お墓の100年先は

こんばんは。8月の間はずっとシャワーだった。水道代やガス代は家族4人でお風呂で沸かし直しを何回かするより節約になるが、やはり疲れが今ひとつ取れない気がする。久しぶりにお風呂で暖まってみた。

 

これは2日前のニュースから。

東京新聞:3万5000円で納骨と供養 イオン、来月から:経済(TOKYO Web)

 

以前に、最近はお葬式もしない家がふえているらしい、と書いたけれど、お墓の常識も今まで自分が当たり前だったと思っていた事は実は戦後位からの常識でしかなくて、これから本当にどうすればいいのか、今までの考え方では困るだろうと感じるようになってきた。

 

私の実家は祖父のお墓が多摩墓地にある。私が生まれる以前に祖父は亡くなっていて、祖母が建てた墓石は最初は黒御影だったそうだが、だれかに黒い色は商売が傾くといわれて、灰色に建て替えたと聞いた事がある。

墓石もお金持ちのうちでは小松という石が高級だそうで、1000万円位はかかると聞いた。他にも色だの、形だの色々どうこうあるようだが、しかし考えてみるとそういう事は全部戦後位からの常識なのではないだろうか。

 

主人の父の生家は家の裏山(10歩くらいの近さ)に7つくらいの小さい墓石が並んでいる。彫ってある字も見えにくくなっているが、江戸時代からだろう。

今はそこに増やす事は出来なくて、お寺の墓地に義父の祖父母、両親、兄夫婦の3つの石が並べてある。広めの1区画に並んでいるのだが、これが祖父母の墓石は50cm位、両親が1m位、そして真ん中に今よく見かける「〜家の墓」みたいに書かれた大きい墓石となっている。義父はそれが出来た時、親より大きいものを建てるとは!と怒っていたというが、義父のお墓も大きさとしてはそのサイズになった。

 

つまり、昔は100年くらい経つと角が丸くなりほどよく苔むす位のものだったのが、いつの間にか大きいのが当たり前になっていたのだ。

現在車や、電車で墓地が丘陵一杯に並んでいるのをあちこちで目にする。

建て売り住宅が庭もなく、家がびっしり立っているその近くに墓地の方もそっくりに敷地に四角く大きな墓石が一面びっしりならんでいる。

それらの墓石は何百年先までそのように並んでいるのだろうか。

子供の数が減る一方で、無縁となっていく事も増えている。多摩墓地でもそういう家に葉書を送っているそうだが、容易には無縁だから壊して次の家に売るということも難しいだろう。これからを考えるとお墓のありようも変わっていかなければいけないのだろうが、今更作ってしまったものを捨てる訳にもいかないし、そう考えると気がつくのが遅すぎなのだが。

 

私自身を考えると、主人や両親と入れてもらえれば有り難いが、陶器の骨壷でなくて、リサイクルの木とか紙の箱で土に早く帰るのがいいんじゃないかと思う。50回忌が終わったら骨を土に帰すと聞いたが、そんなに先は誰がいるかも分からない。

 

一つ残念だったのは生きてる家も、死んでから入るお墓も庭がなくて、木が生えていないことだ。

 

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