後のことは考えず、作り続けるのはなぜ、簡単に壊すのはなぜ

今年の風邪は結構長引く。先週の日曜日の夜、寝ていて喉が唾が飲み込めない痛み→咳→鼻水→熱→頭痛→腕が痛くなる→少し楽になる→夜にクーラーつける→また喉が痛くなる→痰がつまる(イマココ)。これからもう一巡しそうな気配。

 

今テーブルの上には、チョウセンブナの子供の入ったガラスの鉢とメダカの子供を入れた15センチ四方くらいの水槽がある。メダカの水槽には水草と黒い小さいタニシのような貝がいて、水槽に着いたコケを食べているのだと思うが、昨日見た時はそれが5、6匹水槽の真ん中あたりで浮いていて、泳ぐというのだろうか、体の向きは保ったままの形で上に行ったり、下に沈んだりしていた。エレベーターが上がったり下がったりしているような図で、すごくシュールな絵だった。

チョウセンブナの方は何匹かは5ミリくらいの大きさになった。1ミリくらいの時にたくさん葉っぱの上に乗っていたのだが、急に減ってしまったように見える。自然に死んでしまったのだろうか。

 

最近駅前の建築中の高層マンションやおしゃれな雑貨屋や花屋や飲食店の入った駅ビルを見ても、どの駅も同じような景色になってしまったことにどうも気持ちが暗い。本当はお洒落なお店を見て、購買意欲でも湧けば楽しくなるはずだと思うのだが、どんなに美味しそうなケーキでももう変わらない。朝ドラを見ていても思うけど、そういうものはやはり誕生日とか特別だから価値もあるように思う。値段もあるが、普段の気持ちとは別のものだと思う。それが毎日見せられているうちに、その気持ちすら持てなくなってしまう。

或いはこの先20年後の風景がすでに見えているせいか。もちろん未来など見えないけれど、20年先にこの中のお店や建物がどれくらい残っているのか。もしかしたら、何も残っていないかもしれない。そんな景色が見えてしまうのだろうか。

 

スカイツリーができるのを楽しみにしていた人たちは、もう一度以上は行っているでしょう。私はまだ行っていない。オリンピック誘致の時に応援していた人たちは、まだその時を楽しみに待っているでしょう。

新しいマンションに入ることを楽しみにしている人もいるでしょう。

見えないものが見えるのではない。

今見えているものが、消えていくようなそんな中で生きているような気がしている。

火災、爆発、原発、噴火、戦争、夏の終わりは現実が揺らぐ

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