今日の日没は4時59分(東京)

せっかく秋らしい陽気になったというのに、一昨日から腰が痛くなって外出もできない。家の中で座っていても、横になっても、辛い。サーノ博士によれば腰痛の原因は怒りを脳が痛みに変えてその怒りに気がつくことから気をそらしているのだというが、私は確かに怒っていると認めてみても、残念ながらまだこの痛みはなくならない。

腰痛になるたびごとに増えてきた湿布やら、ファイティンのシールにスパイラルテープを貼って、強力マグネット付きの腰ベルトをして、そろそろ動いている。

 

先日電話で東京電力ですが、電気代がこのお電話で一万円くらい安くなるのですが、という勧誘があった。このお電話で今「はい」といえばすぐに電気代が安くなるのだという。

その昔、なんでも電気が一番と暖房、冷房、便利な電化製品もっともっとなんて考えていた時代、自分が愚かだったと感じていても、今の自分の生活はそこから大して変わっていない。未だに同じ暮らしをしている。どんな方向へ向かっているのだろうか。

「まず、スマートメーターに変えたくないんです。」

スマートメーターにしなくては新しい契約にはできないことがわかっている。相手はいずれにしろ古くなったら、メーターは全て新く変わっていくのだから、今ではなくても変えないことはできないんですが、と言う。

そのままで変えないという選択肢は残されていないのだろうか。

「新電力も検討したいんですけど、電源開示が義務ではないから、わからないところもあるし、送電線を分離してからではないと公平な競争もできないから、まだ考えてるだけですけど」

というと、そうですかといって電話が切れた。

夫に言うと、それでも安くなるんならスマートメーターにしてもいいんじゃない、という。もちろん安い方がいい。でもスマートメーターになるとうちで使った電気の量が一時間ごとに送られて、監視されてるようなもんだし、気がついたら管理されてるかもしれないよ、というと誰もうちのことなんか監視しないし、と言う。その通りだろう。

昨日ポストに入っていた電気代の明細で再エネ賦課金が8%くらいだった。さらにこれから原発廃炉の費用もどんどん上乗せされていくらしい。

多分、これも怒りの一つだろう。

 新聞の折込チラシに入っていた通販生活の掃除機をちょうど20数年前のものが壊れたので買い換えた。しばらくすると新しい冊子が送られてきた。パラパラとめくりながら付箋をつけた。その付箋のついた本を眺めて自分の欲望がまだこんなにあるんだと思い知る。

20分で家族4人分の根菜ポタージュやおかゆが作れるスープメーカー、残りご飯が翌日まで美味しい陶器のおひつ。横になるなりたちまちぐっすり眠れる枕、腰痛も治るマットレス・・・・・とりあえず数日その本を眺めつつため息をついていると、昨日読んだ星野道夫さんの本が私に語りかけてくれる。

「ニーズ(本当に必要なもの)とディザイア(欲しいもの)はずいぶん離れているものだと思う・・・」 

 父親のマイクがふともらした言葉が心に残った。ディザイアの海の中で暮らす僕たちにとって、この家族の日々そのものが新鮮だった。(『長い旅の途上』(P.65))

ここまで動くのがこんなに大変になったことはなかったが、頂点まで行けばあとは降ってくるだろう。廃炉の道のりに比べれば一瞬の短さだ。私の一生も含めて。

 

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