7年が経ち

さて、3月11日からもう二日も経ってしまったが、カテゴリーで311以後というのがあるのだが、去年、一昨年とこの時期に一つ書いているのみだった。あの地震から7年過ぎている。昨日のように覚えているのに、子供達の成長や、大人たちの身体と頭の老化の進み具合を見るとずいぶんと長い時間が過ぎてしまったようにも思える。

あの頃、別アカウントで呟いていたツイッターを見てみたら、日々が非日常であった頃がよくわかる。毎日見知らぬ人たちと情報を伝えあったり、時には食料の配給が届かないという人のために自衛隊防衛庁まで電話したりしていた。

買い物に行けばお店の棚が空っぽだったり、ガソリンも入れられなかったり、時代を感じるのは電車の中まで電気が消えているのにみんなが本や新聞を読んでいると書いていること。今だったらみんなスマホなんだろうけど。

そんな長い時間が経っているのにも関わらず、相変わらず原発の電気を作ろうとしているこの国の方針はまだ変わっていない。あの頃考えていたようには全然進んでいない。

食料自給率も上げようという目標とは逆に下がる一方で、周りを見回せばマンションはどんどん増え、桜並木もヒマラヤ杉もみんな伐採されてしまった。

少子化が問題と言いながら、子供達の次の世代へのことを考えずにまるで死んだら終わりとでも言うように今のことしか考えていないように思える。

これはもう忘れていたのだが、7年前の3月9日に地震があり、10日の朝にも地震警報が鳴って目が覚めたとあった。地震や火山の噴火や竜巻が頻繁に起こるようになった。富士山の噴火や、南海トラフ地震もそのうち起こるのは想定内のことだろう。

次の7年後も、その次も原発廃炉作業はずっと続くのだ。自分が死んだら終わる訳ではない。一人一人がその命の繋がりの中で、生きている。

 

 

雨が上がると青い空

何もかも進まないまま、カレンダーだけはまた新しい月へと進んでいく。

久しぶりに歩こうとモノレールに乗って、西武線に乗り換えて東村山駅へ。

特に目的地もなく歩き出す。とりあえず人の流れにつられるように歩いて行くと、西武国分寺線西武新宿線西武多摩湖線と次々に駅を通り過ぎた。

道が全て曲線ですぐに方向感覚がなくなるような、綺麗な住宅の立ち並ぶ中を通り抜けた。

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一時半頃だったので、こちらのお宅も桜が咲いたのでしょう。

昨日の都立高校の合格発表で、家族連れをたくさん見かけたと聞きました。今はそういう時代なんですね。

 

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野火止用水の上にサギがいて、隣のカラスが身体を膨らまして鳴きながら近付こうとしていて、求愛しているようにも見えたが、どうなんでしょうか。右手の木の中にもう一羽のサギがいた。カラスと同じくらいの大きさなので、五位鷺かしら?

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都立東村山 中央公園。土の道はふかふかしていて歩くのが、心地よい。

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写真では写らなかったが、太陽の周りに薄っすらと虹のような輪が見えた。今日の天気予報で、言っていた花粉光環だったのかもしれない。花粉が飛ぶとその周りに光の輪が見えることがあるという。この少し前に春一番で強い風が吹いた。外を歩いている間のわずかな時間だったが、上空には色々なものが飛んでいそうだ。

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バードサンクチュアリーになっていたが、のぞいてみるとタヌキがいた!

その後バスに乗って立川に帰った。コートも脱いで、それでも歩いていたら汗ばむようだった。

個人情報

先日、テレビで欽ちゃんの仮装大賞を見ていて、前回のことはあまり記憶にないが、今回は登場者のつながりや団体名など、今までだったら普通に聞いていたり表示されていたと思っていたが、全然触れなかったように感じた。特別に個人情報に配慮するようになってきているのだろうか。学校名などは宣伝もあるかもしれないが、どこから来ましたといって紹介されることもあったと思うのだが、そういうことは全て触れないように配慮されているようだった。

もしかしたら、そういうことを聞くこともプライバシーの配慮からいけないことになってきているのだろうか?

私が住んでいる地区でも町内会があって、昔は住所録も作っていたが、今は廃止されている。古くから住んでいる人は町内会に入っているが、高齢化で抜ける人も多い中、新しく引っ越してきた人はそういう町内会には入らない人も多い。

マンションなどはマンションの自治会があるからダブって入りたくないというのもあるだろうが、新しい建て売り住宅や、ビルに越してきた人は表札すら出さない家もあり、誰が住んでいるのかわからない。

