池田山公園界隈

先週のこと、NHKのニュースで国立に霜がおりました、と朝の出勤風景かバスを待つ人々が寒さに耐えている様子が映し出されていた。キャスターが西の方はこちらより寒そうですというようなコメントを言っていた。そう同じ東京の中にあっても杉並区民や武蔵野市民から立川、八王子はこっちより、3度寒いと言われている。

ならばこちらより紅葉も遅いのだろうと8日の暖かかった日に都内へ行ってきた。

山手線の中はあまり訪れたことがなかったが、先月清泉女子大の本館を見学に行った時にそこが島津山と呼ばれる場所でさらにそのあたりは城南五山と呼ばれる高台があるということを知った。東京都の広報誌に東京のオアシスというコラムがあってそこに池田山公園が紹介されていたので、記事の切り抜きを手に、訪れてみた。城南五山というのは先ほどの島津山、池田山、御殿山、八つ山、花房山があるという。私は今まで家や駅や学校の径路が平らなところばかりだったので、関東平野というのは平らなイメージだと思っていたが、都内の方が急坂に高級住宅街があり、年をとったら歩くのは大変そうと思ってしまうが、住んでいる人はみんな車でお出かけなのでしょうね。

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五反田の駅から案内板に従って歩く。

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歩いていくと「ねむの木の庭」に着いた。旧正田邸の跡地で、美智子様の歌と縁の植物が植えられている。

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さらに5分くらい歩いてい池田山公園に着く。途中のとっても立派な洋館は大使館で、向かいの住宅でも家の玄関をお掃除しているのは日本人ではなく、やはり山手線の内側は別世界のように感じる。

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下には池があり、ぐるりと斜面で囲まれている。

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やはり、都内の方がまだ綺麗な紅葉が残っているようですね。

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岡山藩の下屋敷一帯の地だったのだそう。池をぐるりと回ってみた。湧き水なのかどうかはわからないが、岩から池に水が流れている。

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公園を抜けると入り口の案内板の歩くコースの紹介では目黒駅へのコースが紹介されていたが、反対側を見ると一度下ってまた坂道の先に背の高い木々が見えるので、あちらも山かしらと思って歩いてみた。

f:id:hidamari39:20161212174914j:plain坂の途中で道に置かれていた粗大ゴミ回収シールの貼られた椅子や照明スタンドを見て、思わず回収したい誘惑に駆られながら歩いて行った。

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誰もいない小さな公園。突き当たりは金網にセコムのシールがあり、覗き込むと上の方に人が歩いている気配がするが、よくわからず公園を出る。

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先ほどの池田山公園は品川区だったので、散歩コースの案内も品川区内の紹介だったのだが、反対側に歩いてすぐは港区白金台になっていた。

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やはり高台で、景色も良く見れる。ただほんのちょっと移動するだけなのに本当に登ったり、下ったりでこういうところに住んでいる人はみんな慣れているのかなと(先ほどからくどい)上り下りするたびに思ってしまう。

電信柱に畠山記念館とあり矢印を見つけてその方向に進んでいく。

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「天下人の愛した茶道具」(12月11日まで)という秋季展が開催していた。お庭のみの見学は不可ということで記念館を見学。

お茶の勉強をする人たちで中にはたくさんの人がいた。

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お庭も素晴らしくて、こちらの紅葉もとても綺麗だった。

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先ほどの小さい公園はこの下で、ここを通る人たちが見えていたのだった。ぐるりと回ってきたことになる。

また坂を下って帰ると桜田通りに出る手前のパン屋さんのカフェでお昼を食べた。

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桜田通りにでるともう五反田駅まであっという間だった。

歩いた距離はそんなにないのに、山をいくつも登って下れる山手線の中はすごいと思った。

 

