煙の様に儚く

何故か昨日からネットを見るのに反応が遅くて、パソコンの調子が悪いのか、Wi-Fiの調子がわるいのか、はてなのブログは時間がかかりながらも記事は読めるが、一部出てこない部分があり、☆もでてきません。

すぐ見られるものもあるのだけど、待っても待っても出てこないページを待っているのはちょっと辛い。

 

駅ビルの雑貨を売っているお店で珪藻土バスマットを見つけて買ってきた。

バスマットは今までタオル地のものを2枚並べて使っていたが、家族4人では後から入るともう濡れていて心地よくない。この間別の店でヒバのバスマット(すのこ)が打っていた時も心が動かされたのだが、今回お店の人に使い心地を聞いてみた。

すると、店員の女性が「私は使ったことがないんですが、前のアクセサリーショップの女性が先日買ったので、聞いてきますね」と言って、なんとその女性を連れてきた。彼女は自分のお店でもないのに使い心地からお手入れ法まで教えてくれたのだ。それで実際に使ってみた感想を聞けたので、私も買ってみた。

 

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これが濡れた足を乗せると吸い付いて水を吸い込む〜という感じがして、2,3回ぱたぱたと足踏みすると確かにすっかり乾いている。次の家族が使う時にも全然濡れた感じがしない。次の朝に髪の毛を落として立てかけておくだけでいいので、とても楽。

 

昨日は家族で送り火をした。お盆で迎え火と送り火はしたけど、盆棚などは年々簡略化して今年は青竹も蓮もミソハギもほおずきも買わず、馬と牛も作らなくてまこもを敷いて、野菜と素麺とお菓子をお供えしただけだった。

親戚で新盆のお家があったので、行ってきたが、田舎でも10年くらい前の時は色々飾ったり、白い提灯を付けたりしたが、最近はそのあと燃やすとかゴミで出すなどが出来なくなってきたせいか、やはりやらなくなってきたようだった。

 

仏壇そのものも昔の家のものは大きくて立派だったけれど、子供世帯が独立して親が家を売って何処かへ移り住むという場合には仏壇の行き場が無くなることもある。母親が老人ホームへ移り住むというお宅では、お仏壇のはせがわに頼むと家の大きい仏壇と新しく買ったマンション用の小さな仏壇をお寺に運んで魂の入れ替えをして古い仏壇は処分してもらうのだという。そして新しい仏壇を息子夫婦の家に納めてもらうのだそうだ。

親の家に子供の家族が住むことも難しくなっているのだろう。兄弟がいると遺産相続が起きると家を売らなければならなくなる家も多い。これは国のやり方なのかもしれないが、みんな平等に分けるという名目で財産はだんだんに無くなってしまう。

 

しかし、形ややり方にこだわるものある時代の流れの中で変わるだけなのかもしれない。昨日読んだ「かもめのジョナサン」(完成版)で40年経って最初から書かれていたのに発売された時には削られた第4章を読んで感じた。

 

かもめのジョナサン完成版

かもめのジョナサン完成版

 

 

 

 

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