2月は逃げる

先週の木曜日、義母の入院していた病院でも、新型コロナウイルス予防のため家族の面会も禁止となった。その前々日に何とか転院先の老人病院での受け入れが決まり、金曜日に退院した。1日家族が行かれなかったのでさぞパニックになっていると思いきや、午前中にお風呂に入れてもらい、朝ごはんとお昼ご飯もちゃんと食べたそうで、本人は自分の生まれた家に帰るつもりになっているようで、移動の道中も「今日は何ていい天気。来年はもう年だからこなくていいね。来年は温泉にしよう」と楽しそうにずっとおしゃべりをしていた。

転院先では「いらっしゃいませ」と出迎えられて美味しい物を食べにホテルに寄った気持ちで、夕方家族と別れると「じゃあ今日は泊まっていくのね」と今までショートステイで泊まっていたのと同じ感覚で、夜もぐっすり寝てしまったという。それまで病院ではベッドに縛られていたので、夜中にそれに気がつくと大声を出して周りに迷惑をかけると言われて、どこでも受け入れてくれないと言われていたのだが、移った先では、トイレなどは先に介助してくれるので、本人は安心しているのか、全然大声を出したりすることもなく落ち着いています、とのことだった。

そちらでも初めての対応ということだが、コロナによる家族の面会禁止となった。そのために向こうから数日おきに電話で日々の様子を細かく伝えてくださっているので、こちらもようやく安心してきたところである。

政府の方針では2週間と言っていたが、そんなにすぐ収束へ向かうはずもなく、先が見えない。医療従事者はそれを一番わかっているのだろうと思う。

 

世の中はこれから大きく変わっていくだろう。たぶん自分だってそのうち新型コロナウイルスには感染してしまうだろう。たとえどんなに用心してもそれだけの感染力はあるのだ。まともな検査が始まれば実態がどれくらいかはっきりしてくるはず。

マスクや消毒用アルコールなどは未だ売っていないのに、電車に乗るときにはマスク着用のご協力をと呼びかけている。

信号の交差点で待っているときに、急に喉にひっかかって思わず咳き込むと、すぐ隣の人がいなくなった。

今日やっとお正月の飾りの張り子のねずみを押し入れにしまった。次に出すのは12年後かとふと考える。

 

鏡開き、忘れました

駅ビルのマッサージ店でマッサージを受けていて、何だったかだと認知症になるとかいう話をしていて、「それ、まさに私です。ああ私も認知症危ないわ」というような会話をしていたのだが、気持ちよくてちょっと夢現つではあったものの、肝心の「何」が全然思い出せない。う~ん、やっぱり私は認知症の気配が濃厚な気がする・・・

 

さて、慌ただしく日々は過ぎていく。去年の暮れに義母が家で転んで右肩と右大腿骨骨折で近所の病院に救急車で入院して、手術。そこまではすぐできたが、本人は5分で自分が骨折したことを忘れてしまう状態なので、リハビリはなかなか進まない。

入院した時に、主治医の先生からは家に帰って今までの生活に戻るのは難しいので、家族でその後の生活を考えるようにと言われた。そしてすぐ病院の相談員の人が来て、病院は急性期の人しかいられないので、受け入れ先は、老健施設か有料老人ホームかということで、老健のリストと老人ホームの仲介業者のパンフレットなどを渡された。

 

義母の姉も義姉も、近所に住んでいた幼馴染だった友達二人もこの10年くらいの間にみんな同じように家で転んで骨折して病院から施設へと移った。うちの義母だけは転ばずに過ごしてきたのだが、本当にちょっとした拍子でリビングで転んでしまった。

 

右肩が痛くて右手がうまく使えないのと、腎臓の値が悪くて急に減塩食になったのと、食べないからついにミキサー食になってしまったのとで、食欲がなくなって、11月までものすごい食欲だったのに、全然自分で食べなくなってしまったので、昼と夜の食事の時に私と義姉とで交代で食事の介助をしている。こういう時にもう94歳で今まで好きなものを少なだけ食べてきたのだから、味が濃くても塩分過多でも好きなものを食べさせたほうがいいのか、ほとんど塩分のないまずい食事を食べさせるのがいいのか、ちょっと考える。今は病院にいるので好きなものは食べさせられないが、ご飯にちょっとふりかけとか海苔の佃煮なんかを載せてみるのだけど、やっぱり「まずい」と言ってあまり食べない。

しかし、11月に体重が4キロも増えて身体が浮腫んでいて、それは危険な状態だったのかもしれないので、すっかり浮腫みがとれたのを見ると腎臓と心臓には良かったと言える。

