本と映画と

ドローンを飛ばして逮捕されて、飛ばすといっても逮捕される。

イルカの追い込み漁は残酷で許されないが、増えた外来種のリスを撲殺するのは在来種を守るために許される。

家で映画を見て、それからネットでその映画を検索するとブログで解説や感想を書いている人がいて、それを読んで初めてあのシーンにそういう意味があったか、とか、あの名前にはこんな意味がとか音楽がどういうものかとかがわかる。観たというだけでは全然理解していないということがよくわかる。そういうブログは何故かはてなのブログが多いように思う。アメーバとかがグーグルで映画の名前で検索した時に出てくることはほとんどない。

私が映画のことを書いてもなんにもわかっていないので、内容のことではなくて、映画と本とその時に自分に向けられた言葉と。

 

以前、新聞のコラムだったか何かでタルコフスキーの「ストーカー」という映画のことを読んで知り、見たいと思ってツタヤに行って、タルコフスキーで探したら店舗にあったのは「惑星ソラリス」だけだったので、それを借りてきた。ついで他の作品も見たいと思っていたのだが、最近ネットで見られることがわかった。それでまず「ストーカー」を見ることができた。

画像は荒いけれど、一コマ一コマが油絵のような映像というのだろうか。暗示的な場面もバックの音楽も、強烈に惹かれる。

終わりの方でストーカーと家族が川べりかどこかを歩いているシーンがある。向こう岸には発電所のような建物があり、煙があがっている。雪がちらついている。家に帰ると部屋の中にもホコリ?なのか、綿ぼこりのようなものが荒い画像でもはっきりわかるように降っている。

 

そういえば、タルコフスキーの名前を1年前に読んだ柳田邦男の『僕は9歳のときから死と向きあっていた』という本で知ったのだと思い出した。

作者が57歳の時に次男が自死する。遺体を引き取って自宅の居間に安置した時、長男がたまたまテレビのスイッチを入れると、次男が傾倒していたタルコフスキーの「サクリファイス」という映画が終わろうとしているところで、テーマ曲のバッハの『マタイ受難曲』のアリア「憐れみたまえ、わが神よ」が流れてきて、作者は立ちすくむ。そして続ける。

 息子の死と映画『サクリファイス』の放映との間には、何の関係もない。まして息子の遺体を自宅に安置した時刻と、『サクリファイス』のラストシーンの時刻との間には、科学的には何の関係もない。偶然の一致に過ぎない。しかし、シンクロニシティと呼ぶべきその偶然の一致には、重く深い意味が隠されているにちがいないと、私はその時雷に打たれたように感じた。

 

 

去年子供がツタヤからDVDを借りてきて、一緒に見た映画がある。エリック・ロメール監督の「緑の光線」(1985年)という恋人のいない若い女性がバカンスのシーズンを過ごすという(これでは略しすぎ?)フランスの映画だ。映画の中で、主人公は老夫婦がジュール・ベルヌの『緑の光線』の話をしているのを耳にする。緑の光線とは水平線に太陽が沈んだ瞬間に見える光の色でそれを見られた人は幸運を得られるという。最後は主人公が出会った男性とその光を・・というものなのだが、その後、その本が読みたくて探したら、なんと、去年の夏に単行本がでていた。図書館にあったので先月借りて読んだ。

ジュール・ベルヌの本は探検とか冒険かと思ったら、その本も若い女性が男性と出会うストーリーだった。

その本の後ろに『メキシコの悲劇』という短編も一緒に収録されていた。これは1851年ジュール・ベルヌが24歳の時に書いた幻の短編という。ストーリーは1825年に2隻のスペイン艦がグアムからアカプルコへ向かう。のちにメキシコ艦隊の中核になり、アメリカの戦艦と闘ったという艦船だ。スペイン海軍の士気は落ちていて、裏切り者が艦長を殺して船をメキシコに売ろうとする話だ。

図書館で借りているので返却日前にその短編をさらっと読んで、読み終わるとすぐに返してきたのだが、あとからどうしても頭に?の残る文があった。あまりに気になるのでもう一度図書館でその文を読みに行った。

船をメキシコ政府に売るためにメキシコシティを目指して行くのだが、その中で艦長を殺したことで精神が不安定になっていく大尉とメキシコの地理に詳しい甲板員の2人の行程が描かれる。

この旅で二人は初めて吉兆の木という異名をもつコナラを目にした。その木の根元で、下の高原に漂う有害な放射性物質が止められる。

 とある。その前後はまたメキシコの景色の描写などで、とても唐突な感じがする。なぜ突然放射性物質が出てくるのか説明などはなかった。説明がないというのはその時代、あるいはメキシコの人たちにとってはそれは当然みんなが知っていることだったのだろうか。

巻末の解説でも特にその説明はなく、ジュール・ベルヌが作品を書くのに南米に詳しい探検家のもとに足繁くかよったというエピソードもある、と書かれていた。

 

一つ一つは関係なく、だけど、昨日の自分の問いに対してかけられた言葉のようで、ほんの少しずつ繋がっていく。

 

 

 

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