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「聞く用意のある耳への贈物」(ネィティブ・アメリカンの口承史)

おとといの日曜日の朝9時頃だったか外にでると、家の前の歩道を次々に人が通る。祭日は出勤の人もあまりいないと人通りが少なくてひっそりとした感じがあるが、何だか皆出かけるのだろうか、駅の方へと歩いて行く。駅から大通りへでてもやはり人が多い。啓蟄というが、人間も暖かくなると、たくさん外に出て来るのだ。

3月は記録的な寒さだったそうだが、暖かくなればもう夏日といい、5月の気温といい、外を歩くのにもすっかりと軽い服装になっている。1ヶ月があっという間で何かを考えていても浮かんだまま消えていく。

おばあちゃんの膝が痛いと言って1ヶ月。整形外科で膝の水を抜いたり、電気をかけるのに週2回通ったり、痛くて歩けないから家のこともあれやこれやで過ぎていく。

 

先週『一万年の旅路』という本を読んだ。どなたかが紹介されていて知り、本屋で見つけて読み始めると一気に引き込まれて読んでしまった。一万年語り継がれるということがどういうことかとても本当とは思えないだろうが、昔の人間は脳が軽くて知識も理解力も無かったのか、今の人間の方が退化してなくなってしまっているのかもしれないとさえ、思える。そうすべて思い込みで今の自分の考え方がとても浅はかなだけかもしれない。

この物語は誰も憶えていない程、長く住んだ土地から、そこが大噴火、大地震、大津波でほとんどの人々が死に、わずかに生き残った人々がユーラシア大陸からベーリング海峡を渡って北米大陸を横断して数千年かけて定住の地を探して歩く旅をする。

その苦難の中で生きていく為に、「目がさめているあらゆる瞬間から学ぼう」と歌う。

その学びの物語でもある。「知恵は学ぶことの中にのみある。そして大きな学びの中には、かならずより大きな生存の可能性が含まれている。いざ、大海のほとりを知らない者たちから学ぼうではないか。」

その何千年に渉る記憶を一人一人が憶えてそして次の世代へと出来事とそれを通して一族が学んでいったことをひたすら伝えていく。戦後に生まれて祖父母の生い立ちすらほとんど聞いたことがない私にはそういう能力が人間にはあるのだという事自体が驚きだった。しかし、その物語を読んだあと何日も私はその物語をまるで映画で見ているみたいに何度もその風景が浮かんでくる。そしてその学びが自分でも共有することができるという体験を不思議な思いで味わっている。東日本大震災の後、想定外という言葉を大の大人が言い訳に使っていたのがとても恥ずかしく思える。

 

一万年旅してきてもまだ終わりはない。どこまで続いていくことができるだろうか。まだまだ学ばなくてはいけないことがたくさんある。それを次の世代につないでいくことが自分が生きていくことなのだ。

 

一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史

一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史

 

 

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