東田直樹さんの本

東田直樹さんは時々買う、ビックイシュー日本版に「自閉症の僕が行きていく風景ー対話編」という連載があるので名前は知っていました。

「子どもが一番望んでいることは、親の笑顔です」 - mikuちゃんの日記

で東田直樹さんのNHKの番組とまた著作があることを知りました。

文章を読んでいると、病気を抱えていることが想像出来ませんが、親とさえ会話でコミュニケーションをとることが出来ない重度の自閉症だそうです。テレビでは文字盤を使うことでずいぶんとコミュニケーションがとれていましたが、そこへ至る迄の親御さんの力添えも強く感じました。

自閉症という言葉の通り、自分を閉じ込められていているのだと、彼の言葉を聞くことで、その見た目との差から見た目でしか理解出来ない自分が恥ずかしくなりました。

早速『自閉症の僕が跳びはねる理由〜会話のできない中学生がつづる内なる心』と『自閉症の僕が残してきた言葉たち〜小学生迄の作品を振り返って〜』とを買ってきました。

自閉症の僕が残してきた言葉たち』から東田さん7才(小学1年生)の時の文を引用します。

海の中には(であったかわいいいきものたち)

(略)この海のぬしがあらわれました。

(略)ぬしはいいました。

「ここの海にはかなしいことも、つらいこともない。それがしあわせというものだ。ひかりをひつようとはしていない。この海からでていけ」

とおこりました。

ひかりのつぶは、すこしさがっていいました。

「しあわせというものは、心がくるしくないことではありません。くるしくてもかなしくても、みんなにひつようとされることが、ほんとうのしあわせです」

(P.28) 

もうひとつ、『自閉症の僕が跳びはねる理由』より

21 どうして言われてもすぐにやらないのですか?

(略)

  自分がやりたくても、やれない時もあります。体がいうことをきいてくれない時です。体がどこか悪いのではありません。なのに、まるで魂以外は別の人間の体のように、自分の思い通りにならないのです。それは、みんなには想像できないほどの苦しみです。

(P.56)

 しかし、よく考えると普通と考えられる私たちも、自分の意志と思って行動している様々なことや感情は実は脳が命令していてそれに考えないまま実行しているだけで、それがおかしくないと思っているが、本当の心は違っているということは色々な場面であるように思う。

手を洗うことがやめられない、という行為や同じことを分かっていても何回も聞いてしまう、とか、心ここにあらずという会話をしていることとかどこから困るという線をでていないだけで心の存在を私たちの方がないがしろにしている面もあるのではないだろうか。

言葉の会話ではなく、魂同士で話ができたら、もっと本当のことが理解できるのかもしれない。

 こちらは以前に読んだ本。

ぼくは考える木―自閉症の少年詩人と探る脳のふしぎな世界

 

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