4号機の使用済み燃料プールに水が残っていたのは本当に偶然の幸運だった。
吉田調書ーエピローグ
写真|東京電力福島第一原発=2013年12月15日、福島県大熊町、朝日新聞社ヘリから、仙波理撮影
東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午後11時ごろ、在日米国大使館のジョン・ルース大使は枝野幸男官房長官との電話会談で「アメリカの原子力の専門家を官邸に常駐させてほしい」と申し入れた。米国が原発事故の収束作業の進め方に不信感を抱いている表れだった。
米国は本国でも藤崎一郎駐米大使を何度も呼んで、懸念を伝えた。米国の懸念の中心は福島第一原発4号機の核燃料プールだった。
在日米国大使館は2011年3月17日、福島第一原発から50マイル圏内の米国民への避難勧告を出した。50マイルはメートルに換算すると80キロメートルになる。日本政府が出していた避難指示の、距離で4倍、面積にすると16倍に及ぶ。
日本の避難指示が不十分だと言わんばかりの勧告だが、根拠がないわけではなかった。米原子力規制委員会のグレゴリー・ヤツコ委員長が前日の16日に、プールの水は空だ、と発言していたことだ。
4号機の核燃料プールには、新燃料204体と使用済み核燃料1331体が入っていた。うち548体はつい4カ月前まで原子炉内で使われていた。そのため、4号機のプールの核燃料の崩壊熱は、例えば3号機のプールの核燃料より4倍も高かった。
プールの核燃料は、原子炉装着中と違って、鋼鉄製の圧力容器および格納容器に守られていない。さらに、外側の原子炉建屋は3月15日に水素爆発で吹き飛んでいるため、冷却が止まって発火し燃え上がると、プルトニウムやウラニウムなど猛毒の放射性物質をそのまま外部環境に放出してしまう。
そうなると福島第一原発はもとより、わずか10キロメートルしか離れていない福島第二原発も人が近づけなくなり、2つの原発にある核燃料入りの原子炉と核燃料プールがすべて制御不能になると恐れられた。
日本政府は3月25日になって、近藤駿介原子力委員会委員長に、原発が人の手で制御できなくなれば強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性があるという最悪シナリオを描かせた。だが、米国は3月16日の時点で、4号機の核燃料プールはすでにその危機的な状態に陥っていると判断していた。
ところが、日本の最悪のシナリオは現実のものとならず、米国の判断も間違っていた。
では、なぜ日本の最悪のシナリオや米国の中心的懸念は回避できたのか。重要な考察を「吉田調書」を引用しつつ記し、本エピローグをしめくくる。シリーズでは、原発は誰が止めるのか、住民は本当に避難できるのか、原発はヒトが止められるものなのかを考えてきた。「吉田調書」の分析・検証作業は終わらない。(以下、文中敬称略)
——— 確認したかったのは、4号機の燃料プールなどが水温も上がっていて、ここに対して冷やさなければいかぬとか、ヘリなどで確認する前の段階だと水位が下がっているのではないかとか、いろんな推測が立つわけです。4号機の方に力を入れようかというところで、先ほど確認した優先順位のところでも1番目に1F4ということが書いてあって、実際に3月17日にやったときというのは、91番のところですけれども、3号機の使用済み燃料プールを冷却するためとなっていて、4号機から3号機へ移っている経緯はどういうことですか。
吉田「時間は忘れましたけれども、17日の午前中にヘリコプターが飛びました。注水のヘリコプターではなくて、上空から偵察のヘリコプターです。これは自衛隊さんだったと思うんですけれども、飛びまして、それにうちの社員も乗っていまして、ビデオ撮影をしたんです。そうすると、4号機の燃料プールにどうも水がありそうだ、残っているみたいだ、水位が見えた」