うちの隣もビルだったが、2年前に売って老人ホームへ入りますと挨拶があった後、どこが買ったのか、その新しい持ち主からの挨拶は全くない。

ビルなので名称は前のままでテナントも引き続き入っているので、通りがかりでビルに人の出入りを見ることがあっても、オーナーさんが誰なのかはわからないままだ。

人の関係は全く断ち切られている。

しかしそれでも通常は問題ないのだろう。隣組で助け合うというのは、今では余程の災害が起きた時とか差し迫らない限り、自分にとってメリットがなければ必要ないと思うだろう。それすら、自分の責任で自分で逃げるのが今の在り方かもしれない。

常に不安はあるが、それはただ知らないという不安で、それを元にだから教えろという話にはならないだろう。

それとは別にSNSなどでは位置情報でも買い物情報でもネットには何でも上げて平気な人がいる。私はそちらの方はなるべくあげたくない情報だと思うのだが、感覚の違いなのだろうか。隣り合った人には自分の情報を一切示さず、ネットの世界では情報を与えてしまう。どちらが怖いと思うかの違いなのだろうか。

 

マスクにかぶれる

外に出ると空気が冷たくて鼻水が出るのと、病院の付き添いで出かけるので毎日のように使い捨てマスクをしていた。箱入りで60枚とか入っている安いものを買って使っていたが、ちょっと顔に当たる部分が気になっていたらなんとマスクにかぶれてしまったようで、その部分と耳の後ろのなぜかマスクの当たっていないおでこの生え際がなんとなく痒い。まだ湿疹のようにはなっていないのだが、顔にワセリンだけ塗っている。他の化粧品を塗るのもなんとなく嫌で、その上マスクもしないとなると、素顔をさらして外を歩かなくてはいけない。普段から化粧はほとんどしていないのをマスクで隠せて好都合だったのだが、赤いほっぺで歩いている。

材質はポリプロピレンとポリエチレンで今まで使っていたのも同じようなものなのだが、何か肌に合わない素材か薬品があったのだろうか。

先週のNHKのガッテン!を見ていたら、突然アレルギーになった人のその原因がわかったというのをやっていた。

食べ物でアレルギーになる前に、長い間そのアレルギーとなるものを皮膚にずっと触れていて、皮膚に炎症が傷があった時にそれが体の中に入って時にそれを抗体だと体の中のT細胞と呼ばれる免疫細胞が認識してしまうと、次にそれを食べたり触ったりした時にアレルギー反応が起こり、ひどい時にはアナフィラキシーショックなどを起こすのだという。

ただ口に入った時から起こるものだと思っていたが、その前にアレルギーを起こす原因があるというのはよく考えると当てはまるものも多いように思った。

番組では意外な原因でアレルギーになる例として、医療従事者はラテックス(ゴム手袋)をいつもしていて、ラテックスアレルギーになると同じアレルギーの物質があるものとして、栗、バナナ、アボカドなどのアレルギーを起こしたり、花粉症(ハンノキ、シラカンバ)の人はりんご、キウイ、ももなどのアレルギーになる可能性などを挙げていた。

私は以前、5月ごろに手と顔に湿疹ができた時に皮膚科に行ったらヒノキの花粉症だと言われたことがある。花粉症でも鼻水とかの症状は出ないのだが、手と顔だけに湿疹ができるのがヒノキの花粉症だという。そういえば、その前のクリスマスにリースを作ったことがあって、その花材のヒノキの葉を素手で触って作ったのだが、後からやはり手が痒くなったことがあった。

これは一回だけで1時間くらいしか触っていなかったので、ずっと皮膚に触れていることでアレルギーになるというのには当てはまらないが、マスクの方は最初にちょっと目の下に当たって違和感があったのに、毎日長時間マスクをしていたのがいけなかったのだろうと思った。

故障は続く

また今朝も都内は1センチの積雪。朝は隣の屋根も前回の雪が溶けきらないところにさらに真っ白くなっていたが、午後には半分以下に消えた。

そんな中、我が家の暖房の故障は床下をどのように剥がして交換するのか、前回電気屋さんが見に来て半分だけ使えるようにして行った後、まだ工事の詳細は確定していない。リビングとキッチンと和室とを同じ時期に床暖房を入れた。それから13年経つ。コントロールパネルが壁についているが、この間見に来た電気屋さんによると、パネルは一般家電製品と同じように寿命が10年くらいだという。とすると、もうみんないつ壊れてもおかしくないということなのか。だとすると、修理や交換は壊れた一部分だけの問題ではなく、この際床をはがしたりするのは大工事になるし、一箇所直して床を戻したら、隣のがまた壊れました、なんてことになったらまた床から剥がすなんて現実的ではないし、では全部替えるのかとなるとどのくらいかかるのか?

