明治のこころ〜モースが見た庶民のくらし〜

12月になっていよいよ駆け足で今年も過ぎていくのか、何故かブログの更新も滞ったまま。

テレビでも広告している、ブルーベリーのサプリを飲むようになって、飲んでいる時は感じていないのだが、なくなってしまって1週間位するととても目が疲れてパソコン見るのも辛くなる。(ということは効果があるということか)

家族二人分を買っているので毎月届くのだが、子どもたちまで飲むようになって、すると当然半月でなくなってしまう。

最近目が疲れてしばしばすると思っていたら、夜鏡を見たら、シワシワになっていて驚いた。年というのは徐々に取るのではなくて、一気に老けてしまうものらしい。

明日にはコラーゲン注入かなどと思ったけれど、朝見るとそれほど変わってもいないかと安心する。でもいつかはそれはシワシワの顔になるのだろう。自分で自分の顔をそうやって時々確認することになるのだ。見慣れた顔がいつの間にか年を取って行く事に。

 

見たいと思っていた江戸東京博物館の「明治のこころーモースが見た庶民のくらし」も今週一杯で終わってしまうので、昨日観に行ってきた。

 

エドワード・S・モースという人は大森貝塚の発見とそこから発見された古代の陶器に縄文土器という名前をつけた人という位しか知らなかったのだが、東京大学教授として日本に滞在している時に日記やスケッチで日本の暮らしや情景を詳しく観察して記している。

展示室の入り口でモースの経歴で子供時代、学校では問題児で、高校退学と書いてあった。学校よりも自然の中で観察したりする方が良かったようだ。そのモースの目から見た明治の日本の社会は子供が大切にされ、ニコニコ笑っていて子供が幸せな世界であると映っていた。

 社会の中で下流に属する労働者階級の人達の真面目さ、仕事に対する芸術性の高さ、清潔さ、人々の暮らしぶりや家の様子やら食器から花や昆虫まであらゆるものに興味を持って観察している。

今の日本ではやはりもう見られなくなってしまったその頃の世界を感じる。

何を無くしたのだろうか。何が無くなったのだろうか。

 

日本その日その日 (講談社学術文庫)

日本その日その日 (講談社学術文庫)

 

 

どうしても行きたかったのは実は出口の特設ショップで谷中松野屋さんの暮らしの道具が売っていたからです。そこで東京製のステンレス製給食かごと、ベトナム製の水牛のスプーンを買ってきました。

 

 

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