祖母の家に泊まった

2才か3才頃。

 

自分が住んでいる家は駅から不動産屋さんが言えば12分位かもしれないが、実際に歩くと30分くらいかかる。祖母の家は同じ駅から子どもの足でも10分弱の距離であった。一人で家の周りで遊んでいたのだろうが、気がついたら迷子として交番にいた。

あなたの家は何処と聞かれると分からなくて、おばあちゃんの家は?と聞かれればそこ、と言えたのだろうが、分からないなら交番へ連れて行ってあげると言われてそのまま付いて行ってしまったのだろう。

自分が迷子という自覚はないので、何処かに遊びに来たと思っていたのかもしれない。

お巡りさんが私に名前は?と聞くのだが、3歳頃の私はどれ位答えられたのだろう。靴を脱がせて名前が書いてあるか調べていたがわからなかったようで、そのあとの記憶は出前のラーメンを食べている。(さすがに食べ物の記憶だけはだけはしっかり覚えている)そのうち家族が来て、帰った様な。

 

年が近くて弟、妹が年子で生まれたが、母親が出産の時に祖母の家に預けられた。

祖母は朝30分以上、仏壇の前でお題目をあげていた。私も隣で一緒に手を合わせて拝んでいた。短いローソクが1本終わるとその火にもう一本つけてそこに立てる。一本が20分くらいだから2本はその倍の時間。

 

子どもの頃はそうやってどの家でも、神棚を拝んで、仏壇を拝んでそれから朝御飯、というのが当たり前だった気がする。でも東京の新しい家にはだんだんなくなってしまったのだろうか。今はそういう時間がなくなってしまった気がする。私もおばあちゃん程の長さではないけれど、毎朝神棚と仏様に手を合わせる。当たり前に受け継いで、受け継がれていく事を願いながら。

 

今の日本人は聞けば無宗教という人が多いとは言うけれど、実際にはどうなのだろう。ほとんどの人は子どもの頃はそういう暮らしだったのではないだろうか。

昔に戻ればというのはどの時代を考えるのかによるし、どこが良かったとか悪かったとか両方あると思う。けれど、無くさなくてもよかったものはちゃんと持ち続けていきたいと思う。便利さや合理性ばかりに進んでいくのではなく、心の中が豊かでいられる様な暮らしを考えていきたい。

 

 

 

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