世田谷美術館

土曜日に世田谷美術館術館へ行った。「速水御舟とその周辺ー大正期日本画の俊英たち」という企画展を観てきた。

パンフレットに"短い生涯を疾風怒濤のように駆け抜けた天才日本画家・速水御舟。”とあり14歳で安雅堂画塾に入門した間もない頃の絵からその後の画風が変わっていく作品や病に倒れる前の作品までが見られる。周辺というのはどうかと思うが、師や兄弟子や御舟一門までを広く集めていて、同輩の小茂田青樹の絵と並べて飾られているものなど興味深い。御舟に限らず他の画家たちも30代40代で亡くなっていて、もし生きていればそれぞれどんな絵を描いていただろうと思わずにはいられない。

最近の展覧会のいくつかがそうだったが、こちらも前期と後期では入れ替えがある。作品保護のためだが、近くならともかく、なかなか期間中に2回観に来るのは難しい。

 

美術館まで一番近い用賀の駅から歩いて17分だが、その日は暑かったので、千歳船橋からバスで行った。途中、環八を通ると、ロボットの顔が乗っているようなとても目出つビルをみた。メモリードホールとM2という文字がビルにあって斎場として使われているようだったが、とにかく目立つビルなので、建築家は誰かと車中で検索してみた。もともとマツダの建てた、隈研吾のデザインしたポストモダン建築として有名な建物だった。内外装のデザインで評判だったようだが、マツダが売却し、外装はそのままで、現在は斎場として使われているという。

 

世田谷美術館は内井昭蔵の建築だ。高校生の夏休みに合宿で野辺山YMCAに行ったときにもその建物から同じ心地よさを感じた。何十年か経って、それが同じ建築家のものだと知った。ただ建物の中にいるだけで、その建築家の心というか精神が押し付けではなく私の身体を包むような感じがする。

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この先のレストランでは結婚式が盛況なようで、先にちょうど終わった人たちが帰り、次のウエディングドレスとタキシードの2人がちょうどここで写真を撮っていた。

 ここで結婚式を挙げたカップルたちも建物と同じように末長く幸せでいてくれるように願う。(日本ではその建物さえ残ることが難しいのかもしれないが)

 

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