ストレッチは逆効果?と紅葉と巨木

もう1ヶ月以上前のこと。10月の末に寒くなったせいか、特に原因もなかったが、腰が痛くなって、その時は二日おとなしく過ごしていたのに、夜寝返りが打つのが痛くて体が動かせないのがますます筋肉の緊張になってしまい、起きてみると、トイレに座るのが痛くて、思わず叫ぶ。背中が強く曲がって、足もガニ股で体を支える力もなくてテーブルや椅子にすがりながらやっと歩いて洗面台を覗いてみると、その姿は91歳の義母よりもはるかに年老いていた。自分は早々にこんな姿になるのかと、あまりのおかしさについ笑ってしまうが、笑うとなおさら痛い。もう歩いて病院まで行くことも無理と、車ですぐ近くの病院へ行き、レントゲンを撮るのにもズボンを履き替えるのにも一苦労で、そこから車椅子で先生の前に連れて行かれると、「まあギックリ、ですね。家で寝ているのが一番です」ということで薬を処方された。痛み止めと胃薬と体の緊張を緩める薬だった。その薬を飲んで数時間家で寝たら、それまでの緊張で筋肉が引っ張られて丸くなっていた背中と腰と足が伸びた!それはかなり劇的に見た目が変わったので家族も驚いていた。

その後は用心しながら動いているうちに戻っていった。

先月NHKためしてガッテンで腰痛が治る体操をやっていて、寝返りしないことが腰の痛みの原因といい、寝る前に4つのストレッチをやるだけで効果があるという話だった。

早速毎晩やるようにしたのだが、この頃また腰が痛くなってきつつある。

座っているのがいけないようで、立ち上がった後、歩くのが体が伸びない、伸ばすと余計後から痛くなるようだ。

私はもともと硬いので伸ばすことが向いていないようで、ストレッチの基本は痛くないところまで気持ち良く伸ばしてゆっくり深い呼吸を数回するというのだが、ここまで伸ばしてと思うところがすでに痛みを呼んでいるらしい。

緩んだと思っても少しすると反動でよくマッサージで揉み返しがあるが、同じように返って硬くなってくるようだ。また少し緩んだことでそこだけグラグラして支えが効かずに負担がかかって痛くなってくる。

緩めるのがいいのかいっそ硬いままの方がいいのか、ほとんどの人に効果があるというストレッチもやり方がいけないのか合わないのかもしれない。

 

腰痛が落ち着いていた2週間前の日曜日に日野市の百草園に行った。紅葉祭りの期間ではあったがすいていた。すでにピークを過ぎていたのだろう。

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以前は中でお蕎麦が食べられなのに、休業ということで、向かいのお茶屋の団子セットをいただく。

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曇っていて、新宿方面、スカイツリーも見えず。

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百草園を出ると隣は百草八幡宮。百草園の方を見ているところ。

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11月24日の雪がまだあった。(11月27日)

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八幡宮の裏手に登れるようになっていて、上がっていくと(写真は振り向いているので下っている)巨樹がたくさん現れた。

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シイノキが群生している。写真では大きさが伝わらないが、どれくらいの樹齢なのだろう。見事な巨木で感動した。

 

11月24日初雪

まだお向かいの家の屋根にはうっすらと雪が残っている。初雪の観測は54年ぶりという。

NHKで23日の夜に絵本作家の甲斐信枝さんという方のドキュメンタリーを見た。

私は知らなかったのだが、『雑草の暮らしー空き地の5年間』『のげしとおひさま』など観察や科学に基づく「科学絵本」を描いている方で85歳の今も京都嵯峨野の野山で何時間も足元の植物をじっと観察してスケッチする。絵本でのげしの種が風に舞う時に草と草の僅かな空間を渦巻くように周り中が四方へ飛んでいく様子が描かれている。それを実際にスローカメラで写してみると本当にその様子が見ることができた。一瞬の様子をひたすら観察することで細かい種の一つ一つもちゃんと描き込んでいることに驚かされた。

