宮本常一さんの「私の日本地図」という本を見つけて、15巻あるらしいが、とても買えないので10巻の「武蔵野・青梅」の巻を買ってきた。昨日読み始めたばかりなのだが、そんなに昔じゃない(だって私が生まれた頃なんだから!)武蔵野の風景が自分の記憶とは全然違うのに驚いた。記憶にある頃からの10年くらいの間に武蔵野の風景もあまりに変わってしまったということなのだろう。
最初のページに紹介されているのが府中付近の景観である。1964年の府中市浅間山から北東をみた写真に「樹海のようだ」とある。
宮本常一さんは昭和36年に府中へ越してきたそうで、国分寺の駅から南口をしばらく南へゆき、左へ折れるとケヤキの並木道があって、そのケヤキ道から右へそれて少しゆくと、麦畑になっていてその畑の向こうに二、三軒家がたっており、その中の小さい一軒で、駅から家まで近道を通るとほとんど家はなかったとある。
その後数年から10年もしないうちにたちまち高度成長期の開発で景色が変わっていったのだ。60年代の写真をみながらその頃の風景と現在の風景が二重に見えてくる。
あとがきの日付は昭和46年だが、その時すでに「私はこの書を書きつつ、この書が武蔵野の挽歌のようになるのをどうしようもなかった。」と結んでいる。
そして追記に地名について、「最近改正せられた地名はほとんど用いていない。」といい、「いずれ古い感覚がきえてくれば新地名が通りがよくなるであろう。それにしても、地名をかえるということは文化を断絶させるのにずいぶん功績のあるものだと思った」と書いている。
そういえば、今朝、テレビを見ていた娘が土砂崩れのあった谷の古い名前が蛇落谷というんだってと言っていたのを思い出した。