寺田寅彦 『銀座アルプス』

今日はお陰さまで雪が止んで外は真っ白で紫外線のせいか眩しくて目が眩んでしまう程だった。お日様のせいか、昨日の寒さから一転、とても温かく感じる。ベランダにくる雀も昨日はふんわりしていたのに、今日はスマートで一回り小さくなってしまったように見えるから不思議。

 

積もった雪のせいで都知事選の投票率が下がってしまうことが心配。

私のツイッターで出てくる候補者への応援は細川さんと宇都宮さんと田母神さんばかりで、これは私がフォローしている人に偏りがあるせいかと思ったが、普通に都知事選のハッシュタグなどを見ると、これまた圧倒的に田母神さんが多い。

一般の調査と比べるとかけ離れているのは、ネットの世界そのものがやはり違っているせいなのだろうか。

 

今日読んでいた本のメモ。

 

寺田寅彦 (ちくま日本文学 34)

寺田寅彦 (ちくま日本文学 34)

 

 この中の『銀座アルプス』という昭和八年2月に書かれた短編があります。

幼少時の銀座の夢の様な記憶の断片から、学生時代の思い出とともに銀座観が語られています。タイトルの銀座に出来た高層ビルの所を抜粋してみます。

 

アルプスと云えば銀座にもアルプスが出来た。デパートの階段を頂上まで登るのはなかなかの労働である。そうして夏の暑い日にその屋上へ上がれば地上百尺、温度の一度や二度位は低い。上には青空か白雲、時には飛行機が通る。駿河の富士や房総の山も見える日があろう。

 更に展望台を作って広告塔にすれば、広告費で建設費が消却されるだろうとか、火事の時には上に燃えるから下へ逃げるとか、逃げ損なったらどうするかとか、家事は物理化学的現象であるからと考察は続いていく。

銀座の光景から

 

これに反してまた、世にも美しい眺めは雪の振る宵の銀座の灯の街である。あらゆる種類の電気照明は積雪飛雪の街頭にその最大能率を発揮する。ネオンサインの最も美しく見えるのもまた雪の夜である。雪の夜の銀座はいつもの人間臭い埃っぽい現実性を失って、なんとなくお伽話を想わせるような幻想的な雰囲気に包まれる。街の雑音までが常とは全くちがった音色を帯びて来る。飾窓の中の品々が信じ難いような色彩に輝いて見えるのである。そういうときに、清らかに明るい喫茶店にはいって、暖かいストーブの傍のマーブルのテーブルを前に腰かけてすする熱いコーヒーは、そういう夢幻的の空想を発酵させるに適したものである。

 とくると思わずコーヒーを入れずにいられません。

ですが、最後に衝撃を受けてしまいました。

 

八歳の時に始まった自分の「銀座の幻影」のフィルムは果していつまで続くかこればかりは誰にも分からない。人は老ゆるが自然は甦る。一度影を隠した銀座の柳は、去年の夏頃からまた街頭にたおやかな緑の糸を垂れたが、昔の夢の鉄道馬車の代わりに今年は地下鉄道が開通して、銀座はますます立体的に生長することであろう。百歳まで生きなくとも銀座アルプスの頂上に飛行機の着発所の出来るのは、そう遠いことではないかも知れない。しかしもし自然の歴史が繰り返すとすれば二十世紀の終わりか二十一世紀の初頃までにはもう一度関東大震災が襲来するはずである。その時に銀座の運命はどうなるのか。その時の用心は今から心掛けなければ間に合わない。困った事にはその頃の東京市民はもう大地震の事などは綺麗に忘れてしまっていて、大地震が来た時の災害を助長するようなあらゆる危険な施設を累積していることであろう。それを監督して非常に備えるのが地震国日本の為政者の重大な義務の一つでなければならない。それにもかかわらず今日の政治をあずかっている人達で地震の事などを国の安危と結び付けて問題にする人はないようである。それで市民自身で今から十分の覚悟をきめなければせっかく築き上げた銀座アルプスもいつかは再び焦土と鉄筋の骸骨の砂漠になるかも知れない。それを予防する人柱の代わりに、今のうちに京橋と新橋の橋の袂に一つずつ碑石を建てて、その表面に堀埋めた銅板に「ちょっと待て、大地震の用意はいいか」という意味のエピグラムを刻しておくといいかと思うが、その前を通る人が皆円タクに乗っているのではこれもなんの役にも立ちそうもない。むしろ銀座アルプス連峰の頂上ごとにそういう碑銘を最も眼につき易いような形で備えた方が有効であるかも知れない。人間と動物とのちがいは明日の事を考えるか考えないかというだけである。こういう世話をやくのもやはり大正十二年の震火災を体験して来た現在の市民の義務ではないかとおもうのである。

 自分の幼少の思い出から、それこそ100年先も映画のように見えていたような気がします。

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