番組の中で甲斐さんが草が教えてくれたことについて

「細かなことにガタガタ言うな

 安住せよ

 ちゃんと時間が解決する」

というふうなことを仰っていた。

この言葉を聞いた瞬間、私は自分の問題に対する答えがわかった気がして、そうなんだ!と感動したのだが、もう言葉では何が解決したのか言い表せない。

ただ「安住せよ」と言われた時に私にその言葉が向けられたように思えた。草が生きるように、私も生きろと。それが答えだと。

どんな風に生きるのかは私も草から教えてもらわなければならないのだろう。

旧島津侯爵邸

清泉女子大学本館は島津家の邸宅として大正6年に完成した洋館で、都指定有形文化財になっている。6日に一般公開されると東京新聞で読み、訪れた。

場所は五反田、大崎、高輪台から徒歩10分、品川駅から徒歩15分。通称島津山と呼ばれる高台にある。高輪台から歩いたが、ビル一つ分先の道を曲がってしまったら、どんどん下ってしまい階段を上って正しい方へ戻ろうとするが迷ってしまい、道を聞く。地図では平面だが、実際にはすごい高低差があって、学校だから大きな建物ですぐわかると思ったら、ここら辺はみんな大きな家やそれらしい雰囲気のある建物ばかりだった。

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下の道からは建物は見えなかった。門を入ると長い坂道。

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東京新聞の記事を引用。

 旧島津邸は1917(大正6)年に完成。鹿鳴館や神田のニコライ堂を手がけた英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852〜1920年)による晩年の傑作と言われる。地上2階、地下1階のレンガ造りで、延べ面積は約1800平方メートル。ルネサンス様式を基調とした外観は、壁に白いタイルを使い、曲線的に張り出した2層のベランダが特徴的だ。

 戦後、連合国軍総司令部GHQ)の管理下に置かれ、日本銀行の所有を経て62年から同大の校舎として使われている。

 

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玄関の上部のステンドグラスに島津家の家紋が見える。

改修工事のために正面玄関の塗装を剥がしたところで今だけ白木の素材と草花の彫刻が浮き出てはっきりと見えるとのことだった。

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行くまで知らなかったのだが、この日はフォトコンテストイベントというものが行われていて、この後に学生が大島紬の着物を着てモデルとなり写真家による人物撮影指導で男性の撮影者がたくさん入ってきて上の写真の花は倒れていたり、階段のカーペットに庭から来た人の靴の泥が落ちていたり、片付けに回っている人が大変そうだった。

竣工100年記念として去年から年に何回か撮影のために特別公開されていて、毎年コンテストをやっているらしい。

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受付から入ってすぐ左手に礼拝室がある。各部屋にもマリア様や壁には十字架がかかっている。ステンドグラスの島津家の丸に十字の家紋はキリスト教と関係はないのだが、雰囲気があっていて、今の学校のためにデザインされたかのようにも見える。

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各部屋は今でも学長室、会議室や教室として使われている。

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 奥庭に出たところ。

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 フウの木。その他見事な木がたくさんある。

 

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はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

1. はてなブログを始めたきっかけは何ですか?

 文章を書いてみたいと思っていた。どんな種類のブログがあるか書いてある本を買って、紹介されていた中から無料のブログを3つくらい取りあえず書いてみた。はてなのブログとダイアリーを同時に始めたところ、ダイアリーの方だったと思うが一ヶ月毎日続けるように指示されて、書く内容も大してないのに毎日続けていたら、星をいただいた。そうして続けるうちに、自分が書きたいことが出てきたり、他の人のブログを読むことが、他のブログでは方法がわからなかったが、はてなでは容易に購読ができて、すごく感化された。読むことによって、自分でもブログを書いていきたいと思うようになったところがある。きっかけは携帯でも誰でもブログが書けるようになったから始めたのだが、一ヶ月毎日書き続けなさいなんて言われなければ書き続けることはできなかったと思う。人に指示されるのは嫌いだが、言われると素直に従ってしまう性格もあっていたのだろうか。他に始めたブログは結局続いていないのでブログを続けるきっかけを与えてもらって、感謝している。

それと、私が始めたのは2012年の3月からだが、震災後1年経って周りの人との会話ではあまり言いたいことをストレートに言えない感じがあった。その頃、はてなの社員旅行で被災地に行き旅館に泊まりに行って考えてるテレビを見て、他のブログと少し違うのかなと感じた。ブログにも震災後の自分、という感覚がありはてなに惹かれた気がする。

2.ブログ名の由来を教えて!

