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首都高の出口を間違えて

つぶやき

先週、羽田の方に車で出かけた。首都高は分岐や合流があってとても複雑だ。何度も通っている道でもナビを設定せずに走っていたら、やっぱり分岐する地点を間違えて通り過ぎてしまった。それでもあそこらへんは迷路のように別れたり繋がったりしているので、高速を降りることなく、羽田空港をぐるりと回るような形で目的地の方に繋がってはいた。そこは初めて走る場所で、羽田空港から多摩川を渡ってしまった、川崎側の神奈川6号川崎線だった。

その一本まっすぐに続いている道の左右がどこまでも工業地帯で壮観だった。曲がりくねったパイプや煙突からは煙が立ち上っている。窓を開ける気にはとてもならない。今までお台場側ではホテルや高層の建物や観覧車などが見えていた風景とはまったく異なる、異空間に思えた。

少し行くと、ナビで右側が花王で左側に東芝があり、8月に工場火災でニュースになったところだとわかった。もう火災の場所などは車からはわからなかったが、その時のニュースで、近くには東芝の実験施設の原子炉もあるというのを知ったのだ。

 

まるで、最近観た古いSF映画の近未来の世界で人類は地下に行ってしまったあとの世界のようにも見える。少なくとも、人間が住みたい街の景色ではまったくない。

 

私の住む街でも、都内でも高層マンションのラッシュが続くが、先日新聞でそういう高層にこれから人が住み、育つ子供たちへの影響などはあまり論じられていないのではないかという意見を読んだ。

実家の近くに建て売りができて引っ越してきた家族は2011年の地震で都内の高層マンションに住んでいたが恐怖の体験から越してきたと言っていた。そういう家族がかなりいたはずだが、もう忘れ去られてしまっているのだろうか。

そして、耐震性などの安全性よりももっと大事なことは、そういった人工物ばかりの環境でずっと暮らしていくことに本当に適応してくのだろうかということだ。

 

自転車に乗った人がスナックパンをかじりながら通り過ぎるのをみて、アメリカのサブウェイの添加物騒動を思い出した。美味しいと思って食べているものでも、工業製品に使われるのと同じ化学物質が使われたものだったら、それも人間の身体の一部になってしまうのだろうか。

アンドロイドはだんだん進化して学習能力が上がって人間に近づいていくのと同程度に、人間も製品化してるのかもしれない。命はまだ宿っているけれど、なんだか危うい。

昔の私は、祖母が土の付いたジャガイモをさっと洗って蒸したのを皮を手で剥きながら食べているのを見て、「まだ土が付いている!」と思っていたが、今の私だったらそんなに目を三角にした自分が恥ずかしく思える。土は汚いものではなくて、土からもらった養分がジャガイモを通して身体の一部になるのだと感じるこの頃。

 

 

 

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