そんな!の話

暑くなってきたので、お義母さんが

「もう夏休みだから、デイサービスもお休み?」

とデイサービスを休む口実を考えてる。今月曜から木曜日までの週4回行っていて、その間、お風呂は二日、リハビリや体操は毎日、ほかにも書道や絵手紙や歌ったり、ボランティア活動の演芸の人が来たりなど、盛りだくさんで楽しんでいて、かつ体の調子も適度に運動することで、とてもいい状態なのだが、いかんせんめんどくさくて行きたくない気持ちもムクムクと湧いている状況なのだ。

休みたがっているのに、行かせていると、実の子供だったら、もう歳なんだからそんなにハードでもかわいそうと思うだろうと思う。

ただ今のデイサービスでリハビリの人がちゃんと見てくれて毎日の習慣で体を動かすようになってから、足の運びがスムーズになっているのは事実なので、休日に出かけない日はご飯を食べると寝てしまうので、やはり行って方が生活のリズムもちょうどいい具合なのだ。なので、

「大人には夏休みはありません。明日もデイサービスの日です」

と無情に伝えると、

「あ、そう・・・」

とちょっと悲しげである。

大人でも夏休みはあるかしら?でも主婦には夏休みないし。

でも、行ったら毎回イベントには参加して楽しんでいるというのを聞いて、少しほっとしている。

・・夏休みといえば、中学生の頃、ESPカードを手作りしてノートに結果を書いていたっけ。いくら訓練しても超能力は現れなかった。時間だけはたっぷりあった夏休み。今はブログを書く時間もあまりない。どうしてだろう。

主婦といえば、先日、夫が65歳になり、私の年金の種別が3号から1号に変わった。なんでも3号は夫の配偶者ということで、自分の年金を払わなくてもよかったのだが、これからは1号になり、自分で払わなくてはいけないという。その手続きをしなくてはいけないというお知らせが3月に来て、5月連休明けに市役所に届出を出してきた。

それが数日前に届出が確認できなかったので、1号に変更しました、という内容の手紙がまた年金事務所から届いた。

電話で問い合わせてみると、電話口では私が届出をしたのが確認できたのだが、向こうの処理に一ヶ月ぐらいかかるので、失礼な文面で申し訳有りません、とのことだった。

なんだかこちらが悪いような書き方で、本当に言われたら腹が立ってきて、つい口調が詰問調になると、お知らせをしているのに手続きが遅いせいだとまたこちらのせいにする。しかし、二ヶ月近くも手続きにかかっていることに対するお詫びはない。

それと同時に年金の振込用紙もどどっと送られてきて、夫の誕生日の前日から私が払う分が発生していて、未納分と今月末までに払う分(今期末までの払う分全て)を合わせたらなんと25万円近くだった。

なぜ、私は無職で変わらないのに、夫が65歳になったらこれからそんなに払わなくてはいけないのですか?と聞いたら、今までが特別扱いで払わなくて済んだだけです、とのことだった。納付用紙の期限が2年先になっていることを聞くと、納付期限は過ぎているので、払わないでいると、別のところから、督促状がどんどん届きます、とまた人のことを脅す。

うーん、同い年の夫と結婚した人と、歳の差がある夫婦では妻の年金の支払わなくていい期間が違うのだろうか?なんか変だ。しかも、歳をとってから払わなくてはいけないのだったら、先に言っといてほしいと思うのだが、私が無知なだけなのか。

しかももらえる見込み額は去年からなぜか減っているし、もらえる金額ではどう暮らしていけるのかと考えてしまう。

今から長生きするリスクに不安でいっぱいである。

美しい景色とは

 

 先日、東京新聞のオピニオンの欄を読んでいて、「樹木を剪定して、美観取り戻して」というのがあった。河北新報「声の交差点」からの発言で、3.11後を生きるという見出しの下にあった。

内容は松原の展望台からの景観が生い茂った樹木に遮られて望見することが困難になっていたので、樹木を剪定して美しい景観を取り戻して欲しいというものだった。新緑を楽しむために出かけたが、展望台に立ったら目の前の樹木が生い茂って見晴らしが悪いと剪定して美しい風景を取り戻して欲しいということだった。

新聞の構成上、上に「3.11後を生きる」とあったので余計に私の中に別の見方が心に残った。

目の前に茂っている木は庭木のようなものではなく、自然のままの樹形で茂っているものであろう。本当ならそれも景観の一つであって、ただ以前はその展望台から見られた景色とは違ってしまっているということなのだろう。

