三鷹市山本有三記念館で、企画展 三鷹の家のものがたりをやっている。
まずぐるりと外観から。
階段を上がると2階に和室も。
この建物の施主は清田龍ノ助という人で、1926年竣工と推測されるということだが、その後、建物の所有者や用途が頻繁に代わり、その度に改修が繰り返されたので、現状では創建時の姿も明らかではない。
1923年にフランク・ロイド・ライトの手がけた帝国ホテルが完成し、その様式が「ライト風」としてブームになっていて、外観や素材、内装のデザイン、などに取り入れられているが、いまだに設計者は不明である。
所有者や用途が次々と代わっていった。
1926〜1931 清田龍ノ助邸
1936〜1946 山本有三邸
1946〜1951 進駐軍接収
1951〜1953 国立国語研究所三鷹分室
1957〜1985 東京都立教育研究所三鷹分室「有三青少年文庫」
1985〜1996 三鷹市有三青少年文庫
1946年進駐軍の作成した地図では679軒の接収住宅が記載されているそうで、帝国ホテルや明治生命ビルといった大規模な建物だけでなく、個人の住宅も接収されたのだ。
接収が決まると24−48時間以内、長くても4日以内に家を明け渡さなくてはならなかった。設備の提供も義務づけられていたため家具も持ち出しが禁止じられていた。
接収が解除になって有三が戻ってきた時に、ペンキで塗装されたり、手を加えられて自らの意に沿わない使い方をされていたかつての我が家には再び住む気にはならなかったようで、その後、東京都に寄贈された。
年表をみていると、この家が何故か長く人を置いてはくれない様な不思議なものを感じなくもないが、 大正末期の本格的な洋風建築のなかで有三の家族が過ごした時代がすぐそこにある様な気がする。
入り口の左手に見える石が『路傍の石』の石だそうです。
大人が10人以上乗れそうな大きさです。(タイトルは知っていても読んでいない気がする)
道路を挟んで玉川上水が流れている。
今日の驚きは三鷹市の市内歴史散歩を読んでいたら、玉川上水には昭島市にある東京都の多摩川上流下水処場の処理水を砂でろ過した水が今は流れ・・と書いてあったこと。羽村の堰から始まっている玉川上水も確かにここでは水量もずいぶんと少なくなっているが、実際にはほとんど届いていないで、途中で再生されて送水された水になっていたのだった。