埋もれていくもの 2

「立川の歴史散歩」という立川市教育委員会発行(平成2年)の本が手元にある。この地域の縄文時代の遺跡や、戦国時代の館跡など巡ってみられる所を紹介している。

ちなみに、この冊子は平成2年版と言ったが、中を見ると立川市の紹介であるが、立川編と砂川編と分かれている。立川町が立川市になったのが1940年、砂川町が立川市に合併されたのが1963年とある。中央線で分断して、立川駅をはさんで下が立川、上が砂川という感覚だろうか、私が来たのはその少し後だが、転入して来た身にはそういう感覚が全くない。

 

第一次世界大戦後には立川飛行場が開設され、軍都として栄えていたと紹介されているが、戦争中はとんで、戦後基地となり、返還後昭和記念公園となり観光スポットとなっている。軍事機密であったためか、戦争中にかなりの爆撃を受けて損傷、死者もあったのだろうが、どうもはっきりわからない。ましてや、今や公園になってしまい、そのことすら消えていくにまかせている。

歴史散歩では残っているものについては行ってみれるように紹介されているが、残っていない部分は省かれてしまっている。

戦後に作られた戦災供養地蔵尊は今でも行ってみることができるが、そこだけではないということにどこかで触れてもよかったのではないかと思える。

米軍の返還式が52年、54年に昭和記念公園となった。オープンして人がにぎわっているニュースを見て、伯母が「あんなに人が死んだ所に遊びに行きたくない」と言っていた。しかし、私たちの世代ではそんなことを知りもせず、子供を連れて遊びに行っていた。見える部分にはそうした碑の様なものは見た記憶もない。

 

街が発展して栄えて行く一方で、その前の見えなくなって、消えていくもの。

本当はなかったことにだけはしてはいけないのだ。嫌なこと、忘れたいこと、だからこそ、そこに住む人みんなの記憶の中で背負わなくてはいけないと思う。f:id:hidamari39:20130225154024j:plain

 

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