昨夜布団の中で激しくなる雨音と風が出て来始めたのを聞きながら目を閉じて、再び開けた時にはもう静かでそして空気が澄んで青い空になっていた。
先週はそうそうに台風のために学校が休みになったのに、あまり東京では影響が無かったために、今回は休みの連絡もこなくていつも通りの学校に子供は出て行った。
朝のニュースでは、まだ東北では台風が通過したばかりで岩手の宮古と青森の八戸から中継していたが、そのアナウンサーの後ろの風景が右手の漁港、後ろの陸に宙に走る立派なハイウェイ、がまるで同じような景色に見えた。川が濁流となっているのかと思ったのは茶色い造成中の地面のようで、台風以前に人間がどの街もすっかり同じ様な風景にしてしまっているのが悲しかった。
もう10月も中旬でずいぶん間隔が空いてしまったが、同じことをずっと考えている。御嶽山の噴火でたくさんの人が犠牲になりとてもショックを受けた。それは丁度曜日も時間も何もかもタイミングが重なっていたこと、その後のニュースでその場の話から御嶽山神社の社が閉まっていたために中に入れず、何重にも避難するひとが集まって来て軒に頭を入れたものの後ろの方の人達は噴石を防げずに亡くなったり、神像の首が飛んで行ったりしたことだ。テレビでは九死に一生を分けた行動は何かと言っていたが一緒に逃げている最中に石に当たった人と当たらなかった人は行動の差ではない。
亡くなった方達のご冥福をお祈りします。
今日御嶽山神社のホームページを見たら、頂上奥社が開いているのは7月上旬から9月中旬とあった。もう閉めた後だったのだ。
そして、登山史という所を読むと、山への崇拝登山は昔は道者と呼ばれる百日間の厳しい精進潔斎を経た人のみが認められる、極めて限られたものだったという。白装束でなければ踏み入れてはならなかったのだ。それが一般にも開放される様になってきて、水行のみで登拝を許されるようになったそうだ。
今はロープウェイで登れば3時間で誰でも行かれるとテレビでは紹介されていたが、行く人々にしても現在は気軽に登る感覚であったのだろう。そういう意識になってしまったことに気が付いてもいないまま行楽気分であったことに警笛がならされているようにも感じてならない。
来る来ると言われて寝ている間に過ぎてしまった台風も時間や場所がちょっと違えば被害の大きさも違うだろう。
今日の太陽は特別に眩しい。