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国立ハンセン病資料館へ行った

先日、日経新聞で福島経済特集の記事で最初に帰村宣言を出した川内村に遠く離れた長崎大から放射線専門の保険師が住み続けて、住民の健康相談に応じているというものが出ていた。下の囲み部分で、長崎大、放射線研究が盛んという見出しで、5月に「福島未来創造支援研究センター」が設置されてそこの山下俊一センター長は「川内村のほかにも順次住民の帰還が始まることを見据えた体制作りが必要。長期戦だた、支援を引き継いでいきたい」との話が載っていた。

福島県立医科学副学長、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして、いままでも何かと山下俊一医師の名前が出ていたが、新しく設置された福島未来創造支援研究センターもまた同じ人で、住民たちの心配に答えるといっても同じ答えが帰ってくるのだろう。

 

東村山市にある、国立ハンセン病資料館へ行ってきた。

国立療養所多磨全生園の広い敷地と隣接するところにある。イメージでは近くのトトロの森の八国山緑地の中のように思っていたが、あるのは市街地の中で全正園正門は所沢街道に沿っていて車の通りも多い所だった。

治療薬が日本でも昭和21年から使われて治る病気となってからも、明治の頃に始まり昭和に渡ってずっと続いた隔離政策は改善されず、らい予防法が廃止になったのはなんと平成8年のこと。

国立療養所という名前に病気を治すために行くと思って入所したきり、二度と出られないと分かった患者たちの中での閉ざされた生活は、外に知られないことによってより悲惨なものであった。あまりの環境の悪さにより病気が悪化していく悪循環の生活。

今は正門から車で入っても、駐車場がいくつかある案内板をみて止めても守衛さんがいるわけでもなく、自転車で通行している人もいる。しかし、少し前まではこの中はまったく隔離された世界になっていて、そのことに私は気が付いてもいなかったのだ。

国が過ちを認めるまで、認めてからも人の偏見がなくなるまで、なんと長い時間がかかることか。それとも認めないまま死んでいき、次の世代に変わるまでなくならないものなのだろうか。

偏見を無くすことも大変だが、偏見を持つ前にそのものが無かったことの様に隠されてしまうのも恐ろしい。厚生省のパンフレットでは国は過ちを認めたが人々の差別や偏見がなくならないのは、一人一人の内の問題と書いてあったが、まるで人ごとのような書き方に思える。

パンフレットでは人々が治らない伝染病を畏れて偏見や差別の対象とされて患者自ら療養所にいくしかない状況だったから、「らい予防法」が出来たとあるがなんとなく責任は人々の偏見にあると言っているようだ。

また、隔離する必要があると言っている、その時の権威の医者がいる。

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塔和子さん、14歳で療養所に入園し、23歳でハンセン病が完治するも帰れずそのまま療養所で過ごされた。昨年お亡くなりになり、今年故郷のお墓に分骨されて本名が刻まれたというニュースがありました。

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