今朝その見積もりのために大工さんが来たところである。

ところが、その前にまた事件が起きた。

昨日の夜のこと、リビングで10時ごろぴーぴーと言う電気音が3回くらい聞こえたが、どこから聞こえたのかわからなかった。さらに11時ごろにもまた聞こえて、今度はもうテレビも照明も消していたので、どこがなったのか探していた。携帯ではないし、レンジやキッチンの家電も鳴りそうなものは見当たらず、ウロウロしていたら、和室の床暖房のコントロールパネルが突然明るくなってスイッチが入った。触ってもいないのに突然ついたのだが、周りが暗かったので今度はすぐわかった。それがぴーぴーとなって、普通は予約してある時刻が表示されているのだが、文字ではなく滅茶苦茶な表示になり、びっくりして切るのボタンを押すのだが、それが効かない。他のパネルのボタンを押しても全く反応せず、そのうちになんと煙が出てきたのだ。コードが焦げるような匂いもしてきて、慌ててブレーカーを落とした。パネルを触ると熱くはなっていたが、そのあとは煙は収まった。

リビングの暖房のコントロールパネルと和室のコントロールパネルは上下に並んでいて、この間上のリビングのコントロールパネルは電気屋さんが開けて半分だけ使えるようにして行ったのだが、和室の方はその時点では異常がなかったのでチェックはしていなかった。

前回は床のパネルが異常を起こしたのだが、今回は床の方ではなくコントロールパネルの方である。ただ同じ時期の同じ商品だから、たまたま同じ頃に壊れたのだろうか。

それにしても、これが留守中に勝手にスイッチが入って燃え出していたら、どうなったのか、考えると恐ろしくて目も冴えてしまった。

今日また電気屋さんに電話をするとパネルを取り寄せるのに最低で一週間かかるそうで、また来週になってしまう。

昼の間は他のオイルヒーターもタイマーで切ってあるので、ますます暖房が無くなり寒い中で過ごしている。

突然停電

三日前の朝、家族が出かける前の時間、突然電気が消えた。もう明るくはなっていたが、洗面所や玄関は電気がないと暗い。テレビも消えて、どうやら家の中の電気が全て停電しているようだ。ブレーカーを調べてみたが、落ちていないようで、近所も停電しているのかと思って外へ出てみると、うちは3階なのだが、2階は普通に電気が付いている。初めてのことで、どうすれば復旧するのかわからずに東京電力の検針票を見て、電話をかけた。朝7時台だったが、自動音声の案内に従って番号を選択して、数分して電話がつながり1時間くらいで調べに来てくれた。

家の中と外の漏電ブレーカーが落ちていた。

そういえば、その2、3日前からリビングの床暖房が左足のところは暖かいのに右足のところは冷たくて、以前からだったのか、壊れたのかと思っていたのだが、年明け早々また家の中を工事屋さんに修理を頼まなくてはいけないのかとそのままにしていたのだった。東京電力の人が調べて床暖房の漏電であるとわかり、そのほかの電気は復旧した。10年以上前にリフォームして、オール電化にこそしなかったのだが、キッチンをIH、トイレも自動にした結果、停電するととても不便になってしまった。トイレもレバーがあるタイプなら停電しても水が流せるが、それも付いていないのでバケツで水を汲んで流さなければいけない。幸い1時間ちょっとで済んだのでホッとしたが、床暖房の方はこれから修理をしなくては使えない。

しかし、床暖房というのは床にコルクを貼ってあるその下に入っているので、床をはがしてとなると、電気屋さんの修理では済まないかもしれない。

電気のコードなどは耐用年数もあるのだろうが、簡単に取り替えられる様子はないので、すごく心配だ。まず先に電気屋さんに見に来てもらい、どういう工事になるのか調べてもらうことになったが、土日に入ってしまっているので、来週以降の話になるだろう。

夏はエアコンを使っているが、冬は乾燥するので、デロンギのヒーターを使っているが、それだけだとやはり寒い。家の中でも外と変わらぬ服の数を重ね着して耐えている。

 

夕日と富士山と

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駅ビルの最上階のカフェからの眺め。12月12日頃と、1月1日に富士山のほぼ真ん中に夕日が沈む。午後4時10分ごろ。10日くらいまでは少しずつ連れて行くが、富士山の向こうに夕日が沈む。

今日は7日なので午後4時23分頃、向かって右側にずれている。スマホでは滲んで夕日をうまく写せなかった。

駅ビルができて5、6年してそのことに気がついたのは10年くらい前。偶然に見たその景色はその後もなんども見られると思ったが、見られそうで、天気や都合でなかなか見られない。結局人生で同じタイミングで同じ景色を見られることなんて、2度とはないのかもしれない。

年末年始、義母がデイサービスに行き、帰るまでの間に別の身内の介護に電車に乗って出かけて、お迎えに間に合うかどうかハラハラしながら帰路につく。

中央線の高架から家が近づくと富士山と夕日が見える。電車の扉に体をくっつけてじっと見つめる。いつ見ても魅了される。

自分の住んでいる町がそれだけで特別の町のように感じている。うちの窓から見えるわけではないけれど、富士山が綺麗で冬至の前後にダイヤモンド富士が見られるこの町が。

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