ブログの為にアカウントを取ったけど、その他のサービスでも自分では知らないけれど、色々あって、よく分からない。使えるサービスはいいのだけれど、どうも分からないサービスって本当は入りたくないのに入っているような。
LINEなんかもメール機能とか、電話としてとか分けていればまだいいのだろうけれど、その他にも色々サービスがくっついていて、それを皆使うけれど、それには相手がいるから、相手も同様のサービスを使う事になる。
姪っ子がソフトバンクでiPhoneを使っているけれど、電話を使うと通話料がかかってしまうので、LINEを使うようにと説明されていた。でも、友達同士でLINEを使うという事は、電話のおしゃべりだけの訳ではない。一度使い始めると、常にやりとりに時間を取られてしまうようになる。
数ヶ月前に関野吉晴さんという名前を知って、グレートジャーニーという言葉を知って、本屋さんで見つけて買って読んだら、武蔵野美術大学の先生になっていて、学生達と道具から作り始めてカヌーを作り、インドネシアから日本までの旅をしていた。
なんと、千葉の海岸で砂鉄を集めてオノ、ナタを作る所から始めたのだ。
この本のタイトルにもある、気づきは随所に出てくる。若者達は気づいた後、どのように生きて行くのだろうか。気づいてしまうと、今までのように何も考えずに、使って、食べて、捨てて、ということは出来なくなる。気づくというのは、生きているのが今、この場所だけではなく、時間も地理も皆繋がった中で生きている自分に気がつくということなのではないだろうか。
縄をシュロからつくる。近所の家に生えているシュロの樹皮をもらってきて、繊維をばらしてよっていく。そして、20メートルの縄を4本作ったそうだ。効率は悪く、成果は上がらないが、直し直し長く使う事ができるのだという。
- 作者: 関野吉晴
- 出版社/メーカー: 武蔵野美術大学出版局
- 発売日: 2013/03/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
本とは関係ないのだけれど、この縄をなうというのが今私の心をとても捉えている。
なんだか、シュロの繊維一本が、自分自身で少しずつ違う繊維とよられよられて細い1本になり、絡まりながら太く長くなっていく世界があるのかなって。
強い力でひっぱられて、引きちぎれそうになっても、しっかりと編み込まれて繋ぎ止められているみたい。
朝、携帯の留守電に知人の訃報が入っていた。
数年前に、彼が若い頃外国に放浪の旅をしていたことや、またちょっとした計画を考えている様な事を言っていた顔が浮かんだ。
現実から離れようとしていたかすかな兆候だったのだろうか。