東京都慰霊堂

両国の駅から徒歩10分の所にある横網町公園の中に東京都慰霊堂、東京都復興記念館がある。今はお相撲が始まっているので国技館の前にはたくさんの人がいる。

そのすぐ近くに慰霊堂があることをつい最近知った。

関東大震災でその公園のあたりは被服厰跡と呼ばれる空き地になっていたために4万人の被災者が大八車で家財道具とともに避難して来て、身動きもできない程になったところに火災旋風が起こり、そこにいた95%の人々がなくなる大惨劇となったところだという。

慰霊堂は昭和5年に震災記念館として建てられた。翌年に震災復興記念館も開館した。

そして昭和20年の東京大空襲で10万人以上の死者がでた。あたりは焼け野原になったが、この慰霊堂は奇跡的に焼け残った。この時に身元不明のまま公園、墓地、空き地などに仮埋葬されていた遺骨を昭和23年に発掘、火葬し、震災記念堂に増設した納骨室に安置したのだそう。その後、昭和26年に「東京都慰霊堂」と「東京都復興記念館」と名称変更された。

慰霊堂は耐震補強工事中で、幕に覆われていたために建物自体は外からよく見えなかった。建築家は伊東忠太という人で幕の外には装飾に色々な妖怪がいると絵図があったので、見られなくて残念だった。

敷地内には震災犠牲者追悼のために中国仏教徒から送られたという弔霊の鐘、朝鮮人犠牲者追悼碑、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑、などがある。

朝鮮人犠牲者追悼碑の前には、震災後に流言飛語により起こった悲劇により亡くなった人達へ今もたくさんの花が供えられていた。

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東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑。東京都が平成11年度から取り組んでいる「東京空襲犠牲者名簿」がこの中に納められている。平成26年3月現在80,150名の名前があるそうだ。いまでも名前の登載受付を行っていると案内があったが、どれだけの人がいるのだろう。多分調査した時にもわからなかった人はたくさんいるだろうと思う。自治体で亡くなった人の人数をだして分かった人の名前は名簿にいれたものの、その時にわからなかった人、通りすがりで亡くなった人、身寄りの無かった人、地方から働きに来ていた人、家族全員亡くなってしまった人、何万の中に埋もれている人がいるのではないかと考えてしまう。

 

記念館に入ると丁度慰霊堂に入った時にすれ違ったおばあちゃんと孫らしい2人連れが先に見ていた。おばあちゃんが「2才だったね」というのが自分の歳か兄弟かわからないが、杖をついて自分でしっかり歩いている方のお歳を想像する。20代くらいの青年が「ここが被服厰があったところだよ。おばあちゃんがよく話してたでしょう・・」というのが聞こえた。

若い人に伝えるということが貴重なことだと感じるこの頃、この2人の関係がとても羨ましかった。

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横網町公園と両国国技館の間にある旧安田庭園を通りながら帰った。

 

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