 地元にある国文学研究資料館鴨長明の時代という展示を見たときに、昔の人の日記のタイトルだったのを借用。

3.自分のブログで一番オススメの記事

 他の方のブログならいくつもある。心に触れられるというか、ぎゅっと捕まれてしまうものがある。いつか自分もそういうものが書ければいいと思う。

 なので、オススメと言うようなこれを読んでください、と言えるようなものではないが、自分がブログを書いている理由として、

plumarrri.hatenadiary.com

 ストレートなタイトルのままですが、もんじゅも再稼働もやめて、納得のいく廃炉の方法が決まるまでブログでつぶやいていきたい。

4.はてなブログを書いていて良かったこと・気づいたこと 

はてなブログの購読ボタンのお陰でブログを継続的に読むことができるようになった。色々な世界をブログを通して見ることができ、ブログが読めて良かったということは書いていて良かったよりはるかに大きい。

はてなブログを書いていて良かったのは続けられたこと、だけど最近はペースがどんどん落ちてしまっている。 

5.はてなブログに一言

で、限定オリジナルグッズがもらえるというキャンペーンにつられて書いている。

お題で書かされるって、あの苦手だった小学校の作文が蘇ってくる。 

 

でも欲しい。いつもそうして書くことができるのもやはりはてなのお陰です。5周年おめでとう!これからも、お世話になります。ありがとうございます。

今日の日没は4時59分(東京)

せっかく秋らしい陽気になったというのに、一昨日から腰が痛くなって外出もできない。家の中で座っていても、横になっても、辛い。サーノ博士によれば腰痛の原因は怒りを脳が痛みに変えてその怒りに気がつくことから気をそらしているのだというが、私は確かに怒っていると認めてみても、残念ながらまだこの痛みはなくならない。

腰痛になるたびごとに増えてきた湿布やら、ファイティンのシールにスパイラルテープを貼って、強力マグネット付きの腰ベルトをして、そろそろ動いている。

 

先日電話で東京電力ですが、電気代がこのお電話で一万円くらい安くなるのですが、という勧誘があった。このお電話で今「はい」といえばすぐに電気代が安くなるのだという。

その昔、なんでも電気が一番と暖房、冷房、便利な電化製品もっともっとなんて考えていた時代、自分が愚かだったと感じていても、今の自分の生活はそこから大して変わっていない。未だに同じ暮らしをしている。どんな方向へ向かっているのだろうか。

「まず、スマートメーターに変えたくないんです。」

スマートメーターにしなくては新しい契約にはできないことがわかっている。相手はいずれにしろ古くなったら、メーターは全て新く変わっていくのだから、今ではなくても変えないことはできないんですが、と言う。

そのままで変えないという選択肢は残されていないのだろうか。

「新電力も検討したいんですけど、電源開示が義務ではないから、わからないところもあるし、送電線を分離してからではないと公平な競争もできないから、まだ考えてるだけですけど」

というと、そうですかといって電話が切れた。

夫に言うと、それでも安くなるんならスマートメーターにしてもいいんじゃない、という。もちろん安い方がいい。でもスマートメーターになるとうちで使った電気の量が一時間ごとに送られて、監視されてるようなもんだし、気がついたら管理されてるかもしれないよ、というと誰もうちのことなんか監視しないし、と言う。その通りだろう。

