3年目の3月11日

今朝の夢は何かで皆で逃げているのだが、飛行機に乗ろうと飛行場に着くと入り口がシャッターで閉まっていて、そこにゴゴゴとその建物を壊して飛行機が来るのでそこから逃げて行く。今度は電車で逃げようと駅にくるとやはり入り口が封鎖されていて電車はくるのだが乗れない。ビルの上から飛び降りようとすると武装した人達がやってきて、助けてくれるのかと思ったら、火炎放射器で焼かれそうになる。

この3日間テレビで流れ続ける映像のせいだ。

 

午後2時46分にサイレンがなった。その前に防災無線でアナウンスが流れていたが声は聞き取れない。今日は何を言っているかあらかじめわかっているからいいが、本当の非常時のアナウンスとしては役に立たない。

私は屋上で空を見ていた。飛行機が2機平行に短い飛行機雲とともに西へ飛んでいた。ヘリコプターが1機反対側へ飛んで行った。空には雲ひとつなく、ただ青かった。

 

3年前も家にいた。

あれから変わるだろうと考えていたことが実際には逆の方へ向っているような気がするこの頃だ。同じ事実を見たり、聞いたからと言って同じことを考えるとは限らない。むしろ正反対の事を考える人達もいる。今を一番に考えるため先のことは知らん振りをしているように思えることも、先の為には今が大切と逆の考え方もある。

3年経った。

震災のことを忘れないというが、とんでもない。今も真っ最中なのではないか。

3年経っても帰れない人達がいる。帰れる期待を持たせて、一向に帰れない状況に諦めた人達の補償はせず、無人の土地になったら今度は国が主導で核の処理施設を作るのではないか。そうでなくてはとても再稼動なんかは目指せないはずだ。

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