空襲の記録を読む

東京新聞: <歴史にはこう記されるだろう>。二十世紀の米国で公民権運…:社説・コラム(TOKYO Web)

今日のコラムでマーチン・ルーターキング牧師の言葉が引用されていた。

「この変革の時代において、もっとも悲劇的であったのは、悪人たちの辛辣な言葉や暴力ではなく、善人たちの恐ろしいまでの沈黙と無関心であったと」

先週末に本屋さんで郷土誌フェアがやっていた。

そこで買って来た本に

『<記録集>いまも心にー戦争体験を次の世代へー』 調布市・調布教育委員会

『昭島にも空襲があった』 多摩地区の空襲犠牲者を確認・調査する会 編 昭島市

があった。

今まで実際の空襲について知る機会がほとんどなく、また体験した人からの話をきちんと聞いた事がないことに最近あせっていたのだ。

戦争の事を体験していないのに安易に平和という言葉を使ってしまう自分は、本当に平和の意味がわかっているのか。

3月10日でさえ、何年かまえのテレビで東京大空襲をやるまえまでは特別な日と思っていなかった。

戦争の体験を聞く事があっても、本当に命を落としたり、奪ったりした人の話は聞く事がないから、どこか自分に関係ないことのように感じられてしまうのは何故なのかと思っていた。

それは体験者の手記を読んでいてもやはり感じられる。それは自分が体験したこと以外も含めて起こった事を自分の心で感じて考えられるかどうかがその違いを生んでいるような気がした。

東京大空襲で10万人が亡くなって、多摩地区では武蔵野市239人、立川市347人、八王子市476人(『昭島にも空襲があった』より)亡くなっている。

しかし、数ではない。その一人一人が皆犠牲者であることに変わりはない。だから小さい事でも知りたいし、無関心でいてはいけないと感じた。

上の本の参考文献の中に立川の記録集がのっているので手に入らないかと調べたら、立川市では作っていなくて、20年位前に出版されてもう手に入らないとの事だった。図書館に立川市関係の本として借りる事は出来たが、3集まであり、1冊5000円の立派な装丁の本だった。これではそんなにたくさんの人が読む事もなかったのではないか。

皆に読んでもらおうと思ってつくったというより、ただ奥にしまわれてしまう記録になってしまったのではないかと思えた。

体験を語る人や、記録集を作ってもなかなか届かないまま無関心な人が増えてしまう現実を今さら知る。

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