宗像大社国宝展を見た

9月に入りましたね。今日は防災の日。過去にこの日にいくつもの災害が起きていることを考えると、そういう天災が起こり易い時期というのは確かにあるのだと思う。

 

昨日、出光美術館へ「宗像大社 国宝展ー神の島・沖ノ島と大社の神宝」の展示を見に行った。

福岡県の宗像市にある宗像大社には沖ノ島に鎮座する沖津宮、宗像市の離れ島、大島に鎮座する中津宮、本土の宗像市田島に鎮座する辺津宮からなり、宗像三女神がそれぞれにお祀りされている。

沖ノ島は女人禁制、禊、島での見聞の口外無用といった禁忌が今も厳守されているところで、10日交代で辺津宮より神職が赴き毎朝海で禊を行い一人で奉仕をしているのだという。住民もなく、絶海の孤島で毎日皇室・国家安泰と祈りが捧げているそうだ。その島で4世紀後半頃からヤマト王権により国家祭祀が行われていて、9世紀にかけての祭場と奉献品が発見されていて、その神宝8万点余りが国宝に指定されている。

一般人やましてや女だと今でも行かれないという沖ノ島

 

その国家祭祀の始まる前から宗像の人々の信仰があり、大和朝廷の国家祭祀が終わってからも連綿と続いてきた信仰があり、そこに関わってきた人達の思いを感じるとともに今でもその祈りと畏れと日本人の心の中に根付いているものを感じずにはいられない。

 

出光美術館宗像大社のつながりも紹介されていた。

出光興産株式会社の創業者で、出光美術館の創設者でもある出光佐三(1885~1981)は福岡県宗像市で生まれ育ち、地元の宗像大社に対する愛着と尊崇の念は特に強かったという。昭和12年(1937)の貴族院議員選任の報告に宗像大社を参拝した折り、その荒廃を知り、賛同者を募って「宗像神社復興期成会」を形成し、同会会長に就任。神殿修復や祭祀の復興等を議会や政府当局に働きかけ、神社史編纂や沖ノ島祭祀遺跡の学術調査、報告などが行われた。昭和46年に大造営が無事完了した記念に出光佐三の名を記念碑に残そうと宮司らが出光に署名を求めたが、「神域に自分の名を残すのは恐れ多い」と申し出を断ったエピソードが伝わっている。

 

その後、首都高で銀座から羽田に行った。ナビが案内してくれるのだけど、高速の入り口がわかりにくくて、何度も同じところを回ってしまった。ビルの横を上がる道が入り口なのだが、標識のようなものがどこにも見当たらずに、ビルの駐車場ではと躊躇してしまう。いつも高速に入るのに失敗している気がする。入ってからも、合流や分岐で運転が苦手な夫は本当に走るのが嫌そうだ。ちょうど頭の上に月が見えた。

ナビの言うままにレインボーブリッジを渡る。何時も通ったことがない気がする。首都高は行き方が何種類もあるのだろうか?よくわからない。まだわずかに空に明るさが残っていて、でもビルも橋も灯りがつきフジテレビのビルは色々な光で字や模様が作られていて、観覧車も美しかった。全てのビルの灯りも幻想的な雰囲気となり、高速を走る人はよそ見することは出来ないのにこんなに綺麗な景色が横にあるなんて、あんまりだと思った。 写真を撮る間もなく通り過ぎてしまった。

 

デング熱の発症者が増え続けているが、一方で蚊よけのスプレーが薬局から品切れになるほど売れているという。売っているもののほとんどが有効成分がディートという化学成分のものだ。蚊の忌避効果は高いかも知れないが小さい子供にかけることには躊躇する。

デング熱は怖いかも知れないが薬の副作用も100%安全ではない。疑わしいものは疑う。その上で代々木公園に行く時には使うとかよく考えてから使って欲しい。

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