今朝、家の前に立っていたら、道路の反対側を男性が通ったのだけど、その姿が美しいミントグリーンのTシャツに真っ白なパンツ、麻か綿の白地にブルーとグリーンの混ざったストールを巻いて、デッキシューズが白にこれもグリーンやブルーがマーブルのように混ざっていて、私にはどんなブランドなんだかもわからないが、まるでそこだけ涼しい風が通り過ぎたようだった。
今日は吉祥寺に行って、初めてキラリナに寄ってみた。駅のホームからは目の前に見えるので、もっと広いのかと思っていたが、以外に狭い様に感じる。わざとそういう風に設計されているのか、エスカレーターも途中何回か分断されて特に電車の改札口との連絡はまるで迷路のように感じる。近道という表示に従うと、まず地下に降りて、総菜売り場の横を通って、先のエスカレーターで2階まで上がる。自分がどちらを向いているのかすぐわからなくなる。
吉祥寺の自由通路も久しぶりに通ったらすっかりと変わっていた。オープン当時は物凄い人出があったようだが、最近はそういうのがだんだん苦手になってきた。
お店もオシャレな雑貨屋さんがたくさんあるのだが、私にはどのお店も似ているように感じる。みんな洋服、雑貨、外国の文房具や食器、隣のお店も同じようでこんなにたくさんのお店があっても区別がつかない。
いや、今朝の様なオシャレな人はこういうお店にあるような雑貨に囲まれたお家で暮らしているのかしら。
低価格のブランド、guの試着のまま店の外に着ていってもOKというのは、着てその日のうちに返せば買わなくても良くて、その服は店のディスプレイ用に使うので売ることはない、と朝のテレビで話していた。新しいサービスが話題というが、店は話題になって売り上げが伸びればいいのだろうが、お店が商品を率先して使い捨てにしているみたいに感じる。
先日本屋さんで別の本を探していて、同じ棚にこの本を見つけて手に取った。
私はこの本を読むまで作者のことも知らなかったし、また「A」、「A2」というドキュメンタリー映画のことも知らなかった。
このドキュメンタリー映画はオウムのドキュメンタリーとして制作されたが、アメリカで上映されることになって、ロサンゼルス・タイムスの記者のインタビューにこの映画を作った理由を答えた部分がある。
「一作目を作って以降、日本社会がどんどん変質してきたと感じていた。危機管理の焦りから武力の保持を主張する世論が高まり、タカ派的言動の政治家が支持を受け、歴史を見直そうとする勢力も現れた。これらは皆、オウム以降だ。なぜそうなったのか。オウム事件をきっかけに日本社会は他社に対しての不安と恐怖が昂揚し、その帰結として他者への想像力を急速に失った。そしてこの欠落は、そのまま9・11以降のアメリカに重複する。アフガニスタンに暮らす人々の営みに想像力を持てば、空爆ができただろうか?(略)」
この本は2003年に単行本として出たものを2008年に書き加えられて、文庫本になったもの。
その後2011・3・11を経て今日までずっと繋がっているのだ。
それだけでなく、色々なものがずっとずっと以前から複雑に何層も折り重なる様にしてずっと繋がっているのを感じる。
本当に豊かな人生を歩みたいと思うのなら、その問いかけが心にこだましている。