昨日ポストに入っていた電気代の明細で再エネ賦課金が8%くらいだった。さらにこれから原発廃炉の費用もどんどん上乗せされていくらしい。

多分、これも怒りの一つだろう。

 新聞の折込チラシに入っていた通販生活の掃除機をちょうど20数年前のものが壊れたので買い換えた。しばらくすると新しい冊子が送られてきた。パラパラとめくりながら付箋をつけた。その付箋のついた本を眺めて自分の欲望がまだこんなにあるんだと思い知る。

20分で家族4人分の根菜ポタージュやおかゆが作れるスープメーカー、残りご飯が翌日まで美味しい陶器のおひつ。横になるなりたちまちぐっすり眠れる枕、腰痛も治るマットレス・・・・・とりあえず数日その本を眺めつつため息をついていると、昨日読んだ星野道夫さんの本が私に語りかけてくれる。

「ニーズ(本当に必要なもの)とディザイア(欲しいもの)はずいぶん離れているものだと思う・・・」 

 父親のマイクがふともらした言葉が心に残った。ディザイアの海の中で暮らす僕たちにとって、この家族の日々そのものが新鮮だった。(『長い旅の途上』(P.65))

ここまで動くのがこんなに大変になったことはなかったが、頂点まで行けばあとは降ってくるだろう。廃炉の道のりに比べれば一瞬の短さだ。私の一生も含めて。

 

高尾599ミュージアム

ブログ日数 継続期間
555 記事 514 日 55 ヶ月
前回の記事が5が並んでいたので記念に。日数は揃わなかったがなかなかの数字。

ブログに上げるのがすっかり遅くなり、前後してしまったが、10月7日に電車で高尾山へ行った。立川だと都内へ出かけるよりも近い。だけどなかなか訪れたことがないのだが、少し前にブラタモリでも高尾山へ行っていたのを見てまた足を運んでみた。

高尾山口の駅からすぐの、この間来た時に行かれなかったTAKAO 599 MUSEUMに行ってみた。

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カフェと展示室などがある。

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映像展示の壁にちょうどプロジェクションマッピングが始まる時間だったのでそちらを見学した。

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壁に色々な動物、野鳥がいるのだが、野鳥の幾つかは剥製で幾つかはカービングの作品ということだった。私にはそのカービングの野鳥がちょっと小さく思えたので、実物大ではないのかどうか聞いてみたが、説明してくれた人は大きさはよくわからないみたいだった。

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カフェでコーヒーを頂いてから、ケーブルカーで山頂へ。

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登ってすぐの紅葉は少し色づいていたが、その他はまだまだだった。

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ちょうど青空が覗いて、都内から横浜方面まで見渡せる景色を見ながら、とろろそばを頂いた。綺麗な蝶が飛んでいるのが見えた。歩いている時も2匹くらい見かけたが、後で調べたら、アサギマダラのようだったので写真に撮っておけばよかった。

お昼過ぎだったのでケーブルカーで登って行く時はガラガラだと思ったが、幼稚園生や小学生など子供の団体もたくさん来ていて、みんなが帰る時間になっていたようでケーブルカーも増発して着くとすぐの折り返し運転をしますと放送していた。

薬王院まで1キロくらい歩いて行くと、ちょうど法螺貝を吹きながら僧侶の列がお堂へ入っていくところで、中で護摩が始まったようだった。

境内の所々で輪をくぐったり、石を回したり、お参りするのに色々とすることがあるようで人々が一つ一つに並んでは、まるで体験型テーマパークのように楽しんでやっていた。

薬王院の手前の参道にはずらりと奉納の人たちの名前の板が貼ってある。氏名と杉の苗何本と書かれていて、杉の苗はそんなにいらないだろうと思ったら、実際の苗を植えるわけではなく、山林の保全に使われると書いてあった。すると一本いくらかとつい想像してしまうのが悪いところだ。最後の一番薬王院に近いところになると板の大きさもぐっと大きくなる。京王電鉄北島三郎の名前があった。

この日は、山頂までは行かずにここで折り返して帰ってきた。

 

 

 

 

 

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