いろいろと

 

・怒る夢

 何について怒っていたのだろう。とにかく気持ちが爆発して「・・・だから・・・なのよ・・・でしょうが・・・もおおお」というようなことを大声で叫んだ自分の声で目が覚めた。いや半分目が覚めたから声を出すことができたのか。

・電車の中

 向かい側の席の前にベビーカーがあり、1歳くらいの子供がいる。その子が太くて20cm位のボールペンのようなものを口におしゃぶりのようにくわえている。長くて硬いもの・・もしこの状況で電車が急ブレーキをかけたら、つり革につかまって立っている人たちが倒れこんだら・・と想像してしまう。母親か、父親か、そんなものを口にくわえさせるのは誰かと、立っている人の隙間から向かいの席を覗き込んでみたが、座っている人までは見えなかった。

 地下鉄に乗り換えたら、今度は向かいの席に男性が座ってリュックを膝の上に乗せると、中からエアーカウンターを取り出した。そうエアーカウンター、この名前を思い出すのに思わず自分のiPhoneのアプリでチェックした。うん、私が記録していたのは2013年までだった。

・日曜日にポッキーを食べたら歯がまたかけた。

 月曜日に応急処置で仮詰めをしてもらう。ちゃんと予約が取れたのは10日後。それまで仮の詰め物はもちませんよね、と訴えるが、その時はまた電話して来てくださいとのこと。待合室に座っていると、FMから「ピースとハイライト」が流れる。隣に座っていた私の母くらいかと思われる白髪の女性が一緒に口ずさんでいたのにちょっと感動。

・今読んでいる本

 DVDで「モリー先生との火曜日」を借りてきて観た。そして先月くらいに本も買っていて読んでいなかったので読み始めた。

 「死に方が分かれば生き方が分かる」

 死について考えないままでいることはとても不幸なことだと感じる。怖いから考えないふりをしても必ずその時は来るのだから、考えるほうがいい。何故怖いのか。怖いから考えないようにしているが考えないから怖いのだ。それならちゃんと受け入れてしまった方がいい。そういう人を見ると、自分もそうありたいと強く思う。一人の人生という尺度で考えると、不満を感じながら生きていることがもったいないことだと感じる。その考え方を変えることはできる。例えば、何かで自分の時間を奪われると考えていると、まるで自分が損しているような気持ちになるが、もし自分からその時間を与えているとする。そして、与えたものは自分に返ってくるのだとしたら。与えた時間を共有した人たちの時間が実は自分にまた与えられたのだとしたら、自分一人分だった時間が何人分にもなって、つまり何倍にもなって返ってきたのだとしたら、奪われて損したという考え方はまったく逆のものになる。そんな風に全ての考え方を変えさせられる。考え方を変えた自分を受け入れると生き方も変わってくる。

・桜坂を見て

 溜池山王駅を出て左手に坂道を行くとその坂が「桜坂」と道標が建っていた。昔大きな桜があったという由来が書いてあった。今はせまい歩道の街路樹としてかなり狭い間隔に植えられている。これは先週の写真だが、すっかり桜は終わっていた。

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桜坂という名前のために桜を無理やり植えているのがかわいそうだった。桜の根元をみるとほとんど木の幹を囲む位のスペースしか土の部分がなく、根が盛り上がって歩道のレンガも波打っている。歩くスペース分ギリギリなので踏みつけられて木も寿命がそれは短くなるわけだ。多分そのせいでだめになった木もかなりあるようで、この先の何本かの桜は植え替えられたばかりのようだった。まだ幹が手のひらで握れるくらいの細さだった。何10年かすれば幹が太くなりまた倒木や枝が折れる被害がでそうになると簡単に切ってしまうつもりなのか。ソメイヨシノは寿命が短いというが、本当に木の寿命が短いのか、人間の管理がこんな風な植えればいいだろうというぞんざいなやり方のせいによるものか考えてしまう。

・近所の桜の写真

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 最近、桜の花が昔より大きくなったように感じる。

 

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