東京新聞の集金の方からもう期間が迫ってますが要りますか?と「英国の夢 ラファエル前派展」のチケットを頂いた。ありがたく頂いて早速行ってきた。
渋谷はちょうど一ヶ月ぶり。前回と反対側から駅を出たものの同じような駅前の大工事でそっくりの景色、駅前の地図表示の看板を見ても方向が全くわからない。
渋谷では行く交差点はみんなスクランブルだった。平日の昼間でもこんなにたくさんの人がいるのは本当に驚き。場所はBunkamura ザ・ミュージアム。こちらも10年以上ぶり?か。東急デパートの方を通り抜けると、中はすいていた。そこで見つけた昭和39年当時の渋谷駅前のジオラマ。そうそう、これが今でも私の頭の中の渋谷。懐かしい。道に迷うのは歳のせいだけじゃない。複雑になりすぎているだけ。
さて、ラファエル前派展の作家達は有名な人も多く、地元の本屋でも画集やハガキ集を売っているが、展示されていたのはまだ見たことのない絵ばかりだった。
その中でジョージ・フレデリック・ワッツの「《希望》のためのスケッチ」という作品に出会った。「希望」という作品は個人蔵のものとテート美術館とあり、そのためのスケッチになるらしい。ウォーカー アートギャラリー蔵の油彩・カンヴァスの絵だった。
「地球の上に座り一本を残して全てがちぎれた竪琴を弾く、両目に包帯をした希望の絵。
彼女は全力を尽くして微かな音に耳を傾けながら、能う限り全ての音楽を奏でようとしている」
全体的に青い色でその絵の前にちょうどあったソファーに腰掛けてじっと見ていた。私もその微かな音を聴き取らなければと耳を澄ませる。
一弦で奏でる全ての音楽。今も奏でられているのかもしれない。ただ聴き取ることができなかっただけで。
当然のように私の心に深く印象をつけたその絵の絵葉書はなかった。
冒頭の写真は、その後原宿の駅まで歩いて行ったら、偶然、駅前に見つけた橋。
青い空に青い地球。いないのは「希望」だけ。
ちょうど今、寝るときに一話づづ読んでいる、アントニオ・タブッキの「いつも手遅れ」の目次に「ただ一弦のハープは何の役に立つのか?」という一遍を見つけて、そのタイトルにものすごく惹かれたばかり。
物事はどう進んでいくのだろうか。そして何に導かれるのだろうか。何でもない小さなことだ。(P.123)
本の中に出てきたハープの独奏曲「ハープ・ソナタ・ト短調」をユーチューブで聴いた。
おまけ。Bunkamuraからの帰り道にユーロスペースを見つけた。(これも偶然)しかも人魚に会える日をまさに上映中だったのだ。朝、仲村颯悟さんのことを新聞の記事で読んで観たいと思ったばかりだったのだが、映画を見る時間はなく帰ってきた。