パンを食べない人、食べられない人

 おとといの夜「ためしてガッテン」で50肩のことを取り上げていて予防のストレッチ体操をやっていたので、肩に不具合はないものの普段身体を動かすことがほとんどなくて、この頃のように寒くなると筋肉が固まってきて背中がぎゅっと痛くなるのでテレビに合わせて肩のストレッチをやってみた。猫の体操とペンギンの体操、10回位づつやると良いとのことだっただろうか、半分位やったのだが、返って逆効果で痛くもなかった方が痛くなってしまった。ストレッチの基本は痛くない所まで、気持ちよく伸ばすのだが、ただ伸びをするだけでぴりっと痛みが走ってしまう。腕を回せばゴリゴリと筋肉が音をたてる。

それで久しぶりに駅ビルでマッサージをしてもらった。

若い女性だったが背中の固い筋を一生懸命に押してくれるのだが、30分やってもらって、固いですねというとおり、終わった後でも少しも緩んだ気配はない。骨が折れるかと。

 

 今朝の「ごちさうさん」、先週源ちゃんが出征すると書いたが、今週病気のために帰ってきた。その割には帰ってきた時には元気そうに見えたが、家業の肉屋で大きな肉の塊を切り分けようとして失神する。水以外はすべて受け付けられない身体になっているようで、その理由を今日源ちゃんの口から、食べ物がすべて死体に見える、自分の殺した・・という言葉がでてきた。

今までのドラマでは言葉にできなかった言葉なのではないかと思う。

 

 昨日の夜のカンブリア宮殿では缶詰のパンを取り上げていた。我が家でも非常食用に常備してある。非常食用にはほかにもご飯とお餅があるが、お餅は期限が過ぎると柔らかく戻りにくい。またおやつの感覚ならいいが、主食としてはちょっとという感じがする。ご飯は本当の非常時には水でもどすのだが、温かくないと食べる気がしない。おこわの方はまだおいしいがご飯のほうは炊き込みご飯や色々な味のものがあるのだが、ぱさついている感じがする。ところがこの缶詰のパンはおいしいので、期限が切れる前でも今日食べるものがない、というときに食べてしまうことがある。他は切れてからさあ食べようという感じなのだが。

 テレビではどこかの会社でこのパンを非常食用に買って、期限が切れたので引き取ってくれと言われ、捨ててしまうことになるのかと考えたこのパンの考案者の秋元さんが、食料の不足している国へ届ける取り組みをしている、という社会貢献のビジネスモデルが紹介されていた。

 しかし、私はひっかかる。期限が切れたから捨ててくれという、その日本人に対してである。何故社員に配って皆で食べるという発想がないのだろう。どうして捨てようという発想になるのだろう。どうせまずくて食べないという考えからなのだろうが、だからこそ、このパンはおいしいから当然だが例え美味しくないとしても、食べようと何故しないのだろう。

 ビジネスモデルとしては、そういう会社から2年後に再び新しいものを買ってもらって、古いものを引き取り、期限が切れる前に外国に食料支援をする、ということでめでたしなのだろうが、私としてはやはり納得できない。期限が切れるよ捨てちゃえという会社がたくさんあるとしたら、食料自給率の低いこの国で何かがあった時には当然しっぺ返しが来る様なきがしてなりません。

 

 再び「ごちそうさん」に戻ると、息子の泰介が源太がご飯が食べられるようになって元気になったら再び戦争に行かされて結局死ぬんだから、ここで看取ってあげればというと、それを聞いため以子は結局死ぬからといったら、皆同じだと怒る。私もあなたも今日死ぬかもしれないと。

 食べることだけを考えていると忘れているけれど、食べることによって、生かされている。生きているということはすごく不思議なことでもある。今日も生きている不思議を感じる。そしてただ食べることだけではなく、ああここを掃除しなくちゃとか、誰々に何かをしなくちゃ、とか、生きるために必要あるのか無いのかわからないことに頭を悩ませながら生きている日々に。

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