What can I do? とノートに書いた

静かな日曜日の午後。何もしないという答え。

食べたもので出来ている。書いた言葉で出来ている。私の身体とブログ。今週の話題を。

 その1、家の近くを歩いていて、新しくパン屋がオープンするのを知った。昨日がオープンと看板に貼ってあって、朝7時からでモーニングがあるというので朝7時に行ってきた。

 その2、夫が初めてのNYに出張で出かけた。行く前に練習したスカイプで今朝話をした。日本で向かい合って話した時は音声が遅れたり、響いたりしたのに、アメリカからだとまったくスムーズでストレスもなく話ができた。行った日にニューヨークでエボラ患者がでて、ニュースでは現地の人がインタビューで地下鉄には乗りませんと話していたのに、早々に地下鉄に乗ったとか。飛行機の中ではワインを2杯もズボンの上にこぼされて、乾かしてくれている間、靴下も脱がされタオルを巻いた状態で5時間過ごしたとか。会議なのに喋れる英語が「I can't speak English a little」だけなんだとか。アトキンソンさんにも勝てそうな話。

 その3、三鷹をぶらりと歩いていて、古本屋に入ってライアル・ワトソンの『未知の贈り物』という本を買った。この本は1979年出版だけど、読み始めてすぐ引き込まれていく。今だから興味深く感じられることが次々と出てきて、求めて与えられたみたいな気分。

 その4、明日から国会がまた始まるけれど、大臣が代わってもまた政治と金の問題で追求しますとか。そんな議論を聞くよりも、再生エネルギーの買取が中止になるとかの方がよほど大きな問題だと思うのだけど、全然話し合う気などないのだろうか。買取額がどんどん増えるであろうことは少しでも先のことを考えれば当たり前のことなのに、やってみてすぐ見直しますというのは、最初から考えていなかったからと思えてしまう。あるいはやりたくないという見え見えの思惑どうりということか。

 

植物関係の本を読んでいて、人間は赤の色が見える能力を獲得する以前は緑と赤の区別がつかなかったというような記述を読んだ。椿の木に赤い花が咲いていても区別がつかなかったという訳である。すると、能力を獲得することにより、もしかしたら、赤外線、あるいは紫外線も見えるようになる可能性はあるのだろうか。あるとすれば、それはどんな色に見えるのだろうか、ということが気になってしょうがないこの頃。

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