日曜日、晴れ、しかし昨日程日差しは強くない。気温24度。室内は窓を開けて風が通るのを感じているととても気持ちがいい。
こんな素敵な一日を何のために使う?
家の中から外を眺めて、何を考えているの?
少し前に、駅で後ろを歩くカップルの会話が聞こえてきた。
「うちのおばあちゃん、おじいちゃんが死んだ時、お葬式やらなかったんだよ」
と女性の声。それに対し男性が、
「いいんじゃない。うちのおばあちゃんもそういってるし・・」
みたいな返事をしていた。
思わず、そっと振り向いて眺めてみたが、20代前半の男女で、彼らの祖父母というのは70代くらいなのかと想像してみる。
今は家族葬のような小規模な形になってきているようだが、それすらもなくなってきているのだろうか。
別の時に、親戚の親戚の話を聞いた。
お姑さんの、義理のお姉さんの旦那様が亡くなったのだが、お葬式をしなかったので、連絡してこなかったというのを後から聞いて、お線香だけでもと家に行ったら、病院に献体したので、遺体が無い。だからお葬式もしないし、仏壇もない。お線香も上げる所もない・・という話だった。詳しい所はわからないが、残った奥さんは自分もそうするつもりだということで、お葬式とか供養するとかそういうつもりがないらしい。
日本人が無宗教と言われていても、特定の宗派に属していないということで、初詣からお宮参りからお墓参りまでまったく信心がない訳ではないと思う。素直に手を会わせる心があっても宗教だといわれるとそうではない、という感覚があるように思う。
しかし、無宗教ですと言っているうちにその手を合わせる心も無くなってしまっているということなのだろうか?
自分の国の技術に自信満々に他国に原発を売ってくる心も、同じように何かを無くしてるのではないだろうか。