食べられる幸せ

台所からポコポコと言いながらコーヒーの香りが流れ、
イワンのアンチョビキャベツのパンがオーブントースターで温められて、芳ばしくてパンチの効いた食欲を誘う香りが漂う時、
生きる力が湧いてくる。        by私

今月の上旬にお義母さんがデイサービスの送迎中に車によって戻してしまい、汚物処理のドサクサで上の入れ歯がなくなってしまった。

ノロウイルスか、インフルエンザかと心配したが、翌日には元気で大事には至らなかったが、さて食欲はあるのに入れ歯がないので食事ができない。食べたいものが頭の中に浮かんでいるのに、出てくるものがおかゆか雑炊かうどんのローテーションで、何故歯がなくなってしまったのかを翌日にはすっかり忘れている義母にはどうして食べたいものが食べられないのかが理解できずに、食事の度にガッカリしてため息をついていた。
入れ歯を無くして歯茎で食べるとなると、柔らかいものに限られる。
幸いに(なんだかどうかは置いておいて)、デイサービスでは真空調理で歯茎で切れるほど柔らかくなる料理法で、隣の人と同じメニューで同じ見た目のままで、柔らかさだけ柔らかくなるおかずを提供してくれた。
他に一度ミキサーでドロドロのものを再びゼリーで固めて、見た目を同じようにした魚とかもある。
真空調理の切り干し大根の煮物などは美味しいと食べたが、ミキサー後に固めた魚はまずいと言って食べなかったようだ。


15年くらい前、お義父さんが入院していた時に、やはり病院で入れ歯を無くして、ミキサー食が出て来たが、全てのものがドロドロで、器に入っているものだった。味は残っているのだろうが、見た目と舌触りのないものは全く食欲が湧かない。ほとんど食べてくれず、病院が近かったため食事のたびにお粥や雑炊を作って家から持って行った。

最近はそれをまたゼリーで固めて形を整えて魚の見た目にするようなのだが、柔らかくても噛めるのと、ドロドロとではやはり違うのだ。
お米は柔らかく炊けばカレーや、スープや味噌汁をかけても食べられる。お粥に雑炊、うどん、おかずに豆腐、胡麻豆腐、卵豆腐のバリエーション位の食事が二週間。朝に、なると入れ歯がないのと探しているお母さんに雑炊を出して入れ歯ができるまで柔らかいものを食べるしかないと言うと、大きなため息を20回位つきながら座っている。

入れ歯を無くした翌日に歯医者へ行って(幸いにも隣が!歯医者さん)入れ歯を作ってもらい、2週間後に保険で出来上がった。一番初めに型を取らなくてはならず、それが高齢者にはものすごく苦しい姿勢で我慢するのが辛くて、「もう嫌だ、歯はいい」という声にいっそ作るのはもうやめようかとも考えたが、歯医者さんは噛まない習慣になると、筋力も衰えて寝たきりになるリスクも高まりますと言った。確かに2週間の間に急に認知力や筋力が落ちたような気がするのは気のせいだけではないように思えた。

 

美味しいものを口に入れてよく噛んで、それが体に染み渡って行くのを感じる。それは祈りのような儀式とも似ている。

 

忙しいから、時間がないからとこれ一本でエネルギーチャージ終了で食事を済ませることを脳は受け入れてくれるものだろうか。フォアグラのガチョウの如く、ロボットの如く、カロリーや栄養素が正しくても、食べることにあるのはそれだけではないように思う。

 

食べること考えること (散文の時間)

食べること考えること (散文の時間)

 

 入れ歯が入った日に、まだ新しい入れ歯の形状になれず違和感と少しの痛みがありとったり入れたりしていたが、かき揚げうどんを食べた後のお義母さんはものすごく上機嫌だった。

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