前回、前々回と写真を見ていると、武蔵野の風景の中にいかに水が豊かにあるのかということを感じるのだが、果たしてそれはとても奇跡のように貴重な地球の不思議であると思うようになってきた。
その理由は今図書館で借りている、ライアル・ワトソンの『水の惑星』という本を読んだせいだ。図書館の本を家で簡単に予約できるのはいいが、取りに行って予約した本を手に取ってみたら大型の本でとても重くて、さらにもう一冊あったので、その他の用事は諦めて本だけ抱えて帰ってきた。
一ページ毎にジェリー・ダービシャーの美しい写真があり定価が4500円となっている。
この本を読んでいると、私たちの意識では水はタダであたかも無限にあるような気がするのだが、本当はそうではないことがわかってくる。
地球に水が存在するためには宇宙的に偶然が重ならなければ存在しない。また水分を保つためには太陽からのちょうど良い距離が必要であること。
水は液体でも個体でも気体でも水であって、大地から海へ、海から大気へ、そして大地へと循環を繰り返している。その量は等しい。もし水素と酸素に別れてしまったら水素は軽くすぐ宇宙へ消えてしまうのだろうか。それを考えると大気の成分には、増えて問題になっている二酸化炭素で0.03%だが、水素はほとんど含まれていない。地球上の水だって無限にあるように考えてしまうけれど、確かに石油よりははるかに多いかもしれないが決して無限ではないと強く感じるようになってきた。
ちょうど昨日は燃料電池車のニュースをやっていて、私もこの前まで、次に車を買い替える時にはは水素エネルギーの車が普及している、と思っていた。
なんでも消費してしまうという考え方は大きく転換して、循環したサイクルの中で生きていくことを考えなくてはいけないという危機感が迫ってくる。
多摩川河川敷の工事が続いている。