新聞に紹介されていた、このタイトルに惹かれて、明治大学の博物館特別展示室で行われている、「見えているのに見えていない!立体錯視の最前線」という特別展を見に行った。
錯視というのは私たちは網膜に映った2次元の立体の画像を3次元立体として知覚していて、脳による視覚情報の補充をおこなっている。そこに錯乱が起きている状態が錯視という。
作品はだまし絵を立体化したもの、ボールを置くとありえない方向に動く立体、鏡に映すと全く違って見える立体などいろいろ展示されていた。
ある視点から見ないとその形に見えないものは写真で撮るのは難しかったので、わかりやすいものだけを少し写真に撮ってみた。
これは形はそのままの階段なのにタイルの貼り方で真っ直ぐでないように見える。
これらの図形は鏡に映っていると、全く別の形に見えている。
視点をずらすと幾分かわかるが、まだ不思議な気がする。
大学の先端数理科学院スティテュート企画ということで、数理的解析によって、計算されて立体を作るらしい。と聞くとなんだかすごい。逆に言えば、数理モデルを解かなければこういう立体は作れなかったということなのだろうか。ちょっと工作用紙で立体を作っているような作品もあるのだが、今までは作ることが不可能だったのだ。
タイトルに惹かれたと言ったが、私の最近考えていることがそのフレーズだったのだ。
見えている、というのは網膜には写っているのだが、見えていない、というのは脳が認識できないものは、見えないということについて考えている。この展示で3次元の立体を網膜は2次元で写して、それを脳が情報を補充して知覚するということだったが、では4次元や5次元の図形を認識することができるのだろうか。
もしかしたら、私が見ている世界にすでに存在しているものなのに、認識できないために、見えていない、そんなものがあるような気がして、今日も空を見上げるのだ。