 

そんなわけで1月の予定はすべてキャンセルした。

 

晦日の日に実家の母も風に吹かれて転んで肋骨にヒビと手の指の下の骨を骨折した。

 

そろそろ掃除をしようと思いつつ

今年は何をしたかしら、と振り返ってみても、最近だと思う出来事が去年だったり一昨年だったり。ただ知り合いのお葬式は多かった気がする。10月には主人のいとこがまだ50代前半で癌で亡くなり、その連絡を他のいとこにしようとしたら、電話が通じずおかしいと思ったら、その二日前に急死していたことがわかった。飲食店を営んでいて、お店もそのままで年齢も夫と同じ年だったのでびっくりした。その人の奥さんも癌で入院中と聞いているが、子供はいない夫婦なので兄弟の人が見ているらしいが、もうこちらには連絡はないだろう。

私の方の親戚でもやはり夫と同じ年の息子さんと94歳の母親の二人暮らしの家で10月に息子さんが脳卒中で倒れて入院した。私の祖母の妹にあたる叔母は頭も体もしっかりしていて、家庭菜園の野菜をうちにも時々送ってくれていたのだが、息子の入院した病院が自転車で10分くらいのところにあり、毎日のように通っていて、12月に転んでしまい、2、3日我慢していて息子の病院に行ったらあまりにも具合が悪そうだと病院に行くように言われた(そこも病院のはずだがスルーしてください)ので行ったら圧迫骨折で即入院となった。今は別々の病院に2人が入院している。

向かいの家の娘さんが病院に行ってくれて、叔母さんからの伝言を私の母に電話してきてくれて、わかったのだが、そういう人がいてくれて本当に助けられている。

叔母さんは医者も回復力に驚いているということで経過は良くなっているが、これからの家での生活に向けての課題を考えるといろんな問題が見えてくる。

急に介護が必要になってもそれを自分でやらなければいけないというのは大変だと思うからだ。だいたい介護して普段から面倒を見ている人がいて、その人が介護申請したりケアマネージャーと相談したり実際の介護保険を使うまでの手続きとかしているのではないだろうか。具合が悪くなってから自分でやっていける人が高齢者にどれくらいいるのだろうか。

面倒だし、必要ないと言って受けない人も割といるのではないだろうか。介護保険も保険料は取られているのに使うのには申請したり認定を受けたりしなくてはいけないのだが、介護保険証が届いた時点で私が担当です、なんでも相談してくださいと普段からケアマネさんが一年に一回でも来てくれるシステムだったら、急に骨折で動けなくなっても、どうすればまた家に帰れるかの相談がしやすいだろうにと思う。

しかし、それには国の予算がますます足りなくてそんなことする余裕はないというのだろう。

テレビでどこかの自治体が60代の人に体操を教えて意識を変えて身体を作って10歳肉体年齢が若くなる効果があったとやっていたが、80代、90代にも同じ体操をやらせることに意味があるのだろうか。元気で1週間くらいで死ぬのが理想であってもうちの周りでも毎日散歩や買い物で脚がしっかりしていた人達がある年齢で弱ってくると車椅子になってしまってうちで生活できなくなる人も多い。あまり歩かなくて車でばかり出かけていても、とりあえず自力で歩いていて生活出来る人もいる。

骨折から入院してその後家には帰れないが何年もまだ元気で生きている人も周りに何人もいる。もちろん医療費がかかる。

新しい介護施設は家の周りにもできたが、立派な建物ができても人手不足で半分も使われていない。サービスも限界がある。果たして解消できるだろうか。

 

だらだらと書いてしまったが、初めのいとこの話で家族葬で行われるという電話で参加しますかと聞かれたのだが、その後NHKの朝の番組で最近の葬儀で家族葬でと言ったのにいとこが来てしまったという話題で、いとこは家族ではないから来ないでくれという意味だということだった。まあそれなら終わってから連絡すればいいのではないかと思うが、家族の意味も人それぞれで、葬式のあり方も変わっていくのだろう。

 

立川駅から国立駅へ一駅歩く

今さらながらではあるけれど、消費税が上がって限定の軽減税率適用とポイント還元というすっごくおかしな制度。おかげで、同じものをスイカで買っても駅前のコンビニとうちの近くのコンビニでは値段が違ったり、駅ビルの中でおいなりさんを買っても、お店によって、ポイント還元になるカードの種類や還元率は様々でさらにスイカもネットで登録していなければ結局還元はされない。駅のタリーズエスプレッソマキアートを頼んで、店内の席がいっぱいだと店の前のビルの公共部分の椅子で飲みますというと、持ち帰りなので店内なら10パーセント、外なら8パーセントで安くなり、さらに紙コップなので若干量も多めに思えて、得した気分にはなるが、なんか変じゃない?