人は見たいと思うその構図こそが美観だと思うのかもしれないが、まず目の前の生い茂った樹木の成長も自然を感じてありのまま見て欲しい。そして別のもうちょっと高いところから見渡すとか、新しいビューポイントを探してみるとか、まず私たちの見方が変わると、新しい絶景ポイントが生まれてくるだろう。現実にスマホで美しい風景は色々なポイントから撮影されて検索すればいくらでも松原の美しい景色を見ることができる。私がもしその展望台に立って遠くが見渡せたとしても、手前の樹木の枝が無残に切り落とされていたら、手足をもがれた姿のように見えて、とても美しいと喜んではいられないだろう。あくまでも見る人次第で風景というものは変わるのだ。

なぜそんなことにこだわるのか。木がかわいそうだなどというのではない。ただ邪魔だから切るという考え方を受け入れることができなくなってきているのだ。見えなくて邪魔だから切ればいいというのと、不便だから電気をもっと使おうというのも共に3.11前の私にとっての考え方だったからだ。そういう当たり前に思っていたこと、心の持ち方、視点が変わったことが私にとっての3.11後を生きるということなのだ。

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駅前のケヤキ

以前、駅のロータリーが新しくなった時ににシンボルツリーが一本北口から南口に移植された。クリスマスの頃にはイルミネーションがつけられ、新年になると新しい年号のボードも追加されて夜には光っているのを毎年見ていたが、今年の年号のものはつけられていなかった。毎日のように駅の前を通るのでいつも見ているようで、気がついていないもので、いつの間にかだいぶ枝が伐採されていたようだ。

イルミネーションがつけられていなかったのもそれと関係あるのか、木が弱ってきたと診断されたせいなのだろうか新緑が出てきて今、その姿がすっかり変わってしまったのにようやく気がついた次第。通りながら何度も目を向けて、これが今までと同じケヤキの木なのかと思うくらいその姿が変わってしまったのだ。

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まるで違う2種類の木があるのかと思うくらい、枝を切ったところから新しく伸びた枝は垂れて、しかもそこについている葉が普通のものよりもみんな大きい。

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上の方は今までの葉と同じ大きさで上と下ではまるで別の木のように見える。

ケヤキの樹形はそのまま手を加えなくても通常、美しい形をしているのでそのままの姿でいることが多いが、街路樹にしてあって、落ち葉の苦情が出た時とか、木が弱っていると診断されると、枝が落ちて事故になる危険があるからと、大胆に切られてしまうこともあるようだ。先日も樹木医のそうした意見が新聞の投書欄に載っていたが、いくら木のためであると言っても、人間の都合で診断されていることは変わりはないように思える。

 

こちらは駅の反対側のやはりケヤキの木。

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写真で枝が枝垂れているところはやはり伐採されている。

南口駅前にはたった一本のケヤキの木。弱らないでまた元気な姿に戻るだろうか。

 

鹿野大仏

暑くなったりまた気温が下がったり、一週間前もすごく前のようで、一ヶ月前はつい昨日のように思えるこの頃。日曜日の気温の高かった日にあきる野市と日の出町へ行ってきた。・・ここでさらに一週間前も経ち、実にゴールデンウィークも終わってしまったが、行ったのは連休前のこと。

最初に五日市郷土館へ行き、五日市憲法草案の展示を見た。しかし展示の字を読むのは難しく、眺めただけだった。五日市にゆかりの人たちが紹介されていたが、山合いの地なのに、教育や経済、文化に貢献した人たちがいて興味深かった。

その後、山道を登って深澤家屋敷跡へ。

車は行き止まりとあったので、手前のお寺の駐車場に止めた。

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屋敷跡なので、今は門だけ。

道の反対側にこんなところなのにカフェの看板があり入っていくとちゃんとオープンしていて、お昼を食べた。

静かで鳥の声だけが聞こえる自宅のリビングの古民家カフェだった。夫はうどんで、私はピザをいただいた。しかし、手前で行き止まりの札があったから、ここまで来る人が1日にどれくらいいるのだろうか。かなり手前にはキャンプ場があったが、その先では歩いているような人も全く見なかったので、こんなところでカフェをやっていることにびっくりしたのだが、とても美味しかった。

