向かうサンリオピューロランドまでは街並みもテーマパークのようでここだけは人口密度が高い。後は人の気配がグッと少なくなる。この写真の正面右の高いビルはベネッセだ。うちの下の子もしまじろうの人形をいつも持ち歩いてたっけ。情報漏えいの時、図書券を2枚もらった。

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駅前の大通りをまっすぐ来ると突き当りがパルテノン多摩だ。29年目となり施設の老朽化により大規模改修が必要になり、多額の費用がかかると問題になっている。立派な施設や標識などもその後維持していくのは大変なことなのだ。

正面階段を上がるとその先は池と公園が広がっている。建物の屋上からつながっているので不思議な構造だ。そして人と自転車の専用道路がずっと続いていて、自動車の道路を通らないでも街のあらゆるところに行かれるという。専用道路は歩道橋で車道とは立体交差になっている。車道と平行ならまだ方向感覚が保てるが、歩く道はカーブして緑地や団地の中を通っていくのですぐ迷子になってしまう。しかもその道はどこまでも広かったりするし、団地の番号も5−4−3、隣は5−4−2、とかいつも迷子になるのを楽しんでいるのだが、ちょっと不安になってきた。

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どんぐり山。

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真正面に富士山が見えている。ただ、手前の山の上から頭がわずかに覗いているだけなのが多少残念だが。この広いスペースも公園と歩道の中間なのだろうか。

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突き当たりから歩道橋でまだ先が続いているが、下に降りて車道に沿った歩道を歩いた。

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下の道も静かだ。途中、小学校や中学校の横も通ったが12時半頃はお昼なのかどこも静か。うちのそばでは常にビルの工事の音やヘリコプターなど騒音ばかりなのに、ここでは聞こえてくるのは鳥のさえずりくらい。人口密度が低いのだろう。公園の中に集合住宅がゆったりと並ぶようで、20年前の私だったら夢と希望の新しい街に映っただろう。

しかし、自然が周りにあふれている様で、この緑のスペースが実は切り開かれて新しく造られた人工的な感じがして、まるで自分が現代アートの作品の中に入り込んでいる様な気がした。

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豊ヶ丘南公園。

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八角堂。ハード系の美味しいパン屋さんが入っていて、中でパンとコーヒーを頂いた。歩いていたら暖かかったせいで汗ばむくらいだった。ここからまた戻った。

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枝の先に月。

そして案内の地図にあって一番見たかった、平久保(ビリクボ)公園のシイ。東京都の天然記念物のスダジイで島しょ以外でもっとも樹高が高い木だそうだ。2本が一体のようになっている。

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樹齢は500〜600年だそう。写真では大きさが感じられないが、近くで見ると圧倒的な迫力があった。

しかし、この公園はこの木が中心にあるだけだ。周りがすっかり開発されて残された一画のように見える。それはこの巨木にとってはほんの一瞬のことなのかもしれない。

 

 

 

 

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