問題がなければじきに全て10パーセントの消費税になるらしいが、軽減税率そのものがなんかおかしい。ポイント還元もパソコンで登録できない人や、その後の還元の手続きが必要なものもあるようだが、そういう手続きが出来そうもないスマホを使っている年配の人にとってはそのポイントがネットの中で宙に浮いたままになってしまったらそういうお金は一体どうなるのだろう。

さて、10月ももう後半。やっと扇風機をしまった途端、暖房を出している。そう、秋らしい感覚がだんだん薄れている。

今日は久しぶりに本当に久しぶりに朝は青空だった。お昼頃から一駅散歩で隣の駅まで歩いてみた。

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駅の北口を行くとすぐ国分寺市国分寺崖線沿いには大きな木がまだ残っているところがたくさんあり、遠くから見える木を目標に歩いていく。

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国分寺造園のお庭の素敵なカフェ。
うーん、やっぱり食欲の秋だけは私にも訪れた模様。

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これは別の会社の敷地だけど、こんなトピアリーが。

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お向かいが鉄道総合研究所で、この辺りの光町という町名はここからきているのかしら。

3時過ぎに駅ビルで買い物して出てくると、もう青空は雲でほとんど覆われてしまっていた。貴重な青空の秋の日でした。

久しぶりで上野へ行った

8月は暑かったと言う間もなく、もう終わってしまいましたね。今年は急にものすごく汗をかく体質になってしまって、1日に4回は着替えて、2回はシャワーを浴びて、それでも汗疹に悩まされ、月末には顎関節症になったようで、パンを噛みしめると耳が痛いです。ま、ブログを書かない理由にはなりません。なんかだらけているわけです。6月から始めたラジオ英会話も9月号のテキストは買ったのに、まだ聞いていません。夏休みの宿題終わらないタイプだったなあと思い出す。

 

そんな生活で、8月末、これも今年初めてかもしれないが、上野まで行き東京国立博物館の『奈良大和四寺のみほとけ』展を見てきた。

www.tnm.jp

 

 本館の総合文化観覧料で拝観できる。

岡寺の国宝・義淵僧正坐像、室生寺の国宝・釈迦如来坐像、長谷寺の十一面観音菩薩立像、安倍文殊院の国宝・文殊真言等はるばる奈良から東京へと来ていただいているようで、ありがたく拝観してきた。

特別展の写真は禁止だったが、建物と他の作品を少し。

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若冲の版画があった。写真の向きが直せず・・・横向き。

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 壁

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テラスから庭園を眺める。係りの人が立っていて、今は一部しか開放していないけれど、10月28日から全部入れるようになり、正面や他の茶室も入れて、この下にはカフェも出るんですよと教えてくれた。
私はまた来られるわけないかと考えていて、そうなんですか・・とそっけない返事しかしなくて、その後で他の部屋の展示を見ながらそういう貴重な情報をわざわざ教えてもらったのにちゃんとありがとうございますと感謝を伝えることもしなくて、すごく反省する。

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本館を出て、レストランという立て札に導かれていったのは法隆寺宝物館。

以前にも一度来たことがあるのだが、レストランしか見ていなかった・・・

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入ると飛鳥時代6〜7世紀の様々な金銅仏のある部屋が。

大きさは変わらないが、一つ一つが顔立ちもスタイルも全然違っているのが興味深い。

私はあまり詳しくないので、わからないのだが、すごく現代的に見えるものもあった。

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その後、旧東京音楽学校奏楽堂を見学して、東京芸術大学大学美術館で「円山応挙から近代京都画壇へ」で大乗寺襖絵を見てきた。

 

見えているのに、見えていない

新聞に紹介されていた、このタイトルに惹かれて、明治大学の博物館特別展示室で行われている、「見えているのに見えていない!立体錯視の最前線」という特別展を見に行った。

錯視というのは私たちは網膜に映った2次元の立体の画像を3次元立体として知覚していて、脳による視覚情報の補充をおこなっている。そこに錯乱が起きている状態が錯視という。

作品はだまし絵を立体化したもの、ボールを置くとありえない方向に動く立体、鏡に映すと全く違って見える立体などいろいろ展示されていた。

ある視点から見ないとその形に見えないものは写真で撮るのは難しかったので、わかりやすいものだけを少し写真に撮ってみた。

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これは形はそのままの階段なのにタイルの貼り方で真っ直ぐでないように見える。

