昨日はお寺でお施餓鬼だった。少し遅れて着いたのでもう中は一杯人が座っていたため入り口にたったまま中での法話を聞いていた。
ふと見ると下駄箱の横をトカゲが歩いていた。
トカゲを見るのは今年になって2回目なのだが、その前はというとはるか子供の頃、祖母の家で(杉並の駅前だがまだ入り口あたりは土間だった)見た位だ。私が「トカゲだ」と指差すと祖母が怒って「指が腐る」と言って、指を手でたたかれた記憶がある。
その頃は、「夜爪を切ると親の死に目に会えない」とか、「宵越しのお茶は飲むな」とか、「霊柩車を見たら親指を隠せ」とかいろいろな事があった。
昔は夜は暗かったからよく見えなかった、とか一晩たったお茶には細菌が繁殖するとか理由が分かる物は納得したり、もう気にしなくなったものもあるが、今でも「お墓で転んだらご先祖に連れて行かれる(あるいは転んで怪我をすると長引く)」とか「新しい靴をおろすのは午前中、午後になったらお釜の底に靴底をこすってから」とかやはりどこかで気にしている。
それぞれ理由があって言われた事なのだろうが、指が腐るというのはどういうことなのだろうか。祖母がその指した指を真剣に叩いていた記憶はやはりずっと残るものだ。
今子供にはそういう事を伝える事はまずなくなってしまったように思う。
ある意味ではそういう場面に会う事も少なくなって、暮らしの中に危険なものが何もなくなってしまったという事なのかもしれない。
いつも明るく、安全な生活になれた人達に危機意識を持たせようとしても難しさを感じる。しかし、その危険を体験しなくてはわからないということは避けたい。昔の人に知恵はそういう所にあったような気がする。