行きに通り過ぎてしまって、わからなかった山抱きの大樫。

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お店の人に行き方を聞いて、車を止めてちょっと上がればあると言われたのだが、結局入る道を見つけるのに迷って30分くらいも歩いてやっと見つけた。お店の人はちょっと行けばあるということだったが、急な上り坂で、予想外だったが、それでもこの木を見ていたら、来て良かったと思った。熊に注意の看板もあったが、会わずに済んで良かった。

山道を武蔵五日市駅方面に降りて行き、都指定有形文化財の小机家住宅へ。建物の中に喫茶室があり、お茶をいただく。

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それから、日の出町に抜けて宝光寺鹿野大仏へ。関東では一番高いとのテレビで紹介されていた。

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正面はサマーランド。下に見えているのが駐車場でずっと歩いてくるので、まだ足の悪い人には無理かもしれない。まだ庭などは造成中だった。

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大きな大仏様と小さな野仏さま。

桜の花吹雪

 日曜日、出かける予定もないからと9時間も寝てしまい、起きると頭がなんとなく重い。目は目やにでくっついている。先週も同じだった。平日はそんなことはないのに、寝過ぎのせいだろうか。

先日新聞だったと思うが、睡眠負債について読んだ。それによると、二度寝をしてみて3時間以上眠ったら平日の睡眠が足りていないということだった。平均して必要な睡眠時間は8時間23分(正確には思えていないかも?)という。

足りている人はほとんどいないのではないかと思うが、私は寝不足だと1日眠気が取れない方。緊張が足りない生活のせいかもしれないが、普段、二度寝は駄目だと言われているので、早速喜んで試してみた。6時に一度目が覚めて、再び目を覚ましたら9時だったので3時間は眠れたことになる。寝溜めは身体に良くないと言われているが、若い頃はそうやって日曜日には1日寝ていたこともある。しかし、年をとると8時間以上寝ると首と背中が痛くなる。肩から腕にかけては痺れてくる。寝られる身体も体力が必要なのだ。夜早く眠るしか正しい睡眠負債の解消方法はないのだが、それがなかなか難しい。

別のコラムか何かで、昔流行った広告の文句で「24時間働けますか?」はその後の時代の変化で「3、4時間働けますか?」というのもあったと知った。私の場合、「24時間眠れますか?」いけないと思いつつ、二度寝をしてしまう、春は特に眠い季節。

さて、もう暦は4月に入ってしまったが、3月30日、近くの根川緑道での桜。

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例によって絞首台に並ぶ海賊を想像してしまう桜並木である。

この緑道は写真左手にある下水処理場の高度処理水を流しているものなのだが、これがもう直ぐ別の場所に移転してしまうので、流れている水がなくなってしまうという話を2年前くらいに聞いた。もし水がなくなればこの桜も影響があるだろうと言っていたので、その後どうなるのかまだわからないが、心配である。ソメイヨシノの寿命という点でもすでに樹勢の衰えは現れているのでそれより先に伐採されてしまうとしたら、もっと悲しいと思う。しかしこのようにテープを巻かれているということはこの桜の景色が来年には変わっているかもしれない。

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ここから高度処理水が流れ出している。

そこから上流の方に向かって歩くと、残堀川が多摩川へ注ぐ地点につながっていて、そこも桜がずっと続いている。

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振り向くと桜の花びらがもう今日が最後よと言わんばかりに降っている。

桜の人気があるとしたら、この桜吹雪のせいなのではないだろうか。紅白の舞台の紙吹雪よりももっとたくさんの花びらを惜しげもなく私の前に降り注いでくれる桜は誰にとってもその瞬間叫びたいほど心に訴えてくるように思える。

もうこの瞬間は来年まで訪れない。でももしかしたら来年その瞬間には会えないかもしれない。そう思うからこそ、今年も桜を見なければと思うのだ。

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(おまけ)

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立川崖線に、 雪が降ったみたいにハナニラがたくさん。

国分寺駅から西国分寺駅とソメイヨシノはもう満開。

先週の木曜日にJRの国分寺駅から西国分寺駅まで一駅を歩いた。その時咲き始めたソメイヨシノが三日後には満開になった。

昨日の朝は起きると頭が重くて目は目やにで開かなかった。これも一種の花粉症の症状なのだろうか。土曜日に付き添いで地域のかかりつけ医に行くとこの2週間くらいは空いていてお昼前には閉まってしまうくらいだったのに、1時近くまで患者さんで一杯だった。お彼岸のお中日に雪が降るというのも、記憶にないが、最近の天候不順で、体調を崩している人がとても多いようだった。

