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空襲と建物

空襲 建物

前回のブログで、頂いたコメントからその頃の礼拝堂をいくつか調べてみた。

アントニン・レーモンドの建築で昭和13年に東京女子大の礼拝堂があるが、立教女学院の聖マーガレット礼拝堂は昭和7年竣工で設計者はJ・V・W・バーガミニー(1988-1975)という人だった。アントニン・レーモンドと同じ年の生まれのミッション系のアメリカ人で、関東大震災による聖公会関係施設の復興の為に日本に来て1938年に離日している。

 

聖路加国際病院礼拝堂も同じく昭和7年、関東大震災によりそれ以前の病院が焼失して、アントニン・レーモンドと他に2人のチェコ人により設計されたものだそうだ。そして、途中から(詳細はよくわからないが)バーガミニーに設計が変更されているとある。

 

そして、気がついたのだが、聖路加病院といえば築地、銀座に近いにも関わらず、あの東京大空襲にもその一帯だけは被害に遭っていない。アメリカの資料でも、そこが病院で外国人の設計した建物であったせいか、攻撃目標からしっかりと外していたのだ。(これは後で使うために残しておいたようだ)

上の他の礼拝堂や学校などもそういえばみんな残っている。

 

そこでまた思い出したのが、以前にかいた立川病院の空襲のことである。

埋もれていくもの

もともと陸軍病院であり、また建物が兵舎のようにも見えることを心配した外科部長の中川一郎先生が、屋上に大きく赤十字のマークをつけて識別されるようにするべきだと進言したのだが、病院首脳には受け入れられず、結果空襲の被害を受けてしまったのだ。

 

今でも残っている礼拝堂は何を語っているのだろう。

 

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