戦後日本住宅伝説展

もう終わってしまったのだが、先週の土曜日に八王子夢美術館に行った。「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」を見てきた。

丹下健三から安藤忠雄さんまで16人の建築家が1950年代から1970年代に建てた住宅の模型やビデオ、タペストリーの展示があった。

タペストリーは撮影可だったので、いくつか撮ってきた。

広い家ではなく、むしろ狭いくらいの住宅や、土地に形が変形な所に工夫してそこに個性を強調したいる住宅は見ていてとても面白い。

自邸や家族の家も多かった。実際に生活している感じがとてもいい。自分の作品の中で生活するということは、その建築家の思想があらゆるところに現れているのだろう。

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伊東豊雄 <中野本町の家>1976年。現在はもうない。

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黒川紀章 <中銀カプセルタワービル>1972年。テレビや電話にSONYの文字が目立つ。

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安藤忠雄 <住吉の長屋>1976年。

いろいろな住宅があるのだが、住みやすいのかと考えると床が石では年取って転んだら、骨折しそうとか、吹き抜けから子供が飛び出して落ちそうとか、階段が手すりがなくて不安そう、とかそんなことばかり考えてしまうのだが、そういうことも(不便さのようなもの)含めての建築家からのメッセージのこもった家であると感じる。

以前安藤さんがNHKの昼の番組で、自分はマンションに住んでいて、住むにはそのほうがいい、と話していた。自分で自分の自宅を設計しようとは思わないと。なんでも率直に話してしまう人柄がいいと思った。

50年代から70年代に建てられた家の中にはもうなくなってしまったものもある。また今はすっかり周りがマンションに囲まれて埋もれたように見える家もあった。

まあ、自分が住める可能性などないが、写真で見るだけでも家っていいなと思えてくる。それぞれの建築家の作った空間にできれば入ってみたいと思う。その空間を味わいたい。

 言葉でなく、空間が精神に与える影響を感じたい。

 

白紙になった、新国立競技場は何が問題なのだろう。今朝の東京新聞の一面で「多目的は無目的」と見出しにあった。これからのオリンピックはコンパクトにお金をかけずにと世界的な流れになってきていたのではないかと思うのだが、どうも日本に呼んだ方たちはそう考えてはいないようである。むしろ、オリンピック景気でゼネコンが仕事が増えて経済が良くなると考える人が多かったのではないだろうか。もともとの景観を壊し、古いアパートを住む人を立ち退かせて巨大なものをつくるというところから、最初から考え直さなければ、コストと工期ばかり考えていてはまた同じことになるか、なにもできなくなるかではないだろうか。8万人を収容する施設が本当に必要なのか、その後の維持管理をただ民間に任せればいいというものではないだろう。作ってしまったらそこにあり続けるのだから、どんなものを作るべきなのかを先に合意できなければ、デザインや設計するのは無理ではないのだろうか。

最初のスローガンだったコンパクトな五輪もアンダーコントロールと同じように言ってみただけになってしまっている。

 

 

 

 

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