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6月15日、米軍がサイパン島に上陸した日

タイトルは今日のニュースから。あえて今日のほとんど一日中ニュースだったことには触れず。

 

細い道を歩いている時にクロアゲハがふわふわと前を横切る。こういうことって何か意味がある?なにかの兆しなのだろうか。ただ何の意味もなく通り過ぎただけが現実だとしても、すべてはどこかで繋がっていないとはいえない。

だからそこに何かの知らせがあるのではないかとその度に考える。そう、蝶が目の前を横切ることなんて普通にあること。そんなに特別のことじゃあない。

 

2ヶ月近く前に植えたナスの苗がそのままの状態から全然大きくならない。しかし、枯れている訳でもない。茎を引っ張ってみたけれど、ちゃんと植わった状態ではある。人はそれは肥料をあげていないせいだと言われる。

野菜が育つには肥料が必要。そんな当たり前のことを敢えてしない。肥料がなくても育つなんて甘い考えは野菜作りには通用しないのかもしれない。

未だに花が咲く様子もない。このままでは実もならないかもしれない。

一緒に植えたミニトマトはいくつか実がなり、また上に伸びて花も次々とついている。されにその横の青ジソはかなり大きく繁っている。バジルは青ジソの影でかなり控えめだ。

さて、一昨日買ってきた荷物が重かったと書いた新刊本と書いたのが(そんなに新しくなかったが)この本だった。

 

遠野物語remix

遠野物語remix

 

 

 遠野物語の原作は知っているだけで読んだことがなくて、こちらは読み易いのですぐ読んでしまった。読み始めるとたちまち引き込まれてしまう。

そう言えば、義父母(大正生まれ)位の人達の話の中では、この話に出て来る様な、夜道を歩いていると狐に化かされるとか、家の祟りで手に水かきのある子供が生まれたとか、まだついこの前までは日常の中で普通のことだったように思う。

義父母の家の近くには何軒もの拝みやさんのような人がいて、色々なことを聞きに行ったものだというが、そういう人は霊力というのだろうか、梁の上のネズミを落としたという話も聞いたことがある。今はほとんどいなくなってしまっているだろうし、色々な話を聞いてもいつの時代かと思ってしまうけれど、それらはまだ昭和の始め頃でまだ遠野物語の世界と似ていることが沢山あった。

 だから遠野でなくても、同じ様に話を集めてみると本当は至る所に同じ様な話はあるのかも知れない。みんな話を聞かないうちに無くなっていこうとしている。

街も家の中も明るくなって、そのぶん見えなくなっていったいろいろなもの。

影はなくなったのかもしれないけれど、その存在がなくなった訳ではないのかもしれない。それは畏れる心の中には同じ様に生きているのかも知れないと思う。

本中に出ている、開けると祟りがあるので絶対開けてはいけないと言われている葛、というのはそういう畏れる気持ちと共に今はもう無くなってしまったのだろうか。

千晩ヶ嶽の山中には沼がある。

沼のある処は谷になっていて、物凄く生腥い臭気が立ち籠めている。

この山に入り込んで帰って来た者はごく少数だということである。

 ああ、こんな所今でもあるような。

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