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これらの図形は鏡に映っていると、全く別の形に見えている。

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視点をずらすと幾分かわかるが、まだ不思議な気がする。

大学の先端数理科学院スティテュート企画ということで、数理的解析によって、計算されて立体を作るらしい。と聞くとなんだかすごい。逆に言えば、数理モデルを解かなければこういう立体は作れなかったということなのだろうか。ちょっと工作用紙で立体を作っているような作品もあるのだが、今までは作ることが不可能だったのだ。

 

タイトルに惹かれたと言ったが、私の最近考えていることがそのフレーズだったのだ。

見えている、というのは網膜には写っているのだが、見えていない、というのは脳が認識できないものは、見えないということについて考えている。この展示で3次元の立体を網膜は2次元で写して、それを脳が情報を補充して知覚するということだったが、では4次元や5次元の図形を認識することができるのだろうか。

もしかしたら、私が見ている世界にすでに存在しているものなのに、認識できないために、見えていない、そんなものがあるような気がして、今日も空を見上げるのだ。

旧前田家本邸和館とカフェBUNDAN

前回行った時にまだ修繕中で入れなかったのが、中に入れるようになったので、行ってみた。と書いていて、前回がいつかと思って過去のブログを探したのだが、見つからない。何回か書いている東京都文化財ウィークで前田家の洋館に行った記憶があるのだが、一体いつだったのだろう。

井の頭線駒場東大前駅から歩く。数回しか歩いたことがないのにこの懐かしい感じはなんだろう。

和館に来たのは今回初めて。

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旧前田家本邸は平成25年に重要文化財に指定されている。

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広間が無料休憩所になっていて、縁側に座って日本庭園を眺める。木々から通り抜けてくる風がちょうど良い。いろんな鳥が飛び交っているのだが、姿は一瞬しか見えない。

緑色に目が癒されます。

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そして、実は今日の目的、BUNDAN へ。

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隣の日本近代文学館。通常の展示はお休みだったが、カフェは営業中だった。

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前に文学館は来たのだが、カフェは覗いただけで入りそびれてしまっていたのだが、今日はここが目的で来た。

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”ハードボイルド・ワンダーランド”朝食セット

3時半まで朝食メニューも食べられるとのこと。周りをびっしり本に囲まれて、好きな本を読んでいいとのことだが、壁ぎわを見るとすぐ手の届くところに村上春樹の本がちょうど並んでいて、ハードボイルド・ワンダーランドもあったのだが、実は読んだことがないので取り出して見てみたい誘惑に駆られたが、さすがにそれを読みながらではべた過ぎるかと、変な自意識過剰で別の本を選ぶ。しかし、薄暗いカフェで字が小さいとなんか体が反り気味で、そう老眼が進んだことを思い知らされた。

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コーヒーは苦味の芥川ブレンド

他のメニューもみんな文学作品にちなんだものなのだが、私が読んだことはないものばかりだった。以前も敷居が高く感じてしまったのはそのせいもある。でも本に囲まれているのは好きだ。本の背表紙を眺めるのはワクワクする。梶井基次郎のレモンパフェ、次回は食べてみたい。

帰りの京王井の頭線に乗って、感じたこと。そんなに走行距離は長くはないこの路線は駅に着くたびに車掌さんがアナウンスでやれさっさと降りろ、降りた人に続いてすぐ乗れ、空いたドアから乗れともちろんこんな口調ではないけれど、私にはかなりイラついているように聞こえた。車掌さんが自分の扉を閉める時も、バタンとゆっくり乗車する乗客(学生が多い?)に怒っているのかな?とも感じた。停車時間にそんなに秒刻みで時間が遅れてしまうのが、心配なのだろうか。

しかし、乗客を見回すと、なんか全員がスマホに釘付けでそんなことを感じるのは私だけなのだろうか。井の頭線の線路の両脇は紫陽花がどこまでもずっと並んでいて、車窓から眺めはもう渋谷に近い都内ということが信じられないくらい、のんびりとした街並みなのだが、毎日のように乗っている人には関係ないのだろう。どこかの電車で窓にも全部広告が貼られて、苦情を言っている人が新聞のコラムであったと思うが、これでは広告だろうが、外の景色だろうが、関係なさそうだ。やれ、早く降りと、早く乗れと言われてもそれにも気がつかないのか当たり前になっているのだろう。

 

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