にも関わらず、土日に天気が良くなるととにかく人は外へと出て行くようだ。そして眠い。電車の中でも眠ってしまう人も多い。桜の下にシートをひいて、二人しっかり向き合って熟睡している人たちも。春だ。

というわけで、木曜日の散歩のこと。

電車に乗ったら中央特快だったので一駅目の国分寺駅で降りる。

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国分寺崖線を下って不動橋からお鷹の道へ向かう。

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22日の桜はまだこれ位の咲き具合。

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しかし、シャガの花は5月ごろに咲くと思っていたのだが、もう咲いている。

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崖線の下から水が湧いているところ。

道を挟んで史跡の駅おたカフェがあり、そこでランチを頂く。国分寺市のこくベジという取り組みで、市内の農家や飲食店が連携していて、地産地消の推進を図っている。

ほうれん草のポタージュ。

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そして、湧水珈琲。ランチセットの場合、メニューの珈琲と湧水珈琲の値段は200円違う。珈琲の豆と入れ方は同じで水が違うとのこと。その説明を聞いただけだと、つい、水道は有料だが、湧水は目の前の湧水を汲んできたということなのだろうかと考える。しかし、お金に換算して考えてしまうのはすっかり拝金主義に洗脳されてしまっているせいなのかもしれないと考えてしまうこの頃。その200円は水の記憶が私の体内に染み込んでいくお金に変えられない価値だと感じようと思う。

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国分寺楼門。

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武蔵国分寺跡。市立歴史公園になっている。

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武蔵野線の線路をくぐると武蔵国分尼寺跡へ出る。市立黒鐘公園に続いている。

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国分寺崖線を見ると登りたくなる。

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登って降りて、伝鎌倉街道。10メートルくらいなのだが、切り通しになっていて、車は通れないようになっている。

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そもそも、今回、この鎌倉街道を歩こうという目的のためにやってきたのだが、つい崖の上に上がってしまう。もちろん頭の中では”今日鎌倉へ、行ってきました〜”とずっとリフレインしていたのは間違いない。ここは国分寺市だってば。

そして、今日、鎌倉へじゃなくて上野へ。

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そして国立へ。

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国分寺崖線を歩くのは以前から書いているので参考までに貼っておきます。よろしければどうぞ。

 

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7年が経ち

さて、3月11日からもう二日も経ってしまったが、カテゴリーで311以後というのがあるのだが、去年、一昨年とこの時期に一つ書いているのみだった。あの地震から7年過ぎている。昨日のように覚えているのに、子供達の成長や、大人たちの身体と頭の老化の進み具合を見るとずいぶんと長い時間が過ぎてしまったようにも思える。

あの頃、別アカウントで呟いていたツイッターを見てみたら、日々が非日常であった頃がよくわかる。毎日見知らぬ人たちと情報を伝えあったり、時には食料の配給が届かないという人のために自衛隊防衛庁まで電話したりしていた。

買い物に行けばお店の棚が空っぽだったり、ガソリンも入れられなかったり、時代を感じるのは電車の中まで電気が消えているのにみんなが本や新聞を読んでいると書いていること。今だったらみんなスマホなんだろうけど。

そんな長い時間が経っているのにも関わらず、相変わらず原発の電気を作ろうとしているこの国の方針はまだ変わっていない。あの頃考えていたようには全然進んでいない。

食料自給率も上げようという目標とは逆に下がる一方で、周りを見回せばマンションはどんどん増え、桜並木もヒマラヤ杉もみんな伐採されてしまった。

少子化が問題と言いながら、子供達の次の世代へのことを考えずにまるで死んだら終わりとでも言うように今のことしか考えていないように思える。

これはもう忘れていたのだが、7年前の3月9日に地震があり、10日の朝にも地震警報が鳴って目が覚めたとあった。地震や火山の噴火や竜巻が頻繁に起こるようになった。富士山の噴火や、南海トラフ地震もそのうち起こるのは想定内のことだろう。

次の7年後も、その次も原発廃炉作業はずっと続くのだ。自分が死んだら終わる訳ではない。一人一人がその命の繋がりの中で